人を幸せにする人になろう

平等院

◆前に歴史学ハイキングで宇治に来たのはいつだったか。鳳凰堂は修理中?、ミュージアムはでき ていた。今度、平成の修理が行われ、外側の塗装をやりかえ瓦を葺き直し、昨2014年に竣工したところで、色が鮮やかである。鳳凰堂は、平等院に入る入館料とは別に金を払って少人数ごとに入るようにしてあり、2時間待ちというのでスルー。えらい人がぎょうさんいてます。大観光地ですね。
◆ミュージアムとかでちゃんとパネルを読んでいくと、いかに茶のあきないが宇治を支えてきたかがよくわかる。上林家というのが代官。そういう近世のあり方はあんまり今回のテーマになっていなかったが、こっちの関心がそういう方面に向いてきているので、上林記念館とか、そういう選択肢もあったように思う。昼飯の自由時間で町歩き をする。もひとついうと、交通の要衝というのも、いますこし解説がほしいところ。古来、いくたの戦いが宇治川で行われていることの意味ですね。
◆でウジノワキイラツコを宇治神社で祀っていると。陵墓も作られた。住吉中皇子が宇治宮を攻めるべく進軍し、宇治で溺れさせられた。で、ウジノワキイラツコって誰なんですか。いるんですか。応神とミヤヌシヤカワエヒメとの間に生まれたワキイラツコ。応神の子であるワカヌケフタマタ王のことを考え、太田茶臼山はオオホド王墓なんだろうと思うが、そういう畿内の要所に王族を配置するということはありうるのだが、ウジノワキイラツコなり宇治宮なりが営まれたこともありえたと思わせる中期はじめの前方後円墳はない。近いところでいえば久津川車塚があるが、まあ宇治じゃないですわな。
◆ウジノワキイラツコとオオササギの譲り合い、というか、その前の応神の詔り分けというのは、実はオオササギとイザホワケの間のことで、ウジ=オオササギと思っているが・・・。むしろ6世紀の宇治二子塚の方が重要で、これを考えないといけませんね。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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