人を幸せにする人になろう

蔭涼寺

◆初日は蔭涼寺の史料調査と住職さんからの聞きd4298085.JPG取り。明治89d205f0.JPG初めの財産目録では8町歩、農地解放前までは13町歩に達していた。
◆曹洞宗では住職は世襲ではなく、弟子からしかるべき人物があとを継ぐのだそうだ。また戦前までは多くの弟子が寺に起居していたという。住職一家が守っていくみたいなもんでなく、寺が修行の場としてちゃんと機能している。禅宗というのは、そういうものらしい。
◆戦後、土地を失い、先代は農協に勤めて生計を立て、檀家との関係もやや希薄化し、また寺もかなり荒れていたが、現住職(先代が初めて妻帯し、現住職はその子供で、この寺としては初めての父子継承という)が、立て直しに頑張り、いまの寺観を整えたらしい。たいがいの手入れは自分でやるということであり、門前から、植木やベンチなど、いまはきれいになっている。
◆ここのキンモクセイとギンモクセイが有名らしいが、血天井でも有名らしい。本堂に招き入れられ、住職d6940e1b.JPGから説明を受ける。甲冑の跡や手や足の指、これらは本当に血なんだろうか。討ち死にした武士の血の染みこんだ床板を、天井に使ったものという。説明がちぐはぐな点があり、どういうことかと思っていたが、関ヶ原の時の伏見城で死んだ徳川方の武士ということらしい(ちぐはぐというのは大坂夏の陣の時の豊臣方の武士だ、というのと混線しているのだが、意図的らしい)。また本堂の正面の扉も伏見城から移したものという。伏見城は1623年の家光の将軍宣下に使用されるが、その前から破脚は進められており、「先年破壊残りの殿閣にいささか修飾して御座とな」したといい、その後、完全に取り壊される。伏見城の建物は、二条城や淀城はじめ各地に移建されたという。
◆蔭涼寺の創建も実はすこし怪しいところがあるようだが、土地を銀10貫で買ったという1661年が確実とみるようだ。家光の使用から40年近くが経過している。こういう話がどこまでイケルのか、オレにはわからん。同じ血天井というのが京都市内の寺にいくつかあるらしい。一方で三成は全部焼き払ったと書状に書いているらしい。

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雲楽
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男性
誕生日:
1964/03/22
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大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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