人を幸せにする人になろう

金関恕先生

◆金関先生がお亡くなりになった。90歳という。昭和ヒトケタでも前半代。金関先生の授業、あまり出なかったが、ある時。これは前にも書いたと思います。「270年から280年の頃(正確ではありません)、箸墓古墳の墓坑を埋める最後の土がかぶせられた時、古墳時代の鐘が高らかに鳴ったのであります」、と。そんなフレーズを覚えています。
◆後藤守一の『漢式鏡』の資料が天理大学にあると聞き及び、拓本でしかわからない三角縁神獣鏡があって、小さな粗い印刷の挿図なので、元資料を見たいと、先生に手紙を書いたことがある。が、未整理であるらしく、先輩を通じて、見てもらうことはできないと返事をいただいた。これらは大学院生時代だと思う。
◆が、面識はなく、先生とお話ししたのは、もっとずっとあと。2008年弥生博問題の時。2008年5月17日のシンポジウム《21世紀の博物館と考古学~文化政策の始点から》、もひとつ池上曽根現地でのアピールのイベントもあったような、そして2009年1月25日の池上曽根史跡公園協会歴史フォーラムでご一緒した。何回かに分かれてしゃべり、最後、光谷さんの時に、講演後にまとめて討論があった。その控室でのこと。当時、庄内式がさかのぼる、という情勢に、いままで組み立てていたものを、どう組み直せばよいか、と考えていたのだろう。「庄内がさかのぼりそうなんですよね、困った」、金関先生「どう困るんですか」。これを鮮明に覚えている。
◆現在の資料で話を組み立てていく、それに固執してしまったらいけません。いまある資料により整序していく、そのなかにある確かなものに立脚して考えている、年代のように不確かなところもあれ、全体としての整合性を取る。ぜんぶが覆ることではない。考えていた年代観とやや異なることに戸惑うが、それにもとづき、ではどのように改めるところは改めて、事実に近づくか、そんな試行錯誤の時期でした。「なぜ困るんですか」ということにどう答えたかはわからない。まだまだ2世紀をちゃんと考えていなかったので、十分な答えはできず、戸惑いを表明しただけだったのだろう。
◆『考古学は謎解きだ』の本はとても面白かったです、先生。あんな文章を書きたい、と思いました。もちろん、あの語り口の魅力はみなさんご承知の通り。ユーモアにあふれた方でした。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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