人を幸せにする人になろう

難波宮研で

◆文献史の発表を1本聞く。孝徳朝の検地、一定の私有地の収公、石母田の賦田制に相当する、それ らによる田地のあてがい(出生や死亡による見直し班給をしない段階)を認めようというもの、と大筋を理解した。わかる。50戸という戸単位の人口把握、検地による土地調査、それをふまえた古墳時代的、部民制的なものから、班田収授制に近い公地の再分配をやっているということですよね。それについて文献史側からも認められるのではないか、という発表だった。
◆だが、直線的に発展しない、のちの班田収授とは違う、孝徳朝は浮いている、みたいな結論になってしまうのだ。
◆それに対して反論した。孝徳朝に公田の再分配を、実態追認の面があるにしてもやっていることをチャンと評価すべき。それについて、日本がめざした人員の増減に応じて再分配を繰り返す班田収授までは、すぐにはいかないのは当たり前なのである。670年庚午年籍ができて初めて条件が整う、そして条里地割については、オレは683年頃の「五十戸」から「里」への表記変更はこの時点で領域的編制ができたことによると考えており、それを待って持統朝に班田収授が始まるというのは、順調、スムーズ、だと考えているわけです。なぜ、孝徳朝を浮いたものとして特異な時代として孤立させなければならないのかが、まったくわからんわけです。孝徳朝にほぼ構想はできあがる。あとは実施に向けての基盤整備、それに40年を費やしている、そんなもんとちゃいますか。後退して、天智朝くらいから再びやり始める、なんて「そんなことあらへん」と思っているわけです。
◆図は『条里制研究』の原稿の最後の結論図として作り始めているものです。

プラグイン

カレンダー

09 2024/10 11
S M T W T F S
1 4
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

カテゴリー

フリーエリア

最新コメント

最新トラックバック

プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

バーコード

ブログ内検索