人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
高橋テルちゃんつづき、記事№1200
◆例の大化薄葬令の論文について、阿武山のように薄葬令に合致するものがある一方で、そのあとも規定に反する大きな石室があるので、薄葬令はあったし実行されてはいるものの、全面的な影響にはおよんでいないとテルちゃんはみる。その例にあがっているのが、西宮古墳と文殊院西古墳である。だが、西宮神社が山城大兄王とすると643没、文殊院西はテルちゃんも649年に没した倉橋麻呂とみているが、わたしの持論からすれば、阿部氏の氏上になって造営に着手しているのであり、薄葬令以前にはできているのだろう。
◆そう、例としてあげられた2例は、薄葬令を遵守しないものとして適当ではない。これについてメールで聞いたが、西宮についてのみ、烏土塚などもあり平群氏ちゃうかと。このあたりは、7世紀代の平群氏などもよく知らないし、上宮王家の土地が平群谷にあったとする意見なども、きちんと知り、改めて考える必要がある。文殊院西については回答がなかった。卒論生には、テルちゃんが薄葬令について一歩進めたけれど、跛行的な行きつ戻りつ論は、ほんとにそうなのか、年代を詰めて、改めて議論する必要がある、やれと言っておいた。
◆オレはオレで、谷首のデータが上がってきたら、リーフレットで、飛鳥期の方墳をならべてやろう。そういえば谷首の測量図のある桜井市の報告書はどこいったんかな。清水さんにもらった記憶があるが、図書館へ入れたか。そろそろ準備はしておこう。
◆そう、例としてあげられた2例は、薄葬令を遵守しないものとして適当ではない。これについてメールで聞いたが、西宮についてのみ、烏土塚などもあり平群氏ちゃうかと。このあたりは、7世紀代の平群氏などもよく知らないし、上宮王家の土地が平群谷にあったとする意見なども、きちんと知り、改めて考える必要がある。文殊院西については回答がなかった。卒論生には、テルちゃんが薄葬令について一歩進めたけれど、跛行的な行きつ戻りつ論は、ほんとにそうなのか、年代を詰めて、改めて議論する必要がある、やれと言っておいた。
◆オレはオレで、谷首のデータが上がってきたら、リーフレットで、飛鳥期の方墳をならべてやろう。そういえば谷首の測量図のある桜井市の報告書はどこいったんかな。清水さんにもらった記憶があるが、図書館へ入れたか。そろそろ準備はしておこう。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。