人を幸せにする人になろう

2016年8月18日(木曜日)久津川車塚

◆この日、大歴のことが心配になり、あちこち連絡。8月号の発送の準備を進めていてくれていることが確認できた。あとはレーザー計測のことを考えていた。タイミング的にはいますこし後の方がいいようにも思うが、計測後の1/10図作成用の加工の時間も必要であるし、埴輪の密集部と墳裾が決着していないが、それでも9割方は葺石を出しており、これで計測してしまえと。葺石の最終的な仕上がりが現時点と異なる部分が出てくること、葺石外の調査区全体の、最終掘り上がり状態の計測と、2度手間になるが、それもしゃーない、と。フォトスキャンでやる心づもりではあったが、画像作成、座標の割り付け、etcを考えると、はじめてのことでやりきれるかどうかの不安があり、フォトスキャンもやるが、レーザーと両方で準備しようとしています。
◆城陽市担当者。自分。道上・阿部・伊藤(市大)、コンマ1・吉村・安藤・木下・日下(立命)、泉(奈良大)。
◆1/50略図に、昨日17日の認識含めの書き足し。石の目地をほじくるのと、道上・伊藤・コンマ1・木下で、墳裾部の追求。この日、体もだるく、暑くて頭もまわらず・・・。で最後のところで、墳端外の石敷きといっているところについて、調査区西端から黄色砂質土の地山面を出しながら、西側ほど遊離している残してきた石たちについて検討し、地山に接することなく、濠内堆積の淡紫灰色の上に底部がある石たちを一定はずしていく。写真右は、石をはずし地山を出している状況。左は今日の最終時点での掘り上がり、です。
◆昨年の西斜面と同じく迷います。西斜面では基底石が明瞭でなく、墳端外の石敷きを意 識していなかったので、同じように西から石をはずしていき、切れ目もないので、そのまま東に進み、はずした石の下で黄色の地山が立ち上がり、1石か2石ははずしすぎた、ということになる。そのあと南斜面で、これはずずせないでしょという石敷きが、こっちは基底石がまあ追いかけられる、その外側にぎっちりとあった。石敷きがあると考えなくてはならないということになる。やはり南側で、地山を出しつつ、ちぎれた石をいくらか外していき、密につながって検出されている石敷きは、これは本来のものと判断して残し、図化したわけだ。
◆さて、今回のくびれ部、どういうことになるか、学生等はまっとうに土を見て考え判断してくれており、ひとまずこのまま冷静に慎重にいますこし進めていくほかない。やれることはやる。地山もゆるゆる上がってきている。個々の石がそこにどうからむか、地山に接している/据わっているものは残す、といった判断で進めるほかはない。一方で、が、決められない、ということもあるだろう。ほっといたら取れていく、取る方がすっきりする。しかし生きているかもという見方も常にもち、取れるとみるには怪しいものは残すという処置も必要だろう。記録を取り、最終盤で必要なら場所を選び、基底石、その外の石、堆積土の入り方を観察するサブトレを抜いて追求しておく。そういう姿勢でおりましょう。

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雲楽
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男性
誕生日:
1964/03/22
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大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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