人を幸せにする人になろう

2016年8月16日(第3週火曜日)

◆曇り。自分。長友。道上・阿部(市大)、大澤・安藤・木下・森・水谷(立命)、泉・田 口(奈良大)。
◆朝、車の中で、中段テラス面の調査のことを考えていた。本日1日、いろいろ考えてはみたが、やはり無理しないのがよいかも、と(理由は最後に)。
◆木下が谷筋を下るも、両サイドが間に合っていないので、昨日ほぼ西端までたどりついたので、谷筋下半部で出てきた列石両サイドに人を配置する。長友さん、澤は、木下とともに裾部沿いの石出し(扇風機倒れ、破損。おNEWとなる)。泉・森・水谷は上の目地だし。自分と安藤・田口で後円部斜面、道上・阿部で造り出し北斜面(写真1)。転落石との判断は慎重にとも思っていたが、谷筋列石でメドが立っており、その両 サイドでしっかりかみ合った葺石面が問題なく出てくる。転落石上面で止めていた両サイドの高まりも、浮き具合や埴輪の入り、葺石面が見えてくるとその面を参考に、あまり悩むことなくはずせる。
◆後円部斜面については(写真2)、左側では2重に見える列石があり(その東(左)側も大型の石)、列石を境に西(右)側では拳大の礫となる。その西では石が再び大きくなり、後円部の円弧にあわせた放射状の列石かと思われるものを確認した。
◆造り出し北斜面でも、後円部斜面に比べて、ややランダムな感はあるが、葺石面が検出されてきた(写真3)(人手の関係で、途中に下げ切れていない高まりが残っているので、明日、そこを やっつける必要がある)。
◆谷筋を中心に転落した埴輪片がかなり出土。囲形埴輪よりもだいぶ下った位置で、破片もそう大きくなく、立っていたものが倒れたのでなく、上からのものと判断される。コンテナ1箱程度。網代の破片もあり、囲いにやはり家がともなうと思われる。
◆谷筋部では、昼頃か、列石が途切れた。大石があり、その下に立てたような石の押さえがくる。ほぼくびれ部の位置とみてよいだろう。造り出し北辺裾かとも考えていた東西に横置きされた2石の位置とも見合うところである。問題は、そこから両側へ、つまり後円部裾と造り出し北辺の基底石のならびが、現時点では明瞭でないことである。後円部側は、それなりに大きい石が円弧を描いて伸びているようにも見え、その推定で大 きく間違いはないだろう。が、造り出しの開始地点、また北辺列は、現時点ではなんともいえない。先に書いた東西方向の2石は調査区にほぼ平行するが、もう少し偏した石の並びがあるようにも思うし、さらに葺石の傾斜からすると、さらに振ったラインがあるようにも見える(写真4)。
◆そして基底石が不明瞭な問題とかかわり、墳端外の石敷きの理解がある。昨日?やってきた感じでは、浮いている石はあるとしても、とくに南半では、多くはかなりかみ合ったようにキチキチに検出され、これははずせないだろうと考えた。その石も小さくなく、そうすることで基底石の下半部が隠され、基底石の並びが明瞭に見えないということもあるのだろう。一方で「はずれないか」との見方もある。また、昨年の西斜面では、基底石は 明瞭でなく、傾斜が水平に移行しつつ一続きのようになっていた。丁寧に基底石かもという石の下をさぐり、また石敷きの石をほじり、埴輪のカミ具合などから、慎重に考えていく必要がある。石が淡紫灰色の堆積土に埋もれていても、底面が地山に接していれば、それは問題ないわけだが、本日、石敷石かと思われるものが抜けている箇所の断面観察では、少なくともそこに接する部位では、いま残している石は浮くように見える。悩ましいところである。本日の終了後の写真を最後に示しておく(写真5)。
◆最後に、大学に戻り、ノートにアラアラ落とした調査区図を、(座標値は控えてあるので)改めて1/50の略図に作成し、昨年の調査区と重ねてみた。5月8日に今年の調査区の案を示した。むろんそこでは、造り出しがどこまで北にのびるか、後円部径の推定復元径、誉田御廟山などを参考に、一応の推定をして、それが収まるように設定したわけです。が、今の南壁は当初案よりかなり北に位置していることが判明した。造り出し西北隅角は入っていない?。反省・・・。どうもならないが、大げさなことはできないものの、少しほじくることは考えなければならないだろう。いずいれにしても、今の調査区で北辺を確認するのが先決です。

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雲楽
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男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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