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2022年12月26日、原城

◆島原市をあとにして、途中、高速も使い、南下。原城に向かう。有馬氏の日野江城にも立ち寄り たかったが、フェリーの時間もあって寄らず。
◆日野江城。以下、ウィキ。鎌倉時代前期の建保年間(1213年 – 1219年)に高来郡を領する藤原経澄が築城した。 経澄は築城時に姓を有間と称し、後に有馬と改称した。有馬氏は当初島原半島南部の一勢力に過ぎなかった。貴純の時代になると半島内の諸勢力を制圧し戦国大名へと成長していった。貴純は日野江城の支城として原城を築城している。晴純の時代に有馬氏の版図は最大となり21万石を領するまでに成長した。しかし、後ろ盾となっていた大内氏が滅亡すると龍造寺氏の圧迫を受けるようになった。13代目当主の晴信はキリシタン大名となり城下にセミナリヨを建設し、逆に寺社を破壊し城の築材とした。江戸時代初期には晴信は4万石を領し、日野江城は島原藩の藩庁となった。しかし、慶長17年(1612年)晴信は岡本大八事件に連座した罪により甲斐国で切腹となった。嫡男直純が後嗣となったが慶長19年(1614年)に日向国延岡城に移封となり、有馬氏は約400年間にわたる在城に別れを告げた。有馬氏が去り元和2年(1616年)に松倉重政が入城するまでの間は天領となった。松倉氏は入封後、日野江城に不便を感じ新たに島原城を建設し、日野江城を廃城とし歴史の幕を閉じた。
◆日野江城にやはり行くべきでしたね。原城、なかなかきれいに整備されている。畑があり、耕す人がおり、のどか。海が広がり、天草が見える。

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雲楽
年齢:
60
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男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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