人を幸せにする人になろう

名取の石積み景観

◆岬から引き返し、佐田岬半島ミュージアムにむかう。途中、「名取 石垣の集落」という案内があったので、いま高いところを通っている国道から分岐して、村の方へ進む。佐田岬半島は、とにかく隆起した急傾斜のとんがりが海から突き出していて、そういうところにもかかわらず、瀬戸内側・太平洋側、それぞれ斜面地に家があり村ができている。
◆名取村の小学校跡地が駐車場となっていて、そこから細い道を降りていく。お宮さんがあり、客神社という名前で、村人が集まって神事が行われていた。
◆この名取、宮城県の名取から、馬を飼育する職人を連れてきて、住まわせた集落だそうな。たらららら~、たらららら~。けっこう上下に村が展開している。
◆2年前に長崎の外海に行った時、世界遺産にするのに、同じように石垣の集落として文化的景観になっていた。斜面地に石を積んだ集落景観としては同じである。

御籠島から見た佐田岬灯台

◆御籠島まで進み、振り返った佐田岬半島突端の写真です。いまはその間にコンクリートのプールがあり、地続きとなっている。漁港が作ったもので、アワビとかサザエとか伊勢えびなどを入れていたとか。
◆椿山・御籠島とも軍の砲台があり、見学できるよう整備されていました。昨年、新聞でも紹介されていました。

佐田岬

◆佐田岬の先端は二股に分かれ、そのマタのところにあるのが三崎港。北側が長く伸び、最西端となる。手前の駐車場に車を停め、山の北側をまわる遊歩道で先端に進んだところからの写真である。ここからいったん下り、見えているのが椿山というもので、再び上り。さらにその先に御籠島があり(横にちょこっと見えている者)、いまは地続きになっている。
◆まあ、三波川帯の結晶片岩で、岩橋千塚の山塊で見る緑の変成岩の岩盤が、山の斜面を削って作られた遊歩道の壁面に露呈している。また展望できるポイントから山の斜面を横から見ると、上部には土壌があり黄色系なのだが、裾の急傾斜部は岩盤が露呈していて、これが緑なのである。
◆写真の右側が瀬戸内海、左が太平洋となる。むかし、スペインのタリファという町に行き(ジブラルタルはより東)、こっち地中海、こっち大西洋という表示を見たことを思い出す。

翌日は佐田岬をめざす

◆2月11日は愛媛マラソンで930から交通規制が始まる。8時に出発し、佐田岬をめざす。佐田岬半島は長さ41キロメートルあるそうだ。八幡浜を通り、三崎港に。1時間に1本、佐賀関との間でフェリーが運航されており、70分で大分に行ける。その横にきれいな店ができていて、昼ごはんには早いので、しらす刺身とかき揚げを食べる。
◆停泊していたフェリーが出航していきました。
【メモ】いま、姫路・御着のコメダにいるのですが、バッテリーがなくなってきたので、いったんやまめす。壇場山古墳の横です。

宇和島市の歴史資料館

◆そのあと海寄りにある歴史資料館に行く。残念ながら閉まっていました。改修工事中のよう。その隣の台場跡を見 る。
◆宇和島を離れ、西予(せいよ)市のデンケン「卯の町」に行くも、夕刻。また明日ということで、松山に戻り、泊。
◆八幡浜とかで泊まりたいところであるが、愛媛に来たので、E大学のYさんと飲みということになっている。19時に約束し、大街道の予約してくれた店に入る。

宇和島伊達博

◆城から降りて、次に伊達博物館に行く。隣には庭園がある。ざっとみる。企画展で家紋をやっていて、けっこう有名な豪華な箱があり、西予伊達家の紋があしらってあるのだが、これ以外にも関連の紋がちりばめてあるもの。九曜紋もあり、細川やんかと思ったが、伊達政宗が細川家からもらったのだとか。古い時期は、家紋は、由緒ある家筋のものをもらったりするもの、だったそうです。
◆この博物館、1970年ごろにできて50年が経過し、立て直しの計画中のよう。完成のパース絵がある。この市側の意向に対し、反対の意見もあるとのこと。

城内の郷土館

◆本丸に近づいたところに分岐点があり、まず天守方向に行ったが、戻りに、この分岐点の反対側にある郷土館をのぞく。施設は古そうだが、パネルは新しく、やりかえたらしい。宇和島の人材を取りあげたもの。
◆人物の展示は必要ですね。近世の人もちょこっとあったかな、多くは幕末以降だったか。大阪と関係が深い人物としては土居通夫。鴻池が、立て直す人材を五代友厚に依頼し、五代は土居をおいてほかになし、と推薦したのだとか。大阪商工会議所のところにある3人の銅像の一人が土居であるが、宇和島藩士だったんですね。文学者や絵描きなど、郷土の人たちが紹介されている。幕末維新期の藩主・伊達宗城は有名ですね。

宇和島城

◆近世城郭はやっぱり観光地ですね。観光客が途絶えることなくやってきて、城を登っていく。現存天守のひとつなんだとか。12個 あるんでしたか、ほぼ行っていると思うが、彦根城は人だらけで並ぶのをやめたので入っていない。
◆かつては海に面していたが、いまは市街地がかなり広がっている。天気もとてもよくなり、晴れ渡る。ただし風強し。

宇和島藩は伊達

◆車中で、運転をカミサンに替わってもらっていた間に、スマホで宇和島藩を調べて予習をした。伊達なんや。長男だが正妻の子でなかったので、家康に頼んで領地を拝領、10万石で宇和島にやってきたのだとか(この地の名前は元は違うものだったが、新たに「宇和島」という名にしたのだとか)。伊達家が幕末まで続いた。政宗が付けた家老を、宇和島藩主初代が死を賜ったようで(対立する者に襲撃させた)、正宗が怒って取り潰しを願い出て、お家騒動となり、いきなり存続が怪しくなったらしい。和霊(わりょう)神社というのが、この家老を祀った神社だそうです。
◆まずはお城。入口の横に、ぴかぴかの観光案内所が新たにできている。

デンケン岩松

◆12月にデンケンになって、最新の市の広報2月号がその特集。それを持って帰れ、といただきました。まだマップなどは整備されていないようである。で、小西家本家というのをアメリカの財団の助成を受けて修復したばかりとのことで、案内いただきました。
◆この1月28日にお披露目のイベントをやったところという。常時開けるところまでいっていないので、中には入れなかったが、川沿いのこの修理がなされた建物を見に行く。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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