人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
七輿山古墳近傍の藤岡市の資料館
◆これはいつできたんでしょうか。前に来た時もあったのかな~。白
石稲荷山古墳を含めて、考古資料ほかがならべられている。
◆加えて、堀越二郎の展示もあるのと、藤岡駅前の高山社の展示がある。世界遺産は、富岡製糸場だけでなく、あと3つの構成資産からなり、そのうちのひとつが高山社である。
◆以下、藤岡市のホームページから。
高山社跡は「養蚕改良高山社」の創始者・高山長五郎(生没年1830~1886)の生家で、養蚕法「清温育」の研究と社員への指導を行っていた場所です。
長五郎は明治6年(1873)「養蚕改良高山組」を組織し、自宅で養蚕法の改良と組合員への指導を行いました。明治17年(1884)には「養蚕改良高山社」と改称し初代社長に就任しています。そのあと、教えを請うものが増えたため明治20年(1887)に藤岡町に事務所と伝習所を移し、自宅は高山分教場として後進の指導を続けました。
現在は蚕室(養蚕用家屋)と付属屋が残っておりますが、周囲にも蚕室の痕跡が認められるため、現存する建物だけでなく敷地全体が世界遺産構成資産、また、国指定史跡となっています。
◆加えて、堀越二郎の展示もあるのと、藤岡駅前の高山社の展示がある。世界遺産は、富岡製糸場だけでなく、あと3つの構成資産からなり、そのうちのひとつが高山社である。
◆以下、藤岡市のホームページから。
高山社跡は「養蚕改良高山社」の創始者・高山長五郎(生没年1830~1886)の生家で、養蚕法「清温育」の研究と社員への指導を行っていた場所です。
長五郎は明治6年(1873)「養蚕改良高山組」を組織し、自宅で養蚕法の改良と組合員への指導を行いました。明治17年(1884)には「養蚕改良高山社」と改称し初代社長に就任しています。そのあと、教えを請うものが増えたため明治20年(1887)に藤岡町に事務所と伝習所を移し、自宅は高山分教場として後進の指導を続けました。
現在は蚕室(養蚕用家屋)と付属屋が残っておりますが、周囲にも蚕室の痕跡が認められるため、現存する建物だけでなく敷地全体が世界遺産構成資産、また、国指定史跡となっています。
◆今日は卒業式。ブログをやめて、仕事しよ。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。