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人を幸せにする人になろう

でマエテン

◆最初、Sさんに連れて来てもらった記憶がある。で、残丘から八幡山を見る。このならびに、ものすごい数の古墳がならぶわけです。時期の下る小墳が多いのでしょうけど。多摩川台古墳群もそんなイメージ。が、この前橋の河川沿いの段丘縁辺にならぶ、この古墳群の総称の名前が思い出せないわけです。いま調べると、広瀬川でした。広瀬・なんとか古墳群とかなんとか・・・。
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前橋八幡山

◆びっくりする大きな前方後方墳です。何度か来ている。おとついの木曜日、元稲荷とか西求女に近いな、という話題になった。

2025年7月20日の久津川シンポ

◆ポスターが送られてきたので周知しておきます。発表するには、作業しないといけない課題が多くある。果たしてやれるだろうか。まあ誉田御廟山型でいいのですが。結論ではなく論理を。

伊勢崎市のお富士山

◆ここは歴博共同研究の時に来た時の記憶がある。線路で切られている様子も覚えている。で、後円部の墳頂平坦面に、長持形石棺の保存施設がある。
◆80歩として上石津と対比してみました。いかがでしょうか。図は早稲田のニュースレターから取りました。が、縮尺がちょっとおかしい。スケールバーを信用すると、墳丘は約150mにもなる。これを125mとして縮めた。アバウトです。

大室最後は後二子古墳

◆石室もいっぱい見て、どれがどれやら。大室のなかでの築造順も学んだが、忘却。繰り返し訪れ、忘れ、また学習し、ようやく頭に入るかもしれません。
【追記】前二子→中二子→後二子→小二子、だそうです。

太田市の大型前方後円墳の位置関係

◆太田市の大型古墳の位置関係。利根川近くに朝子塚古墳。入ったところの西に別所茶臼山古墳、東に天神山古墳古墳が築造されている。

大室・中二子古墳

◆前橋市もたいへんですね。国府・国分寺・山王廃寺、そして古墳がヤマほどある。大室古墳群は、役所勤めの頃の記憶では90年代後半に調査をしていた。今回が初めてです。
◆中二子の堤です。堤というのはこういうものなのだ。

大室・前二子古墳

◆大室古墳群に昨日に続いて訪れ、今度は古墳石室を見る。まずは前二子。まあそれにしても、群馬にはごろごろと古墳がある。こういうのが3基あるのは保渡田なんかと同じなのだろうか。いや時期が違うか。ごっつい周堤をまわした前方後円墳がいくつもある。堤というのは、このようにめぐらすもの、ということがよくわかる。
◆前期や中期までの開発地は河川沿いに限られ、5世紀後葉以降、より河川から離れた内陸部の開発が各所で進められるイメージ。利根川からかなり入り込んだところであるが、比較的平坦な土地が続いていて、未開だが開発可能な場所がいくつもあったのだろう。そういう未開の地に入植してきたヤツラなんだろうなと。それにしても立派な古墳群を形成している。
◆写真はうちの吉永小百合ですが、う~んと画像を落としておく。質問が寄せられたので(ブログのチェックが早い!)、なぜ吉永小百合かの答えを出しておきます。

再度、別所茶臼山古墳

◆ひとつ前のガイドブックに、ちっちゃな図があったので拡大し、津堂と比較してみました。なんとか125歩くらいで説明はつくかなと。いかが。

初日の藤岡市・伊勢塚古墳

◆ガイドブックがあったので、学生らに渡しておいたもの。いま見ると、表紙が伊勢塚なんですね。で、入手日が1992年2月8日とある。就職して1年目ですね。どうやって手に入れたんでしょうか。群馬県立博物館に行ったのでしょうか。県博に最初に行ったのは4回生の時で、前橋天神山の三角縁を見に行った記憶はあるが。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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