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人を幸せにする人になろう

いも虫ちゃう

◆こないだ、民家博物館の、合掌造りの建物に行った時、母・娘の2人ずれの、若い女性が、「なんでイモ虫がいるの」、と。これ、写真パネルだったと思うが。これはイモ虫ではありません、カイコです。
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12月15日の都城制研

◆の案内がまわってきて、これは行かな、と思いきや、この日は豊臣大阪城シンポ。ともに大阪歴 博を会場に平行して行われる。いつぞやと同じく、合同の打ち上げになるかもしれません。さて、どうしたものか。

出雲の図録

◆豊中シンポで話をしたNさんが図録を送ってくださった。面白そうである。読んでませんが見まし た。古墳から6世紀前半と後半のあり方の差がどこまであるのかは、文章を読まないといけないが、分布図もあり、一定イメージされているのだろう。6世紀史において目指すべき変わりない政策があるとともに、首長墳に現れるであろう政治的対応の差もあるに違いない。
◆6世紀中頃から後半の変化をどう説明していくかという時に、統制を図っていく上での優遇から抑え込みという政策的な段階差もひとつの要素。こっちが一般論。が、それだけでなく、中央の政変による主導権交替もひとつの要素ということ。どう考えていくかです。が、どっちが強く働いているというよりも、連動的とみておくのがよいのかもしれません。
◆それと6世紀中頃?以降の水利開発に頁を割いていることも注目できる。わたしも和泉で考えてきたことだが、古墳時代の研究も、群馬の地域開発の研究がやはり大きいのかもしれないが、6世紀における地域開発というところに進んでおり、古墳や群集墳を見つめることから、自ずからそういう方向で地域を考えることになる、ということだろう。
◆別途、関東の模倣坏と同じようなものが、九州にあることを知る。これいま卒論生とやっていることと関係し、とても興味深いものがある。
◆学ばせていただきました。歴史は地域社会の現場にある、ということですね。

小谷古墳

◆境部摩理勢の墓、でしょうか。活躍期は600年~628年。活躍期という言葉は、N先生のもので す。

2018年11月23日、オープンファカルティ 記事№4600

◆それ何?。2年前が初回。今回が2回目。グランフロントのナレッジキャピタルというのも、なん ともわかりにくい。タワーBだのCだの。2階を進み、どこがそうだかわからん。なんとなく、2年前の記憶で9時にたどりつけたものの・・・。服屋とかとごちゃまぜで。
◆16:00過ぎまで1日、仕事。勤労を感謝する休日なのですが。なかなか、入りは、寂しかったんとちゃいますかね。宣伝が足りないんでしょうか。
◆梅田北ヤードの西半分では工事が進んでいました。何になるんでしょうね。ほぼ無縁ですが。江戸時代の大坂7墓のひとつ梅田の墓地があり、また人骨がかなり出ている話を聞いたところだったので、ながめていました。

あとは省略

◆櫟本墓山古墳→帯解黄金塚古墳→帯解寺→西田中瓦窯→笹尾古墳→小泉大塚古墳→瓦塚古墳群(ドッグラン?)→三井瓦窯→仏塚→駒塚古墳→銚子丸古墳→斑鳩大塚古墳。

ちょっと戻って峯塚

◆フォトスキャンの結果を示します。羨道の前半が不足している。バシャバシャ撮っていると、フ ラッシュへの充電に時間がかかり、シャッターが押せず、学生らを待たせているので、羨道玄室より半分であきらめた。写真を追加する必要がある。
◆いちばん外に張り出している天井石の上をよく見ると、凝灰岩の切り石が顔を出しています。これ、すごい古墳ですね。ま、それでも高麗尺なので、620年代くらいなんだろう。物部宇麻呂の、もひとつ前か。テルちゃんがなんか言ってるだろう。

東大寺山古墳

◆恥ずかしながら初めて東大寺山古墳へ行く。案外簡単で、天理教会に入らせてもらい、事務所で  上がらせてくださいと一言声をかければ大丈夫です。簡単な資料もいただけた。かなり墳丘はガタガタです。

和邇下神社古墳

◆ハミ塚の封鎖を見て、岩屋大塚を見て、和邇下神社古墳へ。墳丘上に神社があり、前方部を北に 向けるが、墳丘も分断されている。で、石室天井石なるものを見る。これは珍品ですね。竜山石の天井石は、室大墓がそうだったか。津堂もそうだったか。津堂の天井石をいまガイダンス施設前に整理してくれている。が、ここのはそれより立派に見える。端面の加工は見事だし、側縁に縁取りがあります。佐紀陵山の天井石も竜山石なのかもしれませんね。

ウワナリ塚

◆石上大塚とウワナリ塚は、確実にその北の東西西名阪)を意識して築造したものだろう。
◆ウワナリ塚は石上大塚の隣。前方部は果樹園で、その先に後円部があり、石室が開口する。墳丘は110m、  玄室はでかい。
◆確かに、けっこうな規模です。石舞台と同じですね。が、石は十分大きいのだが、石舞台や塚穴山に比べると小さく4段
積み。奥壁も3段。天王山式とするのがよいのかな。
 ◆なんとなく、年代観からすると、尾輿〔活躍期534~662〕(石上大塚)と守屋〔活躍期572~587〕(ウワナリ)でもよいかもと思ったが、白石先生が既に言及していました。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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