人を幸せにする人になろう

4月26日、伊丹の現地見学検討会

◆車に荷物を積んででかける。地下駐車場に入れ、資料を午後の会場まで運び、JR伊丹駅に向か う。伊丹の町を歩くのはたぶん初めて。ず~と前に伊丹廃寺の瓦の整理に一日行ったことがあるのと、子供を連れて昆虫館に行ったくらい。
◆伊丹城(村重の時代に名前を変えたのが有岡城)からスタートし、西に向かい、城下町を継承する郷町の町並み。まず山陽道と有馬道の交点という交通上の要所らしい。そして猪名川べりの8mくらいの段丘崖を利用した築城。伊丹氏段階の町場もあるが、村重時代に大きく変えたという。そして廃城され、家臣団屋敷だったところにも町人が進出する。郷町について、午後、今井先生が話をしていた。東日本の農村のなかから町場へと発展してくるものと違い、畿内には町がすでにいくつもあって、それが江戸時代に町と村に行政上区分されたとき、この伊丹も行政上は村として把握されたに過ぎない。幕末で1万人を要する都市である。
◆そして酒造業。醸造したままのにごり酒は、すぐに酢になるらしいが、これを清酒にすることは、火を入れて変質しないものにすることとともに(ぜんぜん詳しくありません)、画期的な発明だったでしょう。それがほぼ1600年頃なのだそうです。どこが一番古いのか、それはわからないらしいが、ほぼ同じ頃で、そのなかで伊丹の酒造業が最も発展する。伏見や灘は後発とのこと。そしてこの酒造業によって江戸時代、城下町ではない町人の町として栄え、町人が独自の文化を育んだと、そういうことを学びました。

そのあとは国立公文書館

◆こっちも初めてだったが、とても面白かった。公文書館のエレベーターが中央にあるのだが、1 階の周囲が展示スペースとなっており、入り口から入って時計回りに見 て、また入り口に戻るという形。
◆サンフランシスコ講和条約の公布原本から始まり、自衛隊の創設とか、いよいよ本題の高度経済成長は、住宅公団、所得倍増、全国総合開発計画、黒4ダム、新幹線、名神高速道路、オリンピック、モノレール、新住宅市街地開発法(第1号が千里ニュータウン)、ミクソンショックなど。万博もたぶんあったと思うが、息子からメールが入り実験が終わったというので、終盤のところは流したが、最後のところに日本国憲法の公布原本があった。

東京で

◆待ち合わせまで、江戸城北の丸の科学技術館に寄ってみた。昭和39年というから半世紀、誰かと 同じである。面白いところもあるのだが、全体に見応えはなく、またくたびれていて、ホールみたいになったフロアが多い。がスタッフはけっこういる。ボタンを押したり、実験したりしながら、しくみを学んだりするのだが、新しい日本科学未来館の方が充実していよう。720円は高い。
◆写真は自転車の歴史で面白い。そして原子力発電の部屋。国策をベースに企業が協力して作っている。学校の見学がもしかしたら多いのかも知れないが、やっぱり未来館に行くわな。
◆以下、ウィキ

公益財団法人日本科学技術振興財団が運営・管理を行っている。科学技術館は、科学技術の知識を広く一般に普及する目的で開館され、現代から近未来までの科学技術・産業技術に関する展示物を中心に、実験型ワークショップ、科学教室、講演会も数多く開催されている。展示物はそのほとんどが「HAND'S ON STYLE」と呼称され、閲覧者自らが主人公となって「見て・触って・体験する」ことを念頭において、楽しみながら参加できる方式を採用している。展示物はいずれもテーマと関連の深い業界団体や企業、助成団体などが制作協力を行っている。
 また、館内にはテレビスタジオも設けられ、日本科学技術振興財団のテレビ事業本部として開局した東京12チャンネル(現・テレビ東京)のスタジオとして主に使用されたが、TBSのワイドショー『3時にあいましょう』もこのスタジオから生放送された。TBSの人気料理番組だった『料理天国』や、日本テレビ、フジテレビ、テレビ朝日などの在京キー局制作番組の一部もこのスタジオで収録・制作された。

◆だそうです。

まあなんとか

◆明日の伊丹の現地見学検討会。資料は刷った。カメラ、ハンドマイクは用意した。天気もよさそう。あとは適度に参加者が集まってくれるのを祈るばかり。たぶんわたしのミスで、連絡できておらず、見学地で行事とバッティングした。まずいですね~。まあ、しゃーない。なんとかなるさ。
◆荷物積んで帰ろう。

4月24日、東京

◆13時集合で9時過ぎの新幹線で東京へ。用事が済んでから、息子と食事する約束の時間まで、科学 館?と国立公文書館に行く。公文書館の展示が面白かったが、またおいおい。そこから待ち合わせ場所に行き、食事をする。
◆オバマ大統領とぶつかり警官だらけ。
◆帰ってきたら23時。メールをみたら、市大日本史の校正が3つ届いていて、それぞれ校正に振り、また伊丹の現地見学検討会の諸連絡等をやっていたら、いま25日の3時になった。明日は、翌日の伊丹のことで資料の印刷やら、持ち物準備やら、頭がいっぱいになりそうだ。
◆なにかと、こっちが詰めていないことも多く、迷惑もかけているように思うが、年1回の現地見学検討会も10回目だし、今回もその都度やることはやってきたし、あとは現場でなんとかするほかない、なんとかなる、かな。まあ、裏方に徹すればいいので。あとは天気と。昨年は、淡路の地震に当たってしまい、人数は少なかったが、今年は伊丹市さんに共催をいただき、そこそこ来ていただけるのではないかと思っている。どうなりますやら。寝よ。

谷9から上本町の地下道

◆を通っていると、ハイハイタウンのところで、吉野家の牛丼のなんともいえない匂いが漂ってきて、ついカウンターに座ってしまうことがある。が、すっかりきれいにされ、近畿日本ツーリストが入っている。トイレがきれいになったのはうれしいが。
◆そういえば杉本町のキヨスクも3月24日をもって閉まった。朝だけは営業していて、タバコをそこで買うようにしていて、おばちゃんとも仲良くなっていたのだが、4月に行くと閉店の張り紙が。

自由な議論を

◆昨日、電話がかかってきて、いろいろと話をした。これも農地改良。いちおう地元の要望ということになっているんでしょう。が、農業を継続していくために、条件整備するというのがひとつの言い方。大きな機械が使え、効率的な農業ができるよう、畑地の区画をむちゃくちゃ大きい単位にし、大規模農道が通る。遺跡はほぼ壊れる。発掘面積は膨大。それを有期の嘱託を投入し、とにかく掘ってしまおうとする。
◆そもそも論としては、そういう時代遅れの公共投資で改変することが、ほんとうにその地域の農業にとって役立つのか、そして遺跡という財産を食いつぶすことによる損失を考えないのか。そして0か100ではない、現実のところで、遺跡を掘らないでかわせるところを調整するとか。実際を知っているわけではないが、どうも聞いていると、公共事業最優先のようで、何も言えていないらしい。
◆そして調査は大規模。1人が25人くらいの作業員を見ていると。追いつけないと。掘っているのは、いい遺跡(具体のことを知っているわけではありません)。これ壊していいのかという思いも。有期の嘱託は、いろんなことをささやきあっても、正職とあまりそういう話ができないでいる。それはあかん。現場に立っている人間が発言しないと。別に喧嘩せよとか対立せよと言うのでない、埋文センターにいる人間が、ちゃんとフランクに議論すべきなのだ。そこがないみたい。まずそっからです。週1回くらいは、全員顔をあわせて、現場の進行を確認する、遺跡や遺構について理解を共有する、そして次週の打ち合わせをする、それくらいのことはやってほしい。そういう場面をとにかく設定し、そこで正職であろうが嘱託であろうが、意見を出し合うような、そういう組織であってほしい。

つづき

◆国道はよくなり、トンネルもできたと。が、村は・・・。カミサンの実家の、向かいも、隣も、もう無人です。おばあちゃん、おじいちゃんが、1人住んでいたのですが、なくなられるとそこまで。終末や休みに子がやってきて窓を開けたり掃除したりしているとのことですが、普段は誰もいません。
◆むかし役人だったころ、石川県の話を聞いたことがあります。道路がよくなると、これで金沢に出るのも便利になると。そうするとどうなるか。金沢に住むようになるのだと。帰ろうと思えば帰られる。やはり仕事がないということなのでしょうが。要するに道路がよくなると県庁所在地など都市部に集中し、過疎が進行するという話でした。道路がよくなろうがそのままであろうが、それを押しとどめることは結局は無理なのかも知れません。
◆TPPとかやっているけれど、例えば米は都道府県を越えてはいけないと法定するとか・・・。江戸時代は各藩のなかで自主財源でやってきたわけです。地方交付税もありません。人々が食っていく食料は基本的に地域内で賄われていたわけです。それに戻れといっても無理ですが、都市部は必要なものをえるために食料を購入しなければならない、それで営農が続けられるような仕組みも必要でしょう。安くなればいいというのでなく、維持していくための価格維持はやはり必要では。

ずいぶん前のことですが

◆NHKかなんかで、学校がなくなっていく特集を見ました。4月はじめだったかもしれません。東京都内の事例がまず紹介されていました。その対比で、過疎地が取り上げられているのですが、それがカミサンの田舎でした。和歌山県の高野山ふもとの山間地。長谷宮小学校は既になく、隣の毛原の小学校・中学校に統合される(これは番組では紹介されているわけではありません)。しかしその小学校・中学校も、もはや維持できないという話でした。児童は少なく、複数学年が一緒に学習し、体育もなかなか成立しない。かといって、さらに西の学校に統合するには、車でも30分?、それ以上かかり、困難だと。
◆そしてラストのイメージが、いまは動いている毛原小学校・中学校でなく、既に廃校となった長谷宮小学校の映像でした。

柏原市の郷土史を探る会

◆冊子が送られてきて、見ると、会を発展的に解散したとのこと。これまでの会報をまとめたものと いう。一度、話をさせてもらったことがあり、その時に入会もしたのですが、日常的にかかわることも難しく、1年で退会してしまいましたが、会長さんとは、その後も国分で顔を合わせ、挨拶するようになりました。そんなんで、わたしのところにも冊子を送って下さいました。
◆こうした会がなくなるのは残念ですね。ひととおりやってきたし、新しいメンバーが増えないということもあるのでしょう。一定年齢以上が主体としても、そのなかで高齢な方が退会するとともに、新しい人たちも加わる新陳代謝が望ましいわけですが、それも難しいのだと思います。ずーと運営していくのもきついことだろうと思います。民間のこうした有志の集まりは、その独立的運営が大事なのだとは思いますが、教育委員会は自分たちのサポーターとして、両者がより結びついた形で継続運営できるのが望ましいのかも知れません。Mさん、お疲れ様でした。わたしも、自分のできることを考えないといけません。
◆恵解山の長岡京市では、市民が自分らワークショップを作っていくことをめざし、いま募集を始めています。地元の歴史や文化を大切にしようという有志が集まり、相談して、自分たちでワークショップを考える。長岡京市は、そういう地盤作りをうまくやっていると、前々から感じている。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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