人を幸せにする人になろう

夏の出雲(3)上塩冶築山

◆築山古墳それに大念寺古墳という著名な後期古墳がある。そこで築山古墳の横穴式石室を見に行く。大きい道に面し、駐車場も整備され、懐中電灯も置いてあった。横穴式石室って、遺跡を見に来たという感じになるのか、受けがいい。石室や石棺が想像以上に大きく立派ということだが、ここでもみな感激してくれる。築山にきたのは、たぶん大学2年生の考古研の旅行以来だろう。その時はしかし、石室に入れたのかな?、確かな記憶がありません。
◆とにかく石室はでかく、石棺もでかく・・・。石室も実に美しいですね。十分、写真が撮れていないのは残念です。

夏の出雲(2)出雲弥生の森博物館

◆正式にはなんて言うんだっけ(出雲弥生の森博物館)。新たにできたもので、楽しみにしていた。むかし四隅現地には何度か行ったが、その南側に立派な博物館ができている(写真なし)。と ころが、なぜか、2階に展示室があるのだが、企画展示室と思い込み、それを見るつもりがなかったので、1階をながめると、とくに展示施設はなく、なんだこりゃと誤解し、遺跡現地に赴く。
◆丘を上がっていき史跡公園へ。3号墓には埋葬施設の表示がなされている。この発掘報告書は、まだ・・・なんでしょうね。隣に2号墓(写真)、史跡整備に際して新たに出雲市が調査し、復元した四隅である。墳丘北側が大きく削られているため、調査の上、なかに入れるような空間を作り復元し、3号墓をモデルに四隅墓の埋葬施設を復元的に示す。こういうの、埼玉の鉄砲山古墳が最初なんでしょうか。
◆そのあと、すこし離れたところの、神社になっている9号墓にも寄りました。いちばん新しい時期ではなかったか。
【追記】図録を見ると、かなり掘っているんですね。四隅の突出部もばっちりと検出されている。2000年代のことなんだろう。

夏の出雲(1)島根県立古代出雲歴史博物館

◆7月31日と8月1日にかけて出雲をまわる。2日間を十分確保するため、前泊とし、夕方、市大を出る。蒜山で晩飯を食べ、出雲市のホテ ルに入る。院生2、学部生2、プラス1、総勢6人。夜、ささやかな呑み会。
◆この2日間、前線が山陰に停滞し、石見など大雨があった頃だったが、小雨には少し降られながらも、ほぼ影響なくやり過ごせた。翌朝、まず出雲大社。イオスキッスは、喜界島以来不調で、出雲でも撮りたい写真が撮れていないものが多くある。出雲大社は、驚くほど観光客が多いとも聞いていたが、朝早くでもあり、そうでもなかった。
◆そのあと島根県立古代出雲歴史博物館。3度目?くらいだが、学生はほぼ初めてなので、ゆっくりと見る。出雲大社、風土記の世界、荒神谷と加茂岩倉、古墳、最初の部屋だけでもたっぷりと時間がかかる。次の部屋はなんだっけ、四隅に玉作、タタラ、銀山、ネタには事欠かず、勉強になる。が、このあたりの途中から、1日の行程を考え、やや時間を気にし出す。特展の神楽はパス。

それでもってコナベ

◆奈良に出かけるときから、コナベに寄ってみようと思っていた。宮内庁の護岸整備で、フトン籠 と植生土嚢などで、痛んでいる部分の保護と残存部とのすりあわせをやる方式になって、しばらく経つだろう。その様子を見に行ったわけである。満々と水をたたえ、前に事前調査をやった時、水を引いてどのくらい下が露呈していたのか、けっこうな崖面だったように思うが、きれいに整備され水も多く、なかなか想像はつかない。写真で言えば、フトン籠の基礎になっている礫面がどのくらいなんだろうと。安定が悪いようなところには押さえがある。
◆一度、施工している時期に見に行く必要がある。工事を監視するわけではない。200m級の大型墳の護岸の保護がいかに大変なことなのか、そいういうことも知っておく必要があるだろう。佐紀でいえば、ウワナベも同様で、こちらの方が規模が大きく、さらに大がかりなことになろう。

松井さんとばったりと

◆で、資料館の出口を出たところで、松井さんとばったり。コーヒーでも飲んでいくか、と誘われ、行きます、と。資料館の向かいにある、動物や年輪や探査などの研究棟に入るのは初めてだ。客員研究員の方もおられ、まあ平日も休日もなく働いてはるわけだ。
◆お2人から、いろんな本やコピーやらをいただき、感激である。なんでも中国で、世界の十大遺跡・十大発見というのを選定する会議があり、その話を聞いたりする。何十人もの世界の専門家を選定委員にして、何日か宿泊させ大がかりな会場で、世界の遺跡の価値付けを中国がやるという、なんとも中国らしい企画である。
◆そういえば、奈文研庁舎が建て替えられるという記事がすこし前にあった。その話もすこし。年内に仮設のものに移り、解体工事もはじまるとのこと。病院として建てられたのいつかは 知らないが、いよいよ建て替えである。とはいえ敷地面積も限られ、建坪率とか、まあ特別史跡の横ですし、高さの制限もあるだろうし、なかなか十分な容量あ るものはできないみたいです。

平城宮跡資料館に行く

◆そのあと、平城の資料館をのぞく。リニューアルしたのは2010年というから、しばらく経つ  が、奈文研に所用で行くことがあっても、のぞいたことはなかった。ずい ぶんと内装も変わり、古めかしさが払拭された。宮殿内の暮らしぶりの復元が大きく加わり、土器や瓦や木製品や金属などの、従来からの遺物の展示もアカ抜けた感じになっている。
もうちょっと何か書くべきだが、あまり丁寧に見ていない。今度、もっときっちりと見なおしてみよう。
◆奥のところに科学的研究のコーナーに加え、企画展示室ができ、動物の展示をやっていた。なかなか手作り感があって、よかった。写真に挙げた、段ボールを人形にくりぬいて、そこに説明をぶらさげている。文字はポップ調。どなたが、どう準備しているのか 、また聞いてみよう。
◆中央部の、見に来た子供たちが書き込んで木に貼るようになっているのかな?、うちの博物館実習の文学部60周年展の企画話の中でも、同じような参加型のツリーの話が出ていたことを思い出す。

条里制・古代都市研究会の委員会に行く

◆委員になったんですが、本日、はじめて委員会におそるおそる出る。会場は奈文研。朝起きたら9時前で車で行き、なんとかすべりこむ。知らない人の方がむろん多い。内容は大会のことや、現地見学会のことなど。事務局はたいへんそうですね。会員は360人ほどのようです。
◆どこまでお役に立てるかはわからないが、やれることをやります。大会2日目の事例報告の候補の話があったが、全国的な情報収集はたいへんでしょう。わたしも身近な世界しか知りません。来年3月でなく、その先の候補として大園遺跡の話をした。今度10月はじめに和泉市史の会議で、担当から研究報告があるので楽しみにしているが、8世紀の井戸やトイレや園地などから、いま和泉監ちゃうか、との意見が出つつある。和泉国の成立はおそく、8世紀後半で、そのあと、いまの和泉府中に国府が移るのでは、といったストーリーが構想されている。
◆ひとまず、来年3月の大会報告をやらんといかん。なにも新しいことをやるつもりはないのだが、考古の側の事例を、確かなことが言えるように、いますこしちゃんと調べることくらいはやろうかと。

実はイギリスに行ってました

◆8月末の1週間、ケンブリッジで開催される学会でカミさんが発表するのに、またついて行き、イギリスにおりました。初めてです。ロンドンでは、大英博、自然史博、科学史博などを見てきました(ビクトリア&アルバート博はやめました)。それとストーンヘンジ。ケンブリッジでも、まち歩きのほか、博物館をまわりました。オックスフォードのアシュモリアンミュージアムも行きたかったのですが、無理でした。
◆いろいろネタはあり、記事も書いているのですが、この間、あるいは8月中、いろんなことをやっていなかったりして、各方面に迷惑をかけていることもあり、取り返すようモロモロを処理しております。行く直前の3日間で書いていた原稿がちゃんと保存されていなかったこともショックで・・・。まあ、これはあまりひきずってはいませんが、けっこう力を入れた原稿だったもので。
◆おいおい、また道中の報告をします。

考古学(補遺)

◆考古学は遺跡による歴史学だと、考古学研究会大会のあとにまた書いた。当時から、異論のあるムキもあろうし、自分自身、確かに「遺跡による歴史学」だけでない違う世界もあるな~とは思っている。いわゆる文化史的研究である(モノ自身を極める世界もあるのだろうが)。
◆地域を越えた特定の文化現象の追求、これは考古学(だけではないが)のひとつ得意とする分野としてあると認めないわけにはいかないだろう。そうした広域にわたる、そして時間軸も長いのだろうが、そうした大きな展開、そこではモノの精緻な観察にもとづく具体的な関係の裏付けを与えうる考古学が大いに役に立つであろう。人を引きつける魅力もある。

集団的自衛権

◆こないだ、MBS報道するラジオで、安倍内閣の集団的自衛権に関する有識者会議のメンバーである大阪大学の先生、容認派と、外務省の官僚、不必要派、の2人を登場させ討論する内容の回があった。ぜんぜん話がかみ合わない様子や、中立的な立場で捌く毎日新聞の解説者(アナウンサーとは別の)と阪大の先生がケンカして終わる、という結末を含め、とても興味深く聞いた。
◆それを聞いて、いまの議論はいったいナヘンにあるのか、なにも自分はわかっていないと思った。いまは放送の中身を紹介する。阪大の先生は、まあ抑止力を言うわけです。集団的自衛権を認めることで、簡単に武力が行使できない、攻撃されなくなる、したがって実際には攻撃参加することもなくなるのだ、と。一方で外務官僚は、そういうのは日米安保で十分。簡単に日本本土が攻撃されることはありえない。いまの集団的自衛権というのは、アメリカが敵対的ということで、例えばアルカイダによるテロがあったと、でアフガンに派兵するとか、大量破壊兵器があるというのでイラクを攻撃したと、そういう作戦に日本も参加させるための議論なんだ、という主張。阪大の先生は、外務官僚の意見に対し、そんなのは、アメリカが攻撃され、それに対する自衛という性格でないから、そもそも集団的自衛権を行使して日本が参加することになるような事案でない、と。外務官僚は、しかし2007年の集団的自衛権に関する検討で(ペーパーがあるらしい)、4つの類型を上げて問題を整理しており、そのうちのひとつはイラク戦争などの場合ということが検討対象になっているんだ、と。互いに勉強せえ、とののしりあう。
◆勉強していないので、コメントの仕様もない。極論と極論のような気もするが・・・、それはわからない。ともかく一方が楽観的な先生、一方がカッカしてまくしたてるという印象で、専門家であろうご両人の、いま何を議論しているかについての理解の差の大きさに唖然とする。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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