人を幸せにする人になろう

朝日酒造の黒糖焼酎

◆チビリチビリやっております。喜界島の黒糖焼酎です。68386991.jpg
 

長崎市長の平和宣言

◆以下、引用。

 日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求めます。
 今年4月、ジュネーブで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明に、80カ国が賛同しました。南アフリカなどの提案国は、わが国にも賛同を求めました。
 しかし、日本政府は署名せず、世界の期待を裏切りました。人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、という文言が受け入れられないとすれば、核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を日本政府は示したことになります。これは二度と、世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国としての原点に反します。

◆ちなみに、理由は核抑止力は有効だから、ということらしい。政府は2度と唯一の被爆国なんて発言をやめよ。核抑止力は有効で、核兵器は必要なもので、我が国が原子力発電を推進し、311にもかかわらずやめないのは、中曽根氏が明言している通り、将来的には世界の大国として原子爆弾を開発・保持するためであるからです、と堂々と世界に向けて発信すればいい。広瀬隆の本のタイトルのように、東京湾に原発をならべればいい。消費地に近い方が効率がいいですよ。
◆田舎に帰った首相が憲法改正に全力を尽くすと言ったそうな。国の借金が1000兆円に達しようが、悲願は憲法改正、実態としてもっている自衛隊を、まっとうな軍隊と位置づけ増強することなのだ。

森浩一先生のご逝去を悼む(ちょこっと経塚古墳)

◆森先生が6日に亡くなられたことを、9日に知る。1年前だったか、手紙を書いて、鏡の写真撮影と掲載の承諾をいただいた。その時にいただいた返信のお手紙がどこかにあるはずだ。先生の影響を大きく受けた者ではないが、しかし考古学ファンを育て、文化財保存運動の上での影響力など、もうこんな人は出ないであろうと思われる学界を代表する存在であった。若くして影響力をもち、さまざまな文化人とも幅広く交友があり、その存在感は衰えることがなかった。
◆三角縁神獣鏡とか邪馬台国の点では、完全に見解を異にし、もちろん納得できないが、そんなことはどうでもいい。権威筋に対する気っぷのいい反論(むろん説得的な)という面も、ファンを形成する魅力であったに違いない。各地の遺跡を見て、特定分野に限らず、実に幅広い対象に対して独自の発想などを表明された(わたしは愛読者じゃなかったけど)。引き継ぎ考えていかなければならないことも多かろう。
◆ひとつだけ新ネタを。和泉市史テーマ編にちょこっと書いたが、堺市の経塚古墳のことである。『古墳の発掘』という影響力の大きい本のなかで、小林行雄の調査を痛烈に批判している。が、経塚の埋葬施設は、発見を遅らせたというのでなく、事実として検出ができず、ついには重機で掘り下げ2つの埋葬施設にあたったわけだが、未報告なので詳しくはわからないながら、ずいぶんと深い位置だったに違いない。これ、いま考えれば、墓坑はたぶんなく、墳丘後行型の古墳なんだと思う。埋葬してから墳丘を盛っているんだと思う。だからたぶん渡来系でしょう。信太にかけて5世紀後葉くらいに、渡来系集団を入植させていく、そういう一連の集団のひとつではないだろうか、と思っている。
【追記】同志社の方からメールをいただき、森先生がわたしのことをご存じだったことを知る。顔をあわせてご挨拶したのは一度だけではあるが(いや桜井茶臼山古墳の墳頂で再度お会いした)、名前を覚えてもらっていたことに感激する。あわせて、どういう点で名前を知ってもらったかという点でも感銘を受けた。どうも考古学のとらえ方ということのようである。とはいえ、理屈よりも、桜井茶臼山古墳やメスリ山古墳の測量をやったということかな、と勝手に思う。

龍野のまちもいいもんだ(9)

◆そんなんで、龍野のまちを楽しませてもらいました。写真をふたつ。ひとつは、龍野の町ならではと思われる喫茶店、そしてa88ca8e7.JPG武家屋敷資料館の入り口にあった説明板です。
◆県の条例による、景観形成地区の指定がなさc5490946.JPGれ、伝統的な建築の修理や再生など、古いまちなみの風景を維持していこうと努力しているようです。
 

龍野のまちもいいもんだ(8)

◆ところで、醤油の資料館で、巡り会いがあったのです。長尾タイ山古墳群の埴輪と須恵器である。高校2年の夏に、発掘しea929700.JPGた資料が、なんとここにある。1号墳の埴輪列20de8799.JPGの図面を書いたことを記憶している。何年かあとの大学1年の時、物集女車塚の埴輪列を書いた時は、実は2度目でした。説明によれば、あの山はヒガシマルの所有だったのですね。まあしかし、ここは醤油の資料館であって、やはり、あるべき場所に置いて欲しいものではあるが・・・。
◆現場終了後、埴輪は東洋大姫路で復元、須恵器は加古川東でオレたちが整理したものなのである。いちばん左にある、把手付小壺は、オレが実測したのではなかったかな。そのむこうの壺も・・・。『長尾タイ山』の報告書は、大学院入試に落ちた時に、ほかのものと一緒に売り払ってしまったのでしょう。それを、前に書いたように、是川先生にもう一度もらった(既に大学図書館に入れた)。この報告書、実は須恵器の実測図のキャプションのところに実測者の名前がぜんぶ入っている。気付いた人はご覧下さい。YやらKやら、Tやら、そして京大教授のY氏の名前もあるはずだ。
 

龍野のまちもいいもんだ(7)

◆醤油の資料館。同業者組合の建物だったものを、龍野の醤油造りの資料館にしたもの。入ったところにビデオがある。前にも4685f60a.JPG書いたが、こういのはいいと思う。おおよそのことをビデオで知り、それから展示室を見て回る。
◆ど4fd26154.JPGうなんですかね、この場所そのものが醤油を造っていた場所では962186f0.JPGないので、展示されている、いろんな道具や釜や、麹室などは、資料館にする時に、使っていたものを屋内に移したものなんだろう。去年も湯浅でひととおり話を聞いたな~と思いながら見て回る。小麦の麹に対して、米のは糀というのだそうである。
◆一画にはおみやげもの売り場もあり、醤油を買った。で、地元CDが置いてあり、「べっちょないか」という、その中に収録されている1曲のタイトルにひかれて買ってしまった(まだ聞いてません)。「べっちょないか」、わかりますか、この言葉の感覚(博多の人が聞くと、気恥ずかしいかも知れませんが)。「大丈夫か」「どうもないか」、というところか。
 

龍野のまちもいいもんだ(6)

◆城下町は、ほどよい規模で、さびれてもおらず、いまも基本的に人が住み続けている。店などはかなり閉めているものもある2ccb4f08.JPGとはいえ。そしてヒガシマルなどは揖保川のむこうに大きい工場を建てているが、先のカネイさん0772586d.JPGのように操業を続けているところもあり、近世の町が現在も、比較b13d8f62.JPG的町屋をのこした形で残っているといえる。町に流れる川沿いの風景はとくに風情がある。
◆そうした風景をいくつか。なかなか、いいところでしょ。

龍野のまちもいいもんだ(5)

◆エデンの東、という喫茶店に立ち寄る。町屋を店にしたもので、なかなか趣味的なご主人のようである。どれくらい暑かったaf7be671.JPGか、といえば、薄曇りでかんかん照りでなく、ちょうどよかったのだが、それでも暑いのは暑い。冷98806221.JPGたいモノで、のどをうるおす。

龍野のまちもいいもんだ(4)

◆醤油のまち。なんで醤油の醸造が盛んになったのだろうか。あとで紹介する資料館には説明があったと思うが、詳しいことはf68ea7ac.JPG忘却の彼方。水と小麦と大豆。大消費地に近く、大豆は岡山だったか。原料を集め、消費地に運ぶに適した場所だった、とかいった説明だったように思う。
◆いくつ醤油造りの家があったのだったか、昨年、湯浅も見学したところだが、かなり多かった。ヒガシマルが有名だが、写真はカネイという会社。そして、醸造所の前に、もろみの自動販売機がある。
 

龍野のまちもいいもんだ(3)

◆龍野神社の参道を降りて行き、城に入る。一画に資料館がある。いまパンフレット類がないが、読んだ記憶では、外様で御殿31aecd36.JPGを建てる城作りにとどめた、とか書いてあったと思う。原生林で有名な鶏籠山というのがあり(これ96ce21dd.JPGも高校時代のエクスカーションのメニューに入っていた)、山城跡があるそうだが、近世城郭はそのふもとなのだが、本格的な城作りを控えた、ということのよう。その御殿も、当時のものは残っておらず、いま再建したものがある。
 

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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