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砂沢遺跡と岩木山

◆2日目、砂沢遺跡、最北の弥生水田跡が見つかった遺跡に行く。が、ここは江戸時代寛永年間にため池が造ら4ddda572.JPGれ、改修を重ね、遺跡地は水没している。8・9月に水位が下がると陸地化するという。
◆要するに、砂沢→(宇鉄)→垂柳と変遷するが、砂沢は岩木山の東麓で、縄文遺跡がたくさんあるところで、みなさんの言うところでは、そうした自分のテリトリーのなかで水田を造ってみたと。場所は谷筋から水は引けたのだろうが、かなりの傾斜地である。水田に不向きなのだが、それが縄文人の最初の試みとして理解できるのではないかと。
◆しかしやはり、田地を拡大するにはもっと緩傾斜の方がいい。砂沢は短期間で廃絶するらしい。どうしたんでしょうね。失敗したのかもしれないし、水田適地を探して下っていったのだろうか。ため池の堤防から斜面下方を見ると、もうひとつため池があり、むこうには水田が広がっている。下りていったとしても、そう規模は大きくはあるまい。そうだとしても、現代までの農地整備で、弥生水田は失われているんだろうと思った。
◆弥生の水田や集落など、初期の規模の小さなものは、ここ青森にしてもほかにもあっていいように思う。この地域を含めて日本全国、いま見つかっているのはごく部分で、そのまま田地として使い続けるなかで、開墾で失われたものも多いんだろう、ということを考えていた。

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雲楽
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男性
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1964/03/22
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大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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