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人を幸せにする人になろう

人生あと26年

◆もうすぐ54歳・・・。このグラフを見ると、80歳で屈曲するんですね。
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2018年2月13日

◆中世史の修論3本の試問が終わり、日本史ではさらに卒論が午後続いているが、自分の分担はすべて終了。次は明日からの大学院入試。考古Mに外部から2人受験しているので、卒論の写しを読まないといけない。

近世の川之江

◆天守閣に模型がありました。川は付け替えられ、それがいま国道になっ ており、いちばんの繁華 街である栄町商店街は、川向こうの旧街道に沿う街並みを踏襲したもののよう。
◆そして製紙業。これ自体は紙の資料館に解説があるんでしょうね(残念ながら見れませんでしたが)。製紙工場の写真。臭う・・・
◆2月12日のこの日、20時、大阪城桜門集合で、豊臣大坂城の探査があったのですが、大阪に戻ってきて残る修論1本を読んでましたが、ごめんしてもらいました。寒い中、ご苦労様でした。

そのあとは

◆金生(きんせい)川を対岸にわたり、再び駅方面に。まず考古資料館が ある。向山古墳の展示も してあったが、全体に古い展示のまま。展示室は1階の1室のみだったが、もっといろんなことがやれるだろう。で、川之江なので紙の資料館というのがあり、楽しみにしていたが、考古資料館の裏にある紙の資料館は休日閉館してました。残念。
◆そこから天守閣をめざす。山の上に天守閣がそびえ、川之江は城下町なんだと思ったがそうではなかった。城は古くから確かにあったのだが、近世初頭には廃城となったらしい。いまの山頂の城は、昭和50年代の(おそらく勝手な)復元物のよう。たぶんそれにともなって、実際にあった城跡の遺構も失われたのではないか な、と想像する(違うかったらごめんなさい)。いちばん上の展望台に行くと、瀬戸内海が一望できる。また、天守台の一画に考古資料の展示もあった。作り物とはいえ、展示施設があるわけだが、入ったところでもらうパンフレットにある程度の、川之江城の歴史とかの解説もなかった・・・。近世の歴史についても、せっかくの空間や壁面を使って展示できるのに、そうはなっていなかった。

2月12日、宇摩向山古墳を見る

◆翌日、朝から歩いて古墳に向かう。須恵器の刻書で「馬評」というのが採集されているらしく (これが岡山県博にあるんだとか)、それが宇摩という2字に8世紀になったよう。
◆うっすらとした雪化粧のなか、大型長方形墳を見る。西側の第1世紀室は巨石墳。まあ石舞台式相当かなと思われる。東石室はもっと大きいのだが、まだ発掘はされていない。北辺と東辺の区画溝が出ており(西側は段差?)、南の前面側でも規定石が見つかっていて、墳丘規模が復元されている。なんと東西長が70m。電卓をたたくと46歩かなと推測できる。いや~感動しました。ワクワクします。
【追記】2月13日、注文していた報告書が届く。発掘で出土した須恵器から初葬はTK209にさかのぼるとしている。まあ、ええとこです。

川之江にむかう

◆卒論・修論試問、第1日(9日)・第2日(10日)がなんとか終わる。なにかと行事が前倒しになって、院試が半端 な入り方になったため、試問がいつものように平日の連続する2日でなく、金に加えて土曜日も入り(これは量が多いから)、そして3連休をはさんで13日(月)となる。
◆今日11日は、211集会に出たあと(東京では建国を祝い、明治150年をよかったよかったという集会が開かれたとか)、四国中央市、川之江の宇摩向山古墳を見にでかける。特急しおかぜはアンパンマン仕様である。
◆後輩に店を聞いたら教えてくれる。2か所とも日曜休業だったが、近くの店に入る。修論はあと1本。

フォトスキャン測量

◆昨夏、調査区の等高線を例えば10㎝刻みで入れたりするところまでいった。そうなると、もう手測りはやめよかと。むろん、任意点のデータで等高線をPCに書かせるわけでなく、実際の墳丘形状を3D化しているから虚測ではない。1点1点落としていく、あの醍醐味はすてがたいのだが、もしうまくいくなら、情報量的には25㎝コンタに負けないはずである。
◆いきなり200mの前方後円墳はたいへん(だいたいが無謀ですが)。そこで月末に久津川でやってみようと思います。久津川の測量、線路東側の南端部がちょこっとだけ残っていて、それを月末にやることにしている(測量報告もせなあきませんね)。だが、史跡地外の街路、ここも遺構は広がっているし、過去の城陽市の調査区を落とし込むうえでも、周囲を図る必要がある。が、しかし、墳丘とちがって街路の輪郭を測っていくのは面白くもなんともない。
◆それならフォトスキャンでやっちまえ、と。なので、できれば月末の前に、1人行って、周辺をブロックに分けながら写真を撮り、穴がないかどうかチェックしながら、画像そのものは得て、ブロックごとでいいのでマッチングをしてしまう。で、月末に学生らが測量に入る時に、残りを終わらせた後、街路の不動点の座標を20点とか落としてもらえば、あとは内業ということになる。
◆望ましくは、写真を撮りながら、不動点を決めて、写真を撮影する際も、そこは鮮明に見えるよう な画像も撮っておけば、よりよいかな、と。市街地だとマッチング用のマーカーも不要だろう。
◆西陵にむけて、どんなふうに作業をしようかと頭でイメージを作って行っております。で、まず久津川街路で、と。
◆あとはドローン。年末にようやく飛んだのですけど(右写真)。でもまだそこまではいかんな・・・。

西陵

◆西陵の測量をやろうと動いております。どうなりますやら。いちおう、大型前方後円墳の測量はうち とこの基本路線。大阪府でいえば、摩湯、松岳、に続くもの。測量の経験を学生・院生らにしてもらう。こっちの研究面では、技術的にはフォトスキャン測量を今回は試みたいと。ほんとの研究面では第3の系列の証明ですね。ウワナベ・西陵・芭蕉塚、このラインを明らかにしたいと思っています。それを巣山・築山までつなげられればいいのですけど。
◆研究費の残額の仕事もし、今日の事務仕事はこのへんで、
◆修論1本読み中・・・。

地域研究なくして文化財保護なし

◆N大Sさんからメールをいただきました。文化庁の講習会が福岡県であったそうで、2日目のシンポジウムは《埋蔵文化財の保護と地域研究》だったそうです。「地域研究なくして文化財保護なし」ということが確認され、大変重要な記念すべき講習会だったと。「お役人であるが、専門職。専門がいないと、文化財のことはわからんし、それを活用していくのもできない。そして文化財をより深く理解し、総合し、地域の歴史や文化を復元していくこと、それなしに判断や使い方、すなわちこれからの地域づくりも考えられないんだ」、ということ。まずは自分たちがそう自覚することから始める必要があるのでしょう。

文化財専門職員の数

◆亡くなった福岡県の橋口さんが、昔、1万人に1人、といっていたのを思いだす。都道府県にも人がいるので、半分で考えていました。例えば大阪市は人口269万人だそうです。なので134人いるわけです。22万人だったら11人、13万人の市なら6.5人。これが目標です。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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