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人を幸せにする人になろう

芭蕉塚

◆芭蕉塚は大仙型だと思っていて、誉田御廟山から大仙の間に河内政権の主導権交替を考える自説 にとって、なんでやろと思ってきた。そんなところは普通はない。備中も昨年来、造山と作山は別系譜で、河内政権と結びつく勢力は交替したと考えており、岡山大学のN先生も同意見である。で、久津川では誉田御廟山の次に大仙型があるのは理解に苦しむところであった。
◆資料の作成をしていて、これを大仙型というのは強弁やわな、無理やわな、と。前方部はより細い。そうか、ウワナベだと。第3の系列というのは、巣山古墳の測量図が整備され、津堂と同じではないことが確定し、先立つ築山以来の伝統として前方部が開かない系列があると理解していた。新木山もそうかもしれない。で、ウワナベもそうで、西陵はウワナベ型だ、という結果図はえていたところである。葛城氏で独自の200m級の前方後円墳を保持していること、一時的かも知れないが、佐紀東群のウワナベもそれにつらなり、淡輪紀氏ともつながる、と。允恭即位によって基本的に大きく転換するが、葛城氏も雄略期にも弾圧が続くように、允恭即位でぜんぶ押さえ込まれたわけではない。允恭期に反主流派同盟のような提携をして、抵抗を見せたのではないだろうか、と。久津川の勢力はそうして芭蕉塚1代はそれで持ちこたえたが、雄略期には押さえ込まれた、そんな筋書きはどうだろうか、ということを考えました。
◆やはりちゃんと第3の系列をやらなあきません。ちなみに島の山もそうですが。
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まあいろいろと

◆やっぱり地図作りから始めるも、古墳の名前を入れる余裕もなく・・・。  
◆いただいた資料を見て、いちばんショックだったのは、Uさんの図の寺戸大塚の現地説明会資料にもとずく前方部の姿。大阪府のHさんの向日市の報告書に書いていた記述から、京都市の発掘で柄鏡形でない成果がえられているという情報はもっていたが、図を見たのは初めてで、まあ頭をかかえる。発表時も舞台上で頭をかかえました。検討をやり直さないといけません。
◆妙見山は行燈山型かなと。
◆米軍写真を見ると、久津川車塚の横に前方後円墳らしきものがありますね。以前から言われてき たものの、否定的な見方が強かったようですが、その後の昭和30年の地図に高まりが記録され、米軍写真では前方後円形に見えます。

なんとか無事に週を越えました

◆土曜日の木津での講演会(画像の企画展にちなんだ記念講演会)。木曜日に大学泊、ほんまにカンテツし、昼11時頃までにはなんとか資 料を作成する。早く送りたかったが、11時以降は会議が続き、終了後の16:00頃、なんとか山城郷土資料館の担当者に送信する。17時まで別件の仕事をしたあと、パワポ作りに取りかかる。帰宅し、2晩徹夜というわけにもいかず、床にダウンし眠り、また4時半には起きて(緊張感で目が開く)、作成を続ける。研究室のデスクトップのバックアップハードディスクを駆使し、これまで作ってきたスライドを選んでは貼り、今回作成した山城の前方後円墳の検討図を、資料ではモノクロだったが赤とか色をつけて投影画像として見やすくしながら織り込んでいく。
◆なんとか仕上げ、12時に会場に到着するためには、高井田11:20だったか、駅に向かう。ノートPCが諸事情でアウトなので、ほぼ仕上げて家を出なければならない。まあなんとかやって・・・。大和路線が10分遅延で、木津駅着も12時くらいと遅れたが、Oさんが出迎えてくださり、会場に向かう。乙訓の古墳群について話すUさん、久津川古墳群について話すKさんは既に到着している。昼ご飯をいただき、データをPCに移し、なんとか一息。
◆14:40~16:10まで1時間半しゃべる。まあなんとか欽明期くらいまで到達。前方後円墳の廃止の話は時間がなくカット。まあ、およそひととおりしゃべれたかな・・・。参加者は150名くらい?。
◆17時くらいの木津駅発の大和路線に乗る。このまま天王寺まで行って、今度は翌日曜日のパワポ作りをしようかとも思ったが、まあ家でやれそうなので、高井田で下りる。

ああ天理の資料は出した

◆日曜日は天理。桜井との差別化も必要。急遽、黒塚と行燈山古墳にも触れる。あとはパワポだが、これ前日晩の徹夜ですかね(が年ゆえそう簡単ではない)。さて前日土曜日の木津での山城の古墳。まあ無理だわな。できる範囲で。まとまった時間はまずない。ちょこまか。おまけにノートPCが壊れ、新しいのは来たが、切り替えるのも手間。まあ言い訳はよし。覚悟を決め、なんでもかんでもでけへんし、しゃべれるところだけ、早く資料を。打開するため、今日は研究室に泊まりかな。

ああ山城!

◆22日の土曜日に、山城の古墳についてしゃべらないといけないのですが、どうにもこうにもなら ん。この土日しかなく、せっせとやってはいるのですが、あんまりです。梅本さんの編年表を見て、文章を読んで、大学1年時代にコピーした古い報告書のコピーなどをかき集めてはいるものの、新しいところはまったくもっていない。わたしの知識は90年代止まり、とほほです。

申先生ご退職お祝いの会

◆わたしに参加資格があるのかわかりませんが、案内がまわってきて出席すると返事。17時、森ノ 宮KKR。山城シンポの仕事をしていてハッと気が付けば16:30、遅刻!。おまけに八幡丘陵の古墳の文献を読んでいて、大阪城公園駅まで乗り過ごし・・・。着は30分遅れ。
◆会場に入り、空いている席をさがして着席。隣は初村君であった。式は乾杯の挨拶の最中。主催者側の挨拶に、申先生のご挨拶もあったが、聞けず。偉い人たちの席には近づかず、2次会を含めて、久しぶりの人たちといろいろと話をすることができました。そこそこワインを飲む。1次会の終了時には会場から外へ出たところで記念写真。カメラマンの滋賀県Tさんにカメラを渡し、ちゃっかりと生画像を撮ってもらいました。2次会は同じホテルの6階へ。終了後、森ノ宮駅に向かい、3次会に行く人は行く、まあここまでと帰ってきた。
◆申先生には、2003年の約40日の在外研究、直後のCOEがらみの釜山の文化財保護の取材、歴博共 同研究で韓国へ行った際、4世紀の土器の勉強をしたく延長して釜山大博に何日かお邪魔をするなど、その都度、たいへんお世話になりました。この日、昔の映像が投影されていましたが、そのなかに私も1枚写っているのがありました。九博での歴博との年代についての研究会に赴き、そこでも打ち上げで話をさせていただきました。そして2008年の府立博物館の存続問題の時、わざわざ来ていただいたことも忘れられません。そう、釜山大の考古学科記念論文集の時、電話で寄稿依頼されたことも、とてもびっくりしながら、ありがたく、感激でした。
◆常連のみなさんや、留学していたみなさんほどの関係ではありません。しかし、先生に受け入れていただいた2003年の在外研究、この時韓国の遺跡を見てまわったことは大きな財産であり、また大成洞はじめ、わたしの古墳時代研究の視野を広げる大きな転換点になった。心より感謝申し上げます。先生のご健康と、ますますの活躍を、ささやかながらお祈り申し上げます。

おまけ

◆ちりめん街道の旧尾藤家を見学した時、おいてあった家訓。それと街道に面したお寺の表に掲げ られていた書です。

2016年10月14日丹後

◆旧野田川町の丹後ちりめん歴史館を見学したあと、旧加悦町の伝建「ちりめん街道」を散策す る。織機の音がそちこちから聞こえてくる。旧尾藤家住宅の見学や、杉本家や西山工場など。
◆そのあと加悦鉄道資料館に行けばよかったが、宮津に向かう。途中、ニシガキで魚や寿司を買う。
◆宮津。いまはやっていない資料館の入っている「歴史の館」をのぞく。ここに掲示されている宮津のまちあるきマップがいいんですけど、そのあと駅の観光案内所でもらったマップは、より詳しいが単色のマップだった。近世城郭があり、城下町なんだが、核としての城がない。川筋のところに雰囲気を出す塀と、移建された門があるのみ。川の東側、小学校などになっており、川べりで解 説板かと思われるものを見かけたが、車で通過したのでわからず。まちあるきは、インターチェンジから海へまっすぐにつながる南北道の西側、円弧をえがく2本の街路沿いが雰囲気がよくのこっており、重文になっている旧三上家住宅などを見学し、帰途につく。

網野銚子山古墳を見る 記事№3500

◆来週行けないので、金曜日にでかける。京都縦貫道をはじめて使う。前方部前面ほか、整備に必要な確認調査のだめ押しの調査。昨年前方部東北の周溝コーナーがきれいに検出され、今回の調査とあわせて、東側側面の外縁区画の状況がとらえられてきつつある。墳端は畑地としての開墾等で削り込まれているため、基底部含めて既に失われており、定点はえられないものの、下面テラス、下段斜面、裾部と、新たな測量図にもとづく全体的な斜面やテラス面の寸法と、発掘で確認された墳丘残存面の推移から、一定の無理のない推定復元はできるだろう。
◆午後、秋晴れの中、加悦にむかう。

大阪市の博物館群の独立行政法人化+府立博物館も

しばらく前に新聞発表されていました。大阪市のHPから。

見直しの方向性
・博物館施設(大阪歴史博物館、市立美術館、東洋陶磁美術館、自然史博物館、市立科学館)を一体運営する地方独立行政法人を設立する
※大阪城天守閣については、大阪城公園の観光拠点化を推進するため、大阪城公園パークマネジメント事業を導入するのに伴い、公園と一体管理を行うため対象外とする
・なお、府の3博物館(近つ飛鳥博物館、弥生文化博物館、日本民家集落博物館)も一体運営の対象とする
・動物園は、当面、利用者目線での課題改善と並行して「天王寺動物園のあり方」の検討を進める。あり方の検討結果を踏まえて、経営形態を改めて検討

実現時期等
    地方独立行政法人設立(平成31年度)

目的・意義
    大規模展覧会の誘致・開催等により都市魅力の向上に貢献
    自主性の発揮や民間等の積極活用による利用者サービスの向上
    サービス向上による増収と経費の見直しで、公費支出を抑制
    業務改善サイクルの確立と、成果公表による透明性の向上
    地域の自然や文化遺産を次世代に確実かつ安全に継承

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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