人を幸せにする人になろう

淡輪古墳群

◆前にも出したかと思いますが、再度、掲げておきます。大阪府の『西陵』の報告書は実は見たこ とがない。元図は、おそらく『なんとかと倭の五王』とかいう青木の本だったような気がする。それも昔の粗いスキャン図しかない。本が見当たらないもんで。昔の港はどこだったんでしょうかね。

堺市での講演会が冊子になったが

◆自分のところ、ちょっとひどいですね。忙しくて、1回校正したくらいで、あとは任せたのかな。 でも、それだけでもなく、全体として編集側が気をつけてくれたら、と思うところも多々ある。でもまあしゃーないな。

まあ、そんなんで

◆昨日月曜日は、時々、意識もうろうとなりながら夕方梅田に行き、大歴の委員会、終了後、飯を食って帰宅して、缶チューハイロング缶1缶呑んで、そのまま朝まで寝て、火曜日の採点2日目に臨みました。
◆それも終了し、この1週間ほどの後始末をやっております。

久津川続き

◆2日目、いちおう、西側街路も一通り撮影した。ノートPCでアラインまでやり、だいたい90%程度アラインされてれば成功と思って、次の撮影に進むというやり方。高密度クラウドまで確認している余裕がないので。
◆そもそも写真のマッチングもまだ不安定ですが、これをもって帰って、高密度クラウド合成をやると、これが必ずしもうまくいっていない、ということがよくわかる。ひととおりのブロックについて、帰宅してすぐそこまでの処理をしておいた。その先、メッシュ張り、テクスチャーまでやるとなると、また時間がかかる。結局は内業が増えるので、現場作業で絵を描けば基本終了となるのと異なる。いつやんねん。ダメなブロックは再撮影、座標は?・・・。キリがありません。トータルステーションで絵を描いた方がよほどストレスにならないかもしれません。難しいところ・・・。

2018年2月24・25日、久津川車塚の測量

◆そう、まだやっておりました。が、史跡地内は今回で終了しました。トレースせなあかん。 で、街路です。24日に、東道路の北から写真を撮り直し、要領をつかみ、アラインするようになりました。なぜだか、道の片側から撮った写真はアラインするのに、墳丘側から撮った写真がはねられる。あとは、デジカメの画像をLでなくMにし、最後はSにした。とにかく重ねを十分に撮って枚数を50枚から60枚くらいで一区切りにするくらいがストレスがなさそう。2日目はSにしたが、帰ってきてやってみるとイマイチなので、Mくらいがいいのかもしれません。1枚5メガくらい。80枚を超えてくると、処理に時間がかかる。
◆一部をお見せします。早い段階の東の街路なので、長さはあまりかせげていない(それだけでなく細部はゆがんでいたりしますね)。下が墳丘側、上が住宅地側。これで、4点、座標を落としてやるとオルソーはできる。ほんとは、こうしたブロックをデータ上で(どの段階のデータがいいのでしょうね)合成してやり、もう少しつながった広い範囲で座標を落としてやるのがいいのかもしれませんが、技術が追いついていません。東側では9分割くらいになっています。もう少し1ブロックを長くしたいところですが、西側の経験からすると精度がついてこないようです。
◆これでL画像が62枚で、61枚がアラインされ、タイポイント2.7万点。高密度クラウド820万点、メッシュ49万。これだと多すぎるようです。処理時間は調べたらわかりますが、けっこうかかっているんだと思います(1時間とか)。このあと、容量を落として、50枚程度だと、高密度クラウドでも10分程度で3D化していたように思います。
◆とはいえ、25日の2日目も、こっちが休みなく働き疲弊していて、ほんとは東側街路について、画像を見ながら道路上のポイントの座標を計測していけば、仕事が終わっていったんですが、やめました。2日目の史跡地内の測量が15時半までかかったことも理由ですが。なので、再出撃が必要です。
◆この日、結局、17時前には家に戻りましたが、ある書類を作り、月曜日の大歴委員会の資料を作るのに徹夜しました。月曜日は採点でしたが、頭は比較的シャープでした。

閑話休題

◆息子が20日から23日まで帰ってきてくれ、母親の実験の準備の手伝いをしておりました。またプ ログラムをすっきりさせる宿題をもらっておりました。こっちはこっちで、注文したアイパッドミニが届いていれば、23日にドローン用にセットしてもらおうと思っていましたが、未着でそれはできませんでした。国分でいちばんうまい料理と酒を出す店に連れて行ってやりました(右写真)。
◆娘は、23日からニュージーランドに行き、地質屋のおっさんらと旅をしております。大学院の入学手続きができないので、事務室と相談し、大阪に書類が送られてくるようです。函館への引っ越しの段取りはできとるんかいな。
◆なお、就職する息子は、当面、研修で品川の本社に行くようですが、いまの下宿の更新書類が来ていて、どうするか聞きましたが、いまのところから通うので更新するとのこと。まあ、最後やし、更新料は出しといたるか。
◆もひとついうと、

2月27日の新聞から 記事№4100

◆自民党の憲法改正論議。自衛隊は戦力ではないんだと。
◆業界の労働管理をしなくていいという悲願に応える安倍政権が、でたらめのデータにもとづき理屈を作り、なにがなんでも通そうとする悪法。要するにまったく必然性がない、ということ。
◆不発弾が見つかったとき、土地所有者は500万円を払わされた、との愕然とする記事。そのために自衛隊を囲ってるんやろが。
◆キーボードが扱えない若者。
◆これは新聞ではなく、採点しながら思ったこと。文部官僚はいっぺん採点すべきだ。

2018年2月23日、陵墓(四条塚山古墳)立入り観察への参加(3)

◆昼ご飯を食べて、14時からの立入り観察に向かう。径16m、高さ3.5m程度の円丘に、八角の石 柵がめぐる。近世?文献には、石棺の角が見えているといった記載があるらしい。古墳でない、と否定することは難しいよう。
◆神武陵に関する論文などを読み直していないが、当日の説明で学んだこと。元禄期にはこの塚山が神武陵と考えられていたが、幕末に、ミサンザイ(ジブデン)、丸山とする見方が発表され、3か所が候補となり、谷森がミサンザイ説で、決められないので文久2年に孝明天皇がミサンザイに決めたのだとか。当時の様子としては、ミサンザイには小丘2つ、丸山は現状で古墳らしい様子はないらしい。7世紀の神武陵は「畝傍山東北陵」との名称で、それに該当するこの地域で探索が行われたわけである。
◆藤原京建設で削平された四条古墳群は5世紀代を中心とし、径70mの大円墳も削平されている。なんで塚山が残っているのか、という問題。それと石棺か、石室か石槨かわからないが、まあ5世紀代のイメージにはそぐわない。それと、元禄期に神武陵として整備された際に八角形の柵が設けられていることが気にかかる。八角の発想はどこから来るのか、ということ。残丘の円に対して、四角でなく切り詰めて八角にした、そういうことかもしれないが。
◆もっとも古墳らしいもので、径15m程度とはいえ、藤原京造営時に削平されずに残された。発想を逆転させれば、平らに京域街区を整備した時点で、そのなかに高まりが平然と存在していた、→天武・持統期の神武陵ちゃうんか、と。天武が壬申の乱の時に神武陵に戦勝祈願を行った記事があり、その時にはあった(だったらいつ作られたかというのにもいくつか説があるようだが)とみられているが、これはそのまま信じるわけにはいかないように思う(正当化)。前身があったかなかったか、それはわからんが、王統譜を整備し確定させ記紀をまとめる天武・持統期に、始祖墓を整備することは必然的にあったであろう。それちゃうんか、と。また、造るとすると八角墳だろう、と思う。元禄期に八角の柵を設ける必然性があったんではないか(これは憶測)。

2018年2月23日、陵墓(四条塚山古墳)立入り観察への参加(2)

◆「おおくぼまちづくり館」、正式名称はこれでした。展示もなかなかで した。ビデオも3本あり、 うち1本の13分のを見ると、洞村移転の概要を知ることができる。神武陵の整備・拡張、橿原神宮の整備拡張、洞村移転、一帯としての整備、これらがわかるようになっているのだが、これ別々でなく、1枚もので変遷がすべてわかる図ができるのに、と悪い癖だが思ってしまう。

2018年2月23日、陵墓(四条塚山古墳)立入り観察への参加(1)

◆2月27日、入試の採点業務も終わり、一息ついている。
◆2月23日、神武陵と洞村の見学。元、ミサンザイ。幕末にふたつの小丘があり、それをコアに神武陵 が作られたのだそうです。そのあと、その西南、畝傍山の東北裾部にあった洞村跡を見学する。100戸を越える大きな村だった。移転前の写真も残っている。
◆その背後の畝傍山山麓に、神武陵のもうひとつの候補であった丸山があるのだが、神武陵の付属地ということで、これは本庁での許可がいるらしく、上がっていくことはできなかった。
◆そのあと「おおくぼふるさと館」に行く。洞村の移転先となった場所にある記念館に行く。明治期に神武陵ができた段階ではそのままだったが、神武陵が拡張整備されていくなかで、それを見下 ろす場所にある洞村が移転することになり、こうした労苦を後世に伝え残す記念館である。元の建物の建築材を切り縮めるなどして移転地に移り、その昔ながらの建物も20年前まではあったようだ。が、なにせ限定された移転地に詰め込まれ道も狭く、20年前に街路を整備しての再開発がなされ、その時にほぼ新しい建物に変わったとのこと。しかし、この記念館のみは元の建物を残し、展示館として開館したものである。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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