人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
2月1日、今日から免停
◆意見聴取があり、免許を取り上げられ・・・、本日から90日の免停。取り上げられるんですね。で、
また満了時には取りに来いと・・・。ゴールドまでもうちょっとだったんですが・・・。
◆7月はじめの日曜日の朝9時、ほ とんど車のない阪神高速堺線で、60㎞のところ50㎞オーバー、オービスに引っかかり、一発免停。意見聴取も集団で、ひとりひとり前に出て確認をしていく。その多くが阪神高速だ。急なカーブの所など、最高50㎞のところもある。が、ぴかっと光ったところは、大阪の都市部のぐにゃぐにゃを抜けて直線的になったところだと思う。高速道路なのに60㎞制限で、50㎞オーバーの同じ事情の者が多かった。これ、どう思います。
◆そんなんで門真に行く。足が腫れている。講習に行き試験で点を取れば45日になる。が、長期講習で丸2日かかる。2.6万円。また金かかるし。3月の上旬くらいに行くかな。
◆7月はじめの日曜日の朝9時、ほ とんど車のない阪神高速堺線で、60㎞のところ50㎞オーバー、オービスに引っかかり、一発免停。意見聴取も集団で、ひとりひとり前に出て確認をしていく。その多くが阪神高速だ。急なカーブの所など、最高50㎞のところもある。が、ぴかっと光ったところは、大阪の都市部のぐにゃぐにゃを抜けて直線的になったところだと思う。高速道路なのに60㎞制限で、50㎞オーバーの同じ事情の者が多かった。これ、どう思います。
◆そんなんで門真に行く。足が腫れている。講習に行き試験で点を取れば45日になる。が、長期講習で丸2日かかる。2.6万円。また金かかるし。3月の上旬くらいに行くかな。
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茄子作
◆行くとき、第2京阪の交野南で下りたのだったか。途中、茄子作の村を通る。いや農村風景がよ
く残っていて、びっくりしました。通り過ぎてしまいましたが、改めて訪れたいものです。ストリートビューでイメージを。
◆あとは香里園。弾薬庫の話。持って帰ってきた資料をいろいろ読んでいると、3箇所ほどあったような・・・。大爆発を起こしたものがあること、府文化財センターも発掘していたことは知っているが・・・。そのへん、不確かな知識しかない。調べました。香里は火薬製造所。煙突など、いくつか残っているらしい。禁野が弾薬庫で、1939に大爆発があったらしい。いま香里ヶ丘という火薬製造所のあったところに住宅公団が作った団地は、公団の最初期のもので、1958年入居開始で、東洋一の団地といわれたらしい。ロバートケネディとか見学者が多数訪れたとのこと。多田道太郎が住んでいてサルトルとボーボワールが訪れたとも。
◆禁野の弾薬庫も住宅公団が開発したらしい。中宮団地というらしい(1956)。センターの発掘はその建て替えによるみたいですね。
◆あとは香里園。弾薬庫の話。持って帰ってきた資料をいろいろ読んでいると、3箇所ほどあったような・・・。大爆発を起こしたものがあること、府文化財センターも発掘していたことは知っているが・・・。そのへん、不確かな知識しかない。調べました。香里は火薬製造所。煙突など、いくつか残っているらしい。禁野が弾薬庫で、1939に大爆発があったらしい。いま香里ヶ丘という火薬製造所のあったところに住宅公団が作った団地は、公団の最初期のもので、1958年入居開始で、東洋一の団地といわれたらしい。ロバートケネディとか見学者が多数訪れたとのこと。多田道太郎が住んでいてサルトルとボーボワールが訪れたとも。
◆禁野の弾薬庫も住宅公団が開発したらしい。中宮団地というらしい(1956)。センターの発掘はその建て替えによるみたいですね。
さくやこのはな館
◆そこから鶴見緑地、さくやこのはな館に行きました。初めてです。花博は1990年だそうです。鶴
見緑地は1970年から造成されたのだそうです。鶴見緑地、GISの図を見てると、高いんです。がここは低湿地でしょ。島がにょきっと出てたのかと。人口の山なんでしょうね。
◆花博の時に作りすぎた建物等は老朽化して閉鎖されたものも多いらしい。さくやこのはな館の温室だけでなく、公園内もいろいろな樹木があるのだと思うが、そのへん、植物園的な要素がそう強くないのかもしれません。スポーツ施設含め、雑多。いろんな利用者がいるとは思うが、大阪を代表する植物園の色彩をもっと出せばいいのではと思う。基本は緑地で公園で、散策すればいいのだが、もっと舗装を落として自然に近づけられないものだろうか。
◆このはな館の植物たちは、写真を撮るには絶好で、マニュアルで、オートフォーカスをはずし
て、気合いを入れて撮ってみました。
【追記】鶴見緑地はゴミの山らしい。最初は10mくらいの予定が、さすが大阪というべきか、40m盛ってしまえと。で、メタンガスが発生して、さながら火山のように火を噴いていたらしい。またゴミが圧縮され高さが減じるのを予定し、50mくらいにして、やっぱり10mほど下がったのだとか。これが大阪市最高峰なんだって。
◆花博の時に作りすぎた建物等は老朽化して閉鎖されたものも多いらしい。さくやこのはな館の温室だけでなく、公園内もいろいろな樹木があるのだと思うが、そのへん、植物園的な要素がそう強くないのかもしれません。スポーツ施設含め、雑多。いろんな利用者がいるとは思うが、大阪を代表する植物園の色彩をもっと出せばいいのではと思う。基本は緑地で公園で、散策すればいいのだが、もっと舗装を落として自然に近づけられないものだろうか。
◆このはな館の植物たちは、写真を撮るには絶好で、マニュアルで、オートフォーカスをはずし
【追記】鶴見緑地はゴミの山らしい。最初は10mくらいの予定が、さすが大阪というべきか、40m盛ってしまえと。で、メタンガスが発生して、さながら火山のように火を噴いていたらしい。またゴミが圧縮され高さが減じるのを予定し、50mくらいにして、やっぱり10mほど下がったのだとか。これが大阪市最高峰なんだって。
念願の枚方宿
◆1.5㎞ほど、京街道にそってのびる宿場町。枚方市駅のすぐ近く、これが東の方で、建物がよく
残っているのは西側で、鍵屋資料館がある。鍵屋はしばらく前まではまだ営業していたようだが、2000年代に廃業し、枚方市が資料館としたものという。表に昭和50年頃の写真があり、両側とも町屋が続く。これが残ってれば伝建だったろう。それでも資料館界隈は雰囲気を味わえる。
◆資料館でいろいろ資料がおいてあり、かなり金を投じてまとめて買った。いずれ何かの役に立つこともあるだろう。そして資料館内の展示は、新しく、よくできていて、枚方宿の概略を学ぶことができる。3名以上要予約だが、食事をすることもできる。本日はイベントをやっており、63畳敷の大広間は見れなかった。ふさわしい行事には貸し会場として提供しているようである。1ヶ月ほど前、大歴の現地見学検討会をここでやろうと、学芸員さんと電話で話したことがある(結局、貝塚でやることになりましたが)。
◆京街道の陸路と、三十石船の経由する港があり、水陸の結節点となっているのが枚方宿の特徴
で、その賑わいぶりは、シーボルトも書き残している。むろん、「くらわんか船」は有名。都市の中心部でもあり、だいぶ建物は新しくなっているが、京街道をたどる雰囲気は味わえる。古い町屋は小物売りや飲食店にもなっており、天野川を越えるところまで、ほんとうは歩くべきなんですが、足の具合もあり、鍵屋周辺にとどまりました。この背後の丘陵にはおがみ神社があり、ここが万年山古墳です。上がりませんでしたが。
◆資料館でいろいろ資料がおいてあり、かなり金を投じてまとめて買った。いずれ何かの役に立つこともあるだろう。そして資料館内の展示は、新しく、よくできていて、枚方宿の概略を学ぶことができる。3名以上要予約だが、食事をすることもできる。本日はイベントをやっており、63畳敷の大広間は見れなかった。ふさわしい行事には貸し会場として提供しているようである。1ヶ月ほど前、大歴の現地見学検討会をここでやろうと、学芸員さんと電話で話したことがある(結局、貝塚でやることになりましたが)。
◆京街道の陸路と、三十石船の経由する港があり、水陸の結節点となっているのが枚方宿の特徴
翌日は枚方宿に
◆前から歩きたかった枚方宿に行く。その前に淀川資料館というところに行きました。これが実に
ちゃんとした淀川治水の資料館で、勉強になりました。国交省の淀川事務所、これ近畿圏でいうと、琵琶湖とともに、治水対策を長く続けてきた恒常的な事務所が置かれ、その事業の普及啓発用に作ったものだそうです。一時期、閉鎖したと言っていたか、館内にいるボランティアの方2人と話をして、「いやとても勉強になりました」とお礼を言う。雰囲気としては、隣の事務所で働いていた国交省の職員OBのようでした。デレーケの治水は著名だが、直線的な新淀川を通したくらいは知っていたが、浅い流れに対して両側に水制を施し、流れを狭め、川の力で水深を浸食させ深くするといった技術も導入されたのだとか。この結果「わんど」と呼ばれる干潟が両岸に発達した。そうした歴史展示、イタセンパラはじめ生き物の展示、それと堤防を作っている頃の古い写真の企画展をやっていました。明治期には三十石船はなくなるも、蒸気船に置き換わ
り、京阪電車の敷設で水上交通がなくなるまで、運行していたようです。
◆淀川の「わんど」の再生事業もやっているそうで、資料館でも、淀川を美しくするとか、外来魚の駆除とか、そういう活動もやっているようです。
◆資料館を出たところには、八幡市で掘りだされた、かつての煉瓦造りの樋管施設を一部移築して説明看板を立てているほか、加茂町で高橋美久二さんが調査した大阪城残念石1個も据えてありました。
◆淀川の「わんど」の再生事業もやっているそうで、資料館でも、淀川を美しくするとか、外来魚の駆除とか、そういう活動もやっているようです。
◆資料館を出たところには、八幡市で掘りだされた、かつての煉瓦造りの樋管施設を一部移築して説明看板を立てているほか、加茂町で高橋美久二さんが調査した大阪城残念石1個も据えてありました。
国会議事堂前
◆今日の新聞で、国会議事堂前の記事を読む。昨年の7月だったか、国会議事堂前のデモに参加したときのことを思い出す。憲政記念館というところにも初めて行く。TPの基準点もあるのだとか。
◆で、しばらく前に辺見庸が書いていたことを思い出していた。安保法案に反対するデモに、おじいちゃん、おばあちゃんから、学生まで幅広く集まっていることに、世論の幅広さを感じた。大阪の集会には行けてないが、ラジオで若者の声を聞いたことも、ここで書いたことがある。で、ここでいいたいのは、お行儀のよさ、なのである。機動隊の車両がならび、あくまで歩道の範囲で、しかも通る人のためにロープだったかが張られ、その範囲の中でやっていることの違和感。管理されたデモ。国会に乗り込もうとすれば、ひきずりおろされ、叩かれ、逮捕されるのだろう。誰しもそんなことは望まないわけだが、道路がそんなに大事か。少なくとも幅50mの道路全体を集会のために使わせてもいいだろう。辺見の、そういう管理されたデモの姿に、国家権力に反対する怒りがホンモノだろうか、という違和感の表明に、近いものを感じたことを思い出す(そう、保守側の再軍備への熱意はもっとすごくて、こんなものでは抵抗できないだろう、とか書いていたな)。
◆なんぼ声を上げても、閉ざされた国会の中で、委員会採決がなされ、アベなんぞが裏から車で、そんなデモなどヘでもないと退出する。そういう姿に、声を上げることは大事だが、なんとも影響をもたらさない、このデモは何だろう、とも。声をあわせていると、その一体感はえられるものの、そういう満足でなく、せめて正門に貼り付いて、議事堂内部の人間に声が届くように叫ぶことはできないのか。封鎖され、警察にとざされ、その枠内でのデモと、60年安保との違いである。
◆頭のなかは未整理だが、あの頃、自衛隊の存在を考えたことを思い出す。9条と自衛隊の矛盾である。戦争放棄の理想は正しい、それと現実の日本の防衛力とのギャップである。
◆で、しばらく前に辺見庸が書いていたことを思い出していた。安保法案に反対するデモに、おじいちゃん、おばあちゃんから、学生まで幅広く集まっていることに、世論の幅広さを感じた。大阪の集会には行けてないが、ラジオで若者の声を聞いたことも、ここで書いたことがある。で、ここでいいたいのは、お行儀のよさ、なのである。機動隊の車両がならび、あくまで歩道の範囲で、しかも通る人のためにロープだったかが張られ、その範囲の中でやっていることの違和感。管理されたデモ。国会に乗り込もうとすれば、ひきずりおろされ、叩かれ、逮捕されるのだろう。誰しもそんなことは望まないわけだが、道路がそんなに大事か。少なくとも幅50mの道路全体を集会のために使わせてもいいだろう。辺見の、そういう管理されたデモの姿に、国家権力に反対する怒りがホンモノだろうか、という違和感の表明に、近いものを感じたことを思い出す(そう、保守側の再軍備への熱意はもっとすごくて、こんなものでは抵抗できないだろう、とか書いていたな)。
◆なんぼ声を上げても、閉ざされた国会の中で、委員会採決がなされ、アベなんぞが裏から車で、そんなデモなどヘでもないと退出する。そういう姿に、声を上げることは大事だが、なんとも影響をもたらさない、このデモは何だろう、とも。声をあわせていると、その一体感はえられるものの、そういう満足でなく、せめて正門に貼り付いて、議事堂内部の人間に声が届くように叫ぶことはできないのか。封鎖され、警察にとざされ、その枠内でのデモと、60年安保との違いである。
◆頭のなかは未整理だが、あの頃、自衛隊の存在を考えたことを思い出す。9条と自衛隊の矛盾である。戦争放棄の理想は正しい、それと現実の日本の防衛力とのギャップである。
空調工事で
◆文学部棟の空調工事に入り、平日はガガガとドリルやら何やらの音がひびく。歴史学のある2階も
西寄りの研究室が始まり、部屋の空調の機械を取り替えるため、その下部にある荷物やら図書やらをすべて片づけよという命令が下り、箱詰めして廊下にほりだされています。
◆2月には、自分の研究室と1階の考古学実習室が引っかかります。いまやっているところを見ると。空調の機械の大きさよりいくらか広い範囲に透明なビニール?みたいなものを天井に貼り付けて幕をまわしてありました。この範囲によっては、自分の研究室の荷物も、ほりださないといけないものが出てくるかもしれません。ぎちぎちに本や資料で埋まっているわけでなく、目隠し本棚も赴任早々に撤去したし、ほかよりも空間があって、そう大事にはならないと思いますが。
◆で28日の木曜日。最後の大学院演習があり、午後は作業にあて、博物館実習室の片付けをし、考古学実習室の片付けをし、年度末の予算で、整理棚など、学生・院生等のアメニティをよくするため、購入物品を考えたりと。ついでに日本史院生のT君に、博物館実習室のプリンタまわりの環境整備をしてもらいました。博物館実習には、パネルを作るためのインクジェットプリンタを置いてあり、4台のPCから飛ぶようにしてあるのですが、考古学の院生用にレーザープリンタも後で入れたのですが、これは有線でプリンタ横のマシンにつないでいたのを、4台どこからでも飛ぶようにしてもらいました。感謝。
◆2月には、自分の研究室と1階の考古学実習室が引っかかります。いまやっているところを見ると。空調の機械の大きさよりいくらか広い範囲に透明なビニール?みたいなものを天井に貼り付けて幕をまわしてありました。この範囲によっては、自分の研究室の荷物も、ほりださないといけないものが出てくるかもしれません。ぎちぎちに本や資料で埋まっているわけでなく、目隠し本棚も赴任早々に撤去したし、ほかよりも空間があって、そう大事にはならないと思いますが。
◆で28日の木曜日。最後の大学院演習があり、午後は作業にあて、博物館実習室の片付けをし、考古学実習室の片付けをし、年度末の予算で、整理棚など、学生・院生等のアメニティをよくするため、購入物品を考えたりと。ついでに日本史院生のT君に、博物館実習室のプリンタまわりの環境整備をしてもらいました。博物館実習には、パネルを作るためのインクジェットプリンタを置いてあり、4台のPCから飛ぶようにしてあるのですが、考古学の院生用にレーザープリンタも後で入れたのですが、これは有線でプリンタ横のマシンにつないでいたのを、4台どこからでも飛ぶようにしてもらいました。感謝。
杉本町界隈ほか
◆25日に久しぶりに電車で通勤すると、いくつか変化がありました。駅下にセブンイレブンができ
てました。古い老朽化したアパートが壊され、コインパーキングになって
いました(写真)。
◆で、大学です。田中記念館の入り口が22時まで開けておいてくれるようになり、線路沿いの側に通用口を切り(写真)、夜遅くなっても、正門にまわらずとも、駅に近い側から出れるようになっていました。やっとそうしてくれたか。みな柵を乗り越えてましたからね。これ、22時前に車に乗ろうとすると、学生等が線路脇の道を南にむかっていくので、出れるようになったんかいな、と推測してお りました。
◆その田中記念館そのものの改修工事が、昨年のどっかまでやってましたが、リニューアルした。こんどの改新シンポはそのホールでやる。で、トイレもきれいになっていたので、立ち寄ってみま
した(写真)。
◆で、大学です。田中記念館の入り口が22時まで開けておいてくれるようになり、線路沿いの側に通用口を切り(写真)、夜遅くなっても、正門にまわらずとも、駅に近い側から出れるようになっていました。やっとそうしてくれたか。みな柵を乗り越えてましたからね。これ、22時前に車に乗ろうとすると、学生等が線路脇の道を南にむかっていくので、出れるようになったんかいな、と推測してお りました。
◆その田中記念館そのものの改修工事が、昨年のどっかまでやってましたが、リニューアルした。こんどの改新シンポはそのホールでやる。で、トイレもきれいになっていたので、立ち寄ってみま
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。