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人を幸せにする人になろう

三国へ行き

◆簡易裁判所に出頭、略式起訴?、罰金8万円納付・・・。これだけありゃ、久津川の打ち上げをやれるだろうに。心配いりません、2月に城陽飯店でやりますので。
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ヘナチョコ軍隊が最大の抑止力

◆と誰かが言ったそうな。コンビニがないとか、スマホがつながらない、とか。前にピースの集会に行った時も、似たような話を聞いた。いまの自衛隊は、若い者の要望にいかに合わせていくかに、大きな労力を傾けていると。そうでないと来てくれない。そしてもし戦場に行っても、上官の命令に従わないかもしれない。憲法で特別法を作ってはいけないという規定があるのだそうです。軍の法律をつくって、上官の命令にしたがわなければいけないとし、したがわなければ軍法会議にかけられ裁かれる(いまは無論そんなものはない)、という仕組みを作らないと、実戦は困難。だから石破は法制化を主張している。そうすると憲法改正が必要。
◆現状で、かけつけ支援とかに行って、偶発的になにかに巻き込まれたとき、自衛隊の若い者が果たして役に立つのか。どうもだめみたい、という認識なんだろう。だから、これでは戦えない、というのが最大の抑止力になる、というブラックな話です。
◆前のピースの時、アメリカ軍では、市街戦の至近距離で命のやりとりをする場合、相手を撃っても、即死でない場合、絶命まで8秒くらいあり、その間にとどめを刺す訓練をしているのだそうだ。そうでなければ、自分がやられるかもしれない。そんな極限の世界で、果たしてそういうことができるのか。
◆朝、国分駅前のぱんのいえでコーヒーを飲みつつ、土曜日の朝、パンを買いに来る人たちを見ていた。おいしいパンがいっぱいならんでいる。平和である・・・。70年間、戦争をしてこなかったからこその風景。平和ボケでなにが悪い。その平和を維持する努力をし続けないと、やられてしまうこの日本というのもまっとうとはいえないだろう。

研究はアナがあるからやるのではない

◆そう、面白いからやるのです。なんでも、誰かの本のことがテレビ?で紹介されていたが、スキというパワーを知るべし、と。はやりとか、トレンドとか(同じか)、金がつくとか、先生が言うからとか、そんなものはニセモノなのである。面白いからやるのです。スキだからやるのです。スキだからこそ、求めるのです。眠らずともやるのです。雑用をほっといて、やってしまうのです。だって、やりたいんだもん。理屈じゃねえ。意義じゃねえ。そういうおもしろさ、スキのパワーを知るべし、ということだろう。それこそパワーの源泉なのでしょう。

2012年12月12日の土曜日

◆今日もまた、朝からこの1週間の片付けをやっとります。早く文系の博物館実習展の仕事にかからないといけないのですが、到達しません・・・、とほほ。文化庁にいるときは、とにかく、毎日の片付けをやって、むろんぜんぶ切りがつくことなどありえませんが、出張したら出張して部門への報告はその日のうちにまとめるとか、持ち越さないようにしていた。いまは無理。なので、土曜日、その週にあったことを、メモを見返しつつ整理したり、片付かないメールを処理したり、事務的なことをやったりとする。土日のうちのどっちかはそんなんで、片付けば、日曜日は自分のことができる。いまはどこかの論文が1本。まあしかし、これは年末年始の休み期間で、一挙に仕上げるほかはない。
◆いまは博物館実習展ほか、それどころではない。博物館実習展の前半が22日に終わり、その日は展示替えで、文系展示を完成させないといけない。翌日から、娘の様子を見に北海道に出かけることになっているので、リーフレットも含めて、デッドラインが22日。そこにむけてスパートです。
◆ボーナスが出たが、ぜんぜん増えやしませんね。この10年、給料は上がりません。さて、昇任すると、いくらになるんでしょうか。あまり期待をせず・・・

全学人事委員会でプレゼン

◆2回予行演習をして、指摘を受け、少しずつ直してきた。あとはしゃべり。とはいえ、そうしゃべ ることが変わるわけでもなく、木曜日、朝から院ゼミ、午後、考古の研究会をやり、昼休みに一通りパワポを見返しながらしゃべることを頭に入れ、15時出頭する。副学長2名のほか、センターにおられたのは誰だろう。理事の方なんでしょうか、理系の方なんでしょうか。
◆20分のプレゼン、1分ほどオーバーしたかもしれないが、まあ。質疑10分の受け答えもまあまあ、か。スライドの最後のところ、当初は、もうすこし突っ込んだものを入れようかと思ったりもしていた。全学中枢に直訴できるいい機会ですし。が、おとなし目にした。
◆自分はどんな仕事をしてきたか、いましているのか、客観的に見つめるいい機会ですね。

さて久津川車塚

◆わたしの骨折で、動き出しが遅くなった。当初は秋に全員集合で埴輪を洗ってしまい、また概報 の予算はないが、こっちで作るとして、分担してと・・・。が2ヶ月が経過した。城陽市の担当者と打ち合わせ、今年度分の遺構図面の整理と、遺物の洗い、その他、次年度のことや、今後のあり方について、ようやく協議をもてた。とにかく、全員で、図面を分担し、デジタルトレースに着手できる準備をいち早くやることが必要。測量の残りと埴輪洗いは春休みにやっつける。月1回の整理作業兼打ち合わせ(検討会含む)を、2月以降、定例化すること。3次元データも、しばらく前にもらった。

三角縁神獣鏡の鋳型

◆カシコーケンの方のヒビからみた鋳型の使い回し論を知る。外型にマネを貼って再利用するのでしょうか。自分の目で、指摘されている亀裂痕の一致性をまずは確認しなければならないが、とても面白い話である。全体として舶載と倭製の連続性がさらに確認されてきているよう。舶載も同笵ということのようですし。
◆蝋原型論は、同一鋳型で連続的に鋳造は難しいと指摘されていることを踏まえ、だとすればどう考えるべきか、という議論だった。むろん、その段階でも倭製鏡は同笵ということを前提にしていて、矛盾している面もあったが。この辺は実験的なことをやっている人の感覚と、そうでない者の差が生まれうるようにも思うし、一方で、再現実験でも昔の技法が明らかにできるか分からない面もある。いずれにしても、鋳上がって、2枚笵として、それをパカっと開けたとき、文様面の鋳型が、なんらかの滑らかに分離するための表面加工をしているとしても、きれいにはがせるものなのか、という疑念はず~とある。
◆で、舶載鏡と倭製鏡の連続性を考慮すると、鏡工人が渡来してきたというのが論理的な結論となった(非三角縁の倭製鏡工人も外来かと思うが)。むろん舶載は舶載で、倭製は倭製というのを前提として。それが、亀裂痕から、舶載鏡と倭製鏡で同じ鋳型(外型)を使っているとすると、同じ場所じゃないのか、ということになってくる。倭製三角縁神獣鏡の浮きぶりからすると、むろんぜんぶ中国製とした方がすっきりする。が、そうなると、倭製鏡までを含めて三角縁神獣鏡を日本向けに作っていたということになり、短期という話にもなってくる。が古墳側から見ると、そう短くもないだろうと。鋳型を持ってきててもいいじゃないか、とも主張したくなる。
◆けっこう面白いことになってきた、というのが印象。福永さんと感覚はほとんど変わりないと思う。倭製はやっぱりちょっとちゃうで、と。だが、そのちゃうでの中身を再度、点検しないといけないんでしょうね。だけど4世紀前半までとみている倭製鏡にかけての製作年代幅を、そう短くすることもできない、というのも、こっちとしては譲れないところである。研究は進むものですね。

山里丸サウンディング

◆今年度の大阪城山里丸下層調査の、9月実施のサウンディング結果の検討会が梅田であり、業者か ら送られてきた柱状図をもとに、比較的硬い層、軟らかい層の、横のつながりを考えて色をつけていく。およそ上段と下段をとらえており、その間に石垣かもしれない下に通らない硬いものがあるというのは把握できており、絵図面から考えられる豊臣の山里丸を区切る石垣位置とも整合的であることは、調査段階で認識していた。が、土の硬さを考慮すると、例えば豊臣期の遺構面を覆う、徳川期の盛土なども、比較的軟らかい層として、なんとなく見える。5mまでとしたが、ところどころでさらに下部を追及し、地山と思われる層を確認すべきであったと反省。しかしそこは、第2弾でやれば、一層、これら柱状図の意義も増すだろう。山里丸西側は大阪層群の段丘礫層で硬く、今回も地山が高いのだろうと思われる地点では、マイナス5mまでのところで、それらしきものが当たっている地点もある。
◆地山を追いかけられれば、その上に整地・盛土した柔い層、遺構面と思われる硬い層、またその上の盛り土、その上の遺構面、といった連続も捉えられる。で、豊臣期上段と思われる東寄りでも、その下は地山ではなく盛り土で、マイナス4mくらいでなにか横に通る遺構面があり、これなんじゃろか、と思っていたが、検討会でI氏がひとこと。「本願寺」・・・。おお。そうかもよ。
【お断り】この図は東西ラインだが、西側では浅い位置でガラにあたり、下に入ってないので、このラインだけでは、ほんまかいなというところだが、その南北で平行してやった成果とも総合しての判断です。

2015年12月大垣など(6)

◆あとは流しましょう。大垣にもどり、赤坂宿、垂井宿、タルイピア、前に行けなかった関ヶ原の 歴史民俗資料館、不破関資料館により、戻ってきました。

2015年12月大垣など(5)

◆翌日、足をのばして愛知県一宮市の博物館に行く。八王子遺跡や西上免があるところ。西へ岐阜 市まで行き、南下する。木曽川がやはりでかい。これを越える橋はやはり 限られたところにしかないのだろう。ナナメに横切っていく方法もあったかもしれないが、カーナビの指示通りに行く。まあ、木曽川が尾張と美濃の境になっているわけです。
◆一宮市をカーナビに入れようとすると、ヨーロッパのような放射状の市街のようで、これ戦後復興時の都市計画かなと思うが、未確認。尾張一宮のなんとか神社というのと、でっかいお寺があり、門前町があったようで、博物館はその寺の横にある。ボリュームはありました。考古資料を、いろんなセクションで配置して活かそうという努力もよくわかりました。一宮門前の市がかなり賑わっていたこと、いろんな交通路が交わっていた ようです。繊維産業が発達し、工場がいっぱいあって、しかし戦災でやられたという。戦後の都市計画の話はわあkりませんでしたが。
◆写真を撮っていいかというと、申請書を書き、研究用といって許可をもらい、コマ数を報告するシステムでした。ネットに勝手に上げてはいけないので、個別資料はやめておきますが、展示風景くらいは1つくらいいいでしょう・・・。
◆展覧会を開きませんか、という広告がよかった。紅葉がきれいでした。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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