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人を幸せにする人になろう

関学の時計台ミュージアム

◆芝生の向こうの時計台がミュージアムになっていて、いまアイシンカクラの展示をやっている。 日曜日は閉館なんだけど、交渉して、大歴参加者には時間決めで公開される。で行ってみようとしたのですが、12時からだったらしく、少し早くてまだ空いておらず、そのうち総会が始まり、結局は見ずに終わってしまった。見れないこともなかったので、熱意が足りなかった・・・。
◆最初に早く行ったとき、閉まっているところから除くと、関学の初期キャンパスの模型がふたつならんでいるのが見えた。機会を大切にしないといけませんね。
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6月28日は大歴大会

◆関学でした。考古部会は粘土槨の話。竪穴式石室を意識した、石はもちいないが箱形の空間を作 り出すような試みはいろいろなされたのでしょう。西山1号、真名井、白山藪、木炭槨など。で、石室の棺床と粘土被覆からすると、木棺を粘土でパックする発想が生まれるのは理解できる。そうした理解には否定的な意見だったように思うが、それでいいのではないかな。問題は、そうしたなかから、いつどのように定型化するのか、あるいはそのあとの変化であろう。ちゃんとしたものの一番古いのはどれだろう。たぶん長尾山はその候補になるのだろう。埴輪からすれば。玉7第2主体はそれよりは遅れ、でも園部垣内よりは古いのではないかな。
◆いまえられている資料にもとづき、それと断面構造などから考えられてきた推移についての先行研究をふまえつつ、まずはばっちり骨格を打ち立ててほしいですね。
◆この日は宝塚記念?。仁川の競馬場に行く人々が多かった。若い女性が帽子を被り着飾って、しかし手には出走表をもち、2人であれやこれや馬について話をしているのを、いく組か見た。2万円もってきているらしいです。いや~中央競馬は成り立ってますね。阪急電車の風景に驚きました。淀もそうなんでしょうが。

陵墓の勉強会

◆土曜日は15時から陵墓の会議があり、そのあと勉強会でした(その前の午前中で考古研同窓会の案内ハガキ152枚を印刷し発送した)。2本の報告を聞いた。うち1本は幕末明治の治定の話。谷森善臣らの話だが、彼らの考証家においても派閥があるらしく、明治の官僚機構のなかの諸陵寮や名前や所属がコロコロ変わっていくようだが、短期間のなかで、主導勢力が変わっていく話は面白かった。
◆しかしまあ、なぜに明治政府が天皇陵や皇后陵くらいにとどめず、皇族墓をぜんぶ決める、などというできない仕事をやることになったのかは、あまり明瞭ではないようだ。諸陵寮側の意見具申、それを太政官が受けて布令を出したようだが、そのへんの上申文とか、太政官の審議の様子とか、むろんわかれば言及されていると思われるので、残っていないということなのだろう。参議あたりは、どう受け止め、よしやるべしと判断したのか、知りたいものである。
◆もひとつわからんのが、なぜ条約改正を求めていくのに、天皇陵がぜんぶわかっていないといけない、などという発想になるのかという点。ふたつあって、なぜ日本の君主の墓がわかっている、あるいは祭祀をやっているというのと、西欧列強に伍していくということのつながり。もうひとつは、そう考えるにしても、文久までにかなりのものは治定されているわけで、十分ちゃうの、という疑問である。そんなことを西欧は求めるのだろうか。国内側の姿勢の問題だろうが。

小豆島の石材業

◆先週6月の24日に小豆島町の方が秋のシンポの件で来られた。30分ならやれるかなと引き受ける。話を聞いていると、大正期といったか、島には80あまりの石材業者があったそうだが、いまは2社という。花崗岩さえ、中国産のものの方が安く、建築資材としての需要は一定ありながらも(コンクリートに押されたという点はある)、国内産はこうして衰退していったと。だが、中国も人件費が高くなり、いまは原価はとんとんくらいになってきているという。オリーブと共に、花崗岩切石業が生業として成り立つ産業として回復してほしいもの。
◆過去4回分のシンポの立派な資料をいただいた。それとテレビ番組でやった、むかしの方法で矢穴を開け、矢を入れ割り、それをやまから引き下ろし、船に積んで石を出す実験番組のDVDをいただく。翌日、学生らと見たが、なかなか面白かった。

生目3

◆在地柄鏡形として説明する方が合理的なのだと思いますが・・・。あえて渋谷向山と重ねれば・・・。墳丘規模はアバウト100 歩なんでしょう。
【追記】これ見直しました。

横瀬

◆横瀬は大仙だと思うが、もうすこし詰めないといけない。前方部東側の調査区はおさまりませ ん。ここ定点がほしいところ。

自民党のなんとか勉強会

◆ひどいですね。とくに百田。朝日新聞によれば、「軽口、冗談のつもり、本意ではない」と弁明したという。小物ですね。本心をはっきり言えばいいのに、言い訳しているのが、なんとも見苦しい。どうせやったら堂々と主張したらいい。安倍も、実際にどういう発言を誰がやったかを確認し、それにたいしてコメントすることを、まったくする気がない。

陵墓となっている古墳の名称

◆次の世界遺産推薦は古市百舌鳥になるのかもしれない。結果は知らないが、もうすぐ発表されるだろう。古市百舌鳥古墳群が世界遺産になってほしいと願う。だが、推薦にあたって、大仙または大山古墳は「仁徳陵古墳」に、誉田御廟山古墳は「応神陵古墳」になった(これ自体はずいぶん前のことです)。森浩一先生のウン十年の取り組みがフイになった。大仙は允恭墓で、誉田御廟山は反正墓だと思っているが、そうした被葬者論の個人的見解ははさておき。現在の日本の考古学では、誉田御廟山はTK73型式期で、暦年代観は分かれるが、年代を上げる見方の根拠である共存木製品の年輪年代は412年あたり。応神没年は古事記から394年とみられている。大仙はON46の須恵器が実際に出土し、これはTK216とTK208の間(216新相)であり、これも暦年代観に差はあるが、TK216にともなう馬具と同じようなものが新羅皇南大塚南墳(トツギ王=458年没)から出ている。TK216と208のハザマがおよそ5世紀真ん中くらい、大仙は450年代くらいというのが一般的な理解。仁徳オオササギの古事記による没年は427年。誉田御廟山は応神没年より新しく、大仙は仁徳没年より新しい。むろん違う意見はあってよいが、現状の日本考古学界の理解では、それぞれ応神と仁徳の墓とみることは困難というのが大勢だろう。
学術的見解からすると、遺跡の名称を固有の倭国王の墓として命名することは不適当であり、少なくとも現時点ではそう決めることはできないとするのが良識的判断。森浩一先生が、そうした固有の倭国王名をあてることの学問的な不具合を指摘し、地元の地名や言い方にもとづき命名すべきとし、ようやく教科書や遺跡名称も、誉田御廟山古墳や大仙古墳で定着をみてきた。しかし世界遺産にするため「応神陵古墳」「仁徳陵古墳」という名称に転じ、登録されれば正式名称として決まる
◆こういう議論をすると、世界遺産登録に反対するのか、という意見がついてまわる。むろんそうではなく、世界遺産になることを望む。が、そのために「応神天皇陵」「仁徳天皇陵」と呼ぶことを受け入れよと言われるなら、受け入れられません。宮内庁は受け入れない「だろう」から、名前が適当でないとの主張=世界遺産反対なのかという言い方は問題をすり替えている。むろんシンドイ議論だ。あくまで宮内庁管理の国有財産だし、むこうの名称を用いるというのはわかる。しかしそこは、議論をし、例えば併記するなどの折り合いをとことん追及すべき重要課題であるはずだ。
◆「応神陵古墳」や「仁徳陵古墳」という名称を使うことは、オーセンティシティの問題に波及する。被葬者がわからずとも、5世紀を中心とする世界的に興味のあるモニュメントとして世界遺産としての価値は十分である。が、構成案件の名称として「応神陵」とか「仁徳陵」とかにしてしまうと、それはほんとうですか、確かめられるのですか、ということになるだろう。
◆古市百舌鳥の世界遺産登録には、こういう問題が横たわっているのである。

味は太市、姿は山城

◆これタケノコの話です。長岡天神の錦水亭に行ったことはないが、乙訓のタケノコは有名。けれど味は姫路の太市なんだそうです。
◆こないだの長尾タイ山古墳の調査から35年の呑み会で、太市に住む恩師に、タケノコの収穫について聞きました。田んぼはもうやっていないが、タケノコは2t出荷しているのだそうです。で、その解説によると、6期に分けられるんだそうです。
◆(1)3月20日前後。このタケノコは前年の10月にでき地中で越冬したものだそうです。なので、堅くエグミがあるということだったか。しかし初物で、においを味わうんだそうです。味噌汁の具。(2)4月はじめ。(3)4月10日前後。ほぼエグミがなくなるのだそうです。で、盛りが(4)4月20日頃で、これがピーク。柔らかく芳醇で、ナマでもばりばり食べられるのだそうです。(5)4月25日頃。大きくなりエグミが出てくると。最後は(6)GWの頃。

東大で

◆聞くところでは、日本人院生は、PCで数値計算をやり、その元データを取る実験はしないんだそうです。「ぼくら計算するから」と。で、手を汚す実験は留学生がやるんだとか。でもまた、留学生だと、言葉の問題もあるだろうし、やっぱり手順とかわからないし指示を待つと。指示をしたらやるんだとか。東大でこれですからね。それぞれの専門分野での、一定の発想やその見込みにもとづき、どういう実験をするのか、そのためにどのような器具を用意し準備すれば有意なデータがえられるのかから始まり、改良を加えていき、その上に実験を繰り返し、確からしさを裏付けていく、そういう研究の本質に直結している実験を回避する日本人。ありゃ~・・・

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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