人を幸せにする人になろう

やっとこさ

◆今年度調査区図を作りました。さあ帰ろ。

製氷器はいったいどこに?

◆宿舎用に、というか現場のお茶に使う氷を作る家庭用の製氷器をアマゾンで発注したが、7月中に発注したものは、在庫なしで、詫びの電話が大学にも入ったようだが、そんなんで来ず。あわててまた探るも、かなりの機種が在庫なし、あるいは発送が23日以降とか、の表示。そのなかで価格が手頃で、早く届くものを見繕い最発注。12日に届く予定だったらしいことをメールで知る。こっちも発注時の予定で知っていたので、大学に行くもなし。事務室に届いたら136に入れといて、というのが徹底していなかっただけ、かもしれない。1週間、損をしたではないか。15日から使えていたはずなのに。で、いまモノはどこなんだろう・・・。
◆久しぶりに1日研究室にいるので、気晴らしブログを書きながら、ぼちぼちやっております。
【追記】文学部事務室にやはり12日には来ていました。136といわず、自分の研究室にほうり込んでもらうよう言っておけばよかったですね。現場着は8月25日だったか。

続いて小谷

◆まあきれいな岩屋山式です。が、玄室の1段目が、岩屋山は羨道天井石よりやや低く、小谷もその ケはあるが、ほぼ同じ高さになる。羨道から玄室まで同じ高さで揃える方が、構築する点からすると合理的なように思います。

市尾墓山

◆レーザー測量の1次処理が上がってきたが、側壁の石の質感がやや画像が甘いような気がして、一 度返しています。成果がぼちぼちと。後期に入っての横口式石槨とか、墳丘の計画もそろそろ考え、10月以降にダッシュする準備を進める必要があるが、この暑さと日々では、頭が働きません。

2016年8月20日

◆昨日は寝過ぎほど寝て、朝から研究室でPCにむかっております。まずはメール処理と・・・。先週 は、金曜日の晩に実家に戻り、土曜日に山崎に行きました。でもカミさんの同窓会の予定もあり、1日はおられず、伊和神社と波賀・原不動滝に行って終わりとなりました。山崎城=鹿沢状の石垣をトレースした記憶はあるんですが、高校時代に連れて行かれた記憶はほとんどありません。城は未完で陣屋だったようですが、城下はどんなんでしょうか。また、いつか。
◆伊和神社は播磨一宮。高校時代に岩波の『風土記』がテキストの授業を受けたような・・・。イワノオカミ、という言葉が頭に残っています。大学院生の頃に、伊和中山1号墳が発掘調査され、竹管文の土器が出ていて、現場とともに見せてもらいに行きました。

2016年8月19日(金曜日)久津川車塚

◆第3週の終わり。この間、5日×3週、始終晴であった。どえりゃあ、疲れた1日であった。まあ、心地よい疲れともいえるが、とにかく暑かった。汗がボタボタと葺石に落ちる・・・。参加。自分。長友。道上・阿部・伊藤(市大)、コンマ1・安藤・木下(立命)、泉(奈良大)。
◆朝、葺石部分のシートをぜんぶめくり、最初は墳裾部に道上・木下を配置し、残りで午 後のレーザースキャン用の掃除にかかるも、間に合わないとみて、2人も上に。結局、谷筋の大型列石の上に乗る拳大の礫も改めて見ると、流土がはさまり、それ以外にも造り出し北斜面のある部分では転石が取り切れていないと思われる箇所もあり、その辺もすべて道上・木下が措置してくれる。終わらせた上半部も、シートをめくって見ると、目地出しの甘いところも多々あり、午後の計測まで全力で土をほじる。今日はテントを立てての作業とはいかず、フルオープンで直射日光を浴び、集塵機を駆使しつつ、ほじり、吸い、ほじり、吸い、をくりかえすと、汗が吹き出す。
◆計測は13時を過ぎるという話だったので、昼休みを早めに切り上げ、12:40開始、 13:30までは全力で清掃とする。実際は12:30過ぎには業者も到着していた。準備もあるので、13:30まで掃除すると宣言して予定通り進め、現場を明け渡す。
◆13:30から昼休みの残りを取り、14時から下段テラス削平面の削りにかかる。最初に葺石のいちばん高いところに手をつけ、落下して後円部斜面の地山出しをする際に、肩部も削り、すぐ地山であることは確認済み。全員が西端のへりから墳丘内部側へガリかけに従事する。一部地山が下がりババ土の厚いところを、市大の2人でミニヅルで削り、けっこうな土量を出した。竹の根もやっつけて。30 分もやるとヘロヘロでアイスタイム。第4Qが長かったが、ほぼ16:30で全面をやっつける。遺構なし。レーザー計測終了後、囲形埴輪などの埴輪密集部についてフォトスキャン用の写真撮影を行う。
◆シート養生をして、大久保湯。みなパンツは汗ぐっしょり、でした。記録97.2㎏(0.097t)。土日の2日、体を休めてください。また、来週。

1/50略図と明日19日

◆です。上半分はきれいにしてシートをかけたままなので、列石などは記入できていません が。
◆19日は、石の範囲のシートを開け、下段テラス面のシートも開ける。墳裾部の追求の続きに必要な人数を置き、あとは、葺石面の汚いところから時間の限り清掃する。いちおうの目標は10:30まで。そのあとはフォトスキャン用の写真撮影。午後はレーザー計測。この間、下段テラス面の精査。とはいえ削れば地山。ほぼ造り出し上面まで削平されているので、下段テラス面との間の小段も基本的に消えているので、テラスの埴輪はないと考えられるが、削平された面での遺構検出ということになる。

2016年8月18日(木曜日)久津川車塚

◆この日、大歴のことが心配になり、あちこち連絡。8月号の発送の準備を進めていてくれていることが確認できた。あとはレーザー計測のことを考えていた。タイミング的にはいますこし後の方がいいようにも思うが、計測後の1/10図作成用の加工の時間も必要であるし、埴輪の密集部と墳裾が決着していないが、それでも9割方は葺石を出しており、これで計測してしまえと。葺石の最終的な仕上がりが現時点と異なる部分が出てくること、葺石外の調査区全体の、最終掘り上がり状態の計測と、2度手間になるが、それもしゃーない、と。フォトスキャンでやる心づもりではあったが、画像作成、座標の割り付け、etcを考えると、はじめてのことでやりきれるかどうかの不安があり、フォトスキャンもやるが、レーザーと両方で準備しようとしています。
◆城陽市担当者。自分。道上・阿部・伊藤(市大)、コンマ1・吉村・安藤・木下・日下(立命)、泉(奈良大)。
◆1/50略図に、昨日17日の認識含めの書き足し。石の目地をほじくるのと、道上・伊藤・コンマ1・木下で、墳裾部の追求。この日、体もだるく、暑くて頭もまわらず・・・。で最後のところで、墳端外の石敷きといっているところについて、調査区西端から黄色砂質土の地山面を出しながら、西側ほど遊離している残してきた石たちについて検討し、地山に接することなく、濠内堆積の淡紫灰色の上に底部がある石たちを一定はずしていく。写真右は、石をはずし地山を出している状況。左は今日の最終時点での掘り上がり、です。
◆昨年の西斜面と同じく迷います。西斜面では基底石が明瞭でなく、墳端外の石敷きを意 識していなかったので、同じように西から石をはずしていき、切れ目もないので、そのまま東に進み、はずした石の下で黄色の地山が立ち上がり、1石か2石ははずしすぎた、ということになる。そのあと南斜面で、これはずずせないでしょという石敷きが、こっちは基底石がまあ追いかけられる、その外側にぎっちりとあった。石敷きがあると考えなくてはならないということになる。やはり南側で、地山を出しつつ、ちぎれた石をいくらか外していき、密につながって検出されている石敷きは、これは本来のものと判断して残し、図化したわけだ。
◆さて、今回のくびれ部、どういうことになるか、学生等はまっとうに土を見て考え判断してくれており、ひとまずこのまま冷静に慎重にいますこし進めていくほかない。やれることはやる。地山もゆるゆる上がってきている。個々の石がそこにどうからむか、地山に接している/据わっているものは残す、といった判断で進めるほかはない。一方で、が、決められない、ということもあるだろう。ほっといたら取れていく、取る方がすっきりする。しかし生きているかもという見方も常にもち、取れるとみるには怪しいものは残すという処置も必要だろう。記録を取り、最終盤で必要なら場所を選び、基底石、その外の石、堆積土の入り方を観察するサブトレを抜いて追求しておく。そういう姿勢でおりましょう。

2016年8月17日(水)久津川車塚

◆1日、日誌を書くのが遅れると、もうわかりませんが・・・。前日16日、風呂に向かうと豪雨。風呂屋に着いてから玄関先まで行くのも車から出たくないほどの雨でした。学生等を宿舎に送って京奈和で南に下っている時も豪雨。夜もけっこう降っていたようです。という次第で、調査開始後、はじめてのまとまった雨となり、この日17日は、排水から始まりました。とはいえ、工藤さんが早めにポンプを動かしてくれ、9時時点ではほぼほぼ水は抜けていました。
◆城陽市担当者。自分。長友。道上・阿部(市大)、大澤・園原・吉村・安藤・木下・森・ 水谷・西田(立命)、泉・田口(奈良大)。
◆作業内容は、造り出し北斜面の葺き石面検出のほか、石の目地ほほじることと、墳端の追求などを行った。写真右が造り出し北辺で、左が後円部側斜面です。+ミッチーが造り出し稜線付近の地山出しのダメ押しをやったのも、この日だったと思う。
◆墳端については、後円部側裾線を追求。こっちも基底石が明確にならぶというわけではなく、抜け?て、上からの小さい石が落ち込んでいるのかと思われる箇所もあるものの、ある程度、それらしく並んでくるものを拾うことができる。一方で、造り出し北辺はどうにもよくわからなかったが、一応、辺として通ると見てもよいか、と思われる並びがあり(写真下右)、その外をほじくる。一応、17日の終了時点では、一定合意のえられる推定ラインを考 えた(写真下左)。 ただし、黄色のところはちょっとね~(これ18日の見直し) 。
◆墳端外の石敷きは、石のないところの濠内堆積から、かなり取れるとの見方も示された。なかなかギチギチに噛んでいるところはそうも考えにくい面もあるが、ありうる。密に詰まっているところから、そこからは遊離した石群もあり、石のないところの土を下げ、そのちぎれ具合などからも判断していこう、と。はずすのが恐ければ、記録を取った上で、一部はずすなどしてシロクロをつける必要があるのでは、とも。
◆この日、1/50略図に、列石等、これまでに検出してきた葺石の略図を記入した。終了時点の全景も挙げておきます。葺石は、ひととおり検出し終えたかな、あとは清掃、というところにこぎ着けた感あり。
◆この日、帰る途中、レーザー計測の第1弾の打診をする。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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