人を幸せにする人になろう

地を測るのには歩を用いよ

◆難波宮から寺院の確認に進みました。百済大寺と山田寺。飛鳥寺までいかないといけませんが、 図面がないし。ナブンケンの研究論集もあるのかないのか。ひとまず難波宮に 近いのは百済大寺と山田寺でいい。5歩メッシュです。
◆百済大寺。門の距離は30歩、金堂と塔の心々は40歩でよい。回廊は100尺、150尺と外へ取る。アバウトに大枠が歩で割り付けられたとみることも可能。
◆山田寺。回廊の外側柱が幅40歩でいいだろう。南北基準は不明だが、金堂心とすれば南門は説明がつく。寺域外周は回廊から外へ後付で取るのだろう。

市大日本史もほぼ終戦

◆やっと研究室だよりが入り、ほかのものは最後の直しをしてボールは向こうにあり、それらが 返ってくると、まあ終わりです。そうそう、目次を作ろう。

茶すり山

◆で、北上し高速道路で和田山まで行き、茶すり山をめざす。そちこちに竹田城見学の臨時駐車場 があり、その人気に驚く。麓のガイダンス施設で映像を見てから上に上がる。竹田城もよく見える。
◆そこからSA・道の駅に併設された朝来市のマイブンセンターに行く。えらい人です。GWはあなどれない。このうちのかなりは竹田城に上がったのでしょうか。城の山の三角縁神獣鏡もあった。茶すり山も。展示はちょっとあっさり目かな。
◆これで引き上げたが、いろいろガイドマップなどを手に入れ、目を通した。まず竹田城は上ってもいいのだが、下の町並みをゆっくりまわりたい。それとやはり生野に行くべきですね。生野銀山は播磨にとって重要でしょう。江戸時代以来の鉱山町、近代以降のものを含め、鉱山その場所、選鉱場とともに、やはり本拠地として見るところが多そうである。またこの次。

明延に足をのばす

◆そのあと山越えし、一宮町に入り(播磨一宮伊和神社がある)、北上して但馬に抜ける。ここ も町村合併で養父市となっている。で明延。
◆錫鉱の発見は大きく、全国から掘り屋が集まってきたらしい。昭和31年で4000人の人口があり、鉱山従業員は1500人だとか。谷間に町ができたわけです。テニスコートやプール、映画館、不足する住宅対策としての集合住宅などなど。軍艦島が著名ですが負けていません。高度経済成長期まで、日本の工業発展とともに特異な町が出現したわけです。谷間に沿って、いろいろと見るところがあります。南から入っていったので、見学坑道の入り口を見て、近傍の資料館に行く。展示施設があり、また見学坑道の出口がある。駐車場にけっこう車があるのに資料館には誰もおらず、10:30からの見学に来た人たちで、資料館見学を終える頃、坑道から出てきていました。20人くらいはいたでしょうか、けっこうな人気ですね。これガイド料が けっこう高いが、コースを見ると、かなりの長さだし、その値打ちはありそうです。いつもは3日前までの予約が必要なんですが、この日はGWで飛び込みでもOKだったんですが、時間なく入りませんでした。それから旧小学校の滞在施設、それと1円電車の試乗ができる見学者用便益施設に行きました。そこで腹ごしらえをしました。ここにはかなりの人が集まっています。鉱石の道の歴史遺産の活用事業はかなり成功しているようです。経産省の近代化産業遺産に選定されたのと、生野は文化的景観になっているようで、やはり生涯学習の需要の重要さがわかります。
◆1円列車の試乗は1円で、4人で4円を払いました。これは作りもんのレールですが、もともとの軌道の600mほどをもう一度電車を走らせる事業を進めており、寄附を募っているようです。帰り
北星住宅という、先の集合週宅に立ち寄り、これも見学施設にリニューアルしたところらしく、内部の展示を見たかったが、残念ながら先を急ぐことにする。
◆明延の閉山は昭和62年。ほぼ昭和とともになくなった。こないだまであったということです。ガイドさんも、ヤマで働いていた人たち。閉山の石碑を見ると、むろん外国の錫とも競争していたわけだが、円高に勝てず、という理由が挙げられていた。資源の枯渇でなく、まだやれるが、価格競争に勝てないということのよう。

神子畑選鉱場

◆これ、けっこうなインパクトがありますよ。もとは鉱山だが閉山。しかし明延から運び込んだ鉱 石を選別する工場が設けられ、とくに錫は日本一で、不夜城とよばれた操 業が行われていた。まあ、払い下げで三菱なんですけどね。しかし明延の昭和62年の閉山により停止。平成に入って工場の上屋も撤去され、斜面にそそり立つコンクリートの基礎などの構造物だけを残す廃墟となる。しかし、それらを歴史遺産として活用する事業が始まる。
◆もと生野鉱山に招かれたお雇い外国人技師の1人であるムーセの居宅であった建物が、その後、神子畑に移され、その建物が残り、展示施設として利用している。ここの選鉱場のビデオが、25分だか少々長いがぜんぶ見る。面白い・・・。そのあと、ご夫婦らしいガイドさんがいろいろ説明してくれる。GWで訪問客もそこそこいる。このビデオが欲しかったが、いろいろ著作上の問題で市販しておらず、明延と生野のDVDは販売しており、明延のもの1000円を購入する。
◆明延から鉱石を運び込むためのトロッコ列車、いわゆる1円電車が6キロのトンネルで山を抜き、ここの工場の上部に到着し、そこからすりつぶし、どろどろの液体状にしたものを比重を利用したりして選別していく。銀と銅と錫といったか。そこまでがこの工場の役割。錫は生野に送られインゴットになる。銅は直島といったか。
◆いまパンフレットを見ると、一息つける食事の場所もある。そこで食べればよかった。

で朝来に

◆8時過ぎに明日香を出て、一度家に戻り、出発。9時前に出て、10時には朝来インターを降り、鋳 鉄の橋に立ったのが8:34。このへんから、生野・神子畑・明延の鉱山の史 跡めぐりがかなり地元が力を入れ、また人気もあることがうすうすわかってくる。鋳鉄の橋も、馬?牛で、鉱石を生野に運ぶために付けられたものだという。でキャラクターの幟がある。やっぷーとちゃすりんというのだそうである。一連の歴史遺産が朝来市と養父市にまたがっており、連携してやっているようだ。

2015年5月3日朝来に行く

◆2日に職場で仕事してから、早めに出て、実家へ帰る。18時前着くらい。先週は和歌山に行き、今週は加古川である。いつも、こんな調子で、丸2日というわけにはいかないので、前日の夕食を一緒に取る時間帯に帰り、翌日、でかける。正月は平福に行ったが、さあ今回は。山崎にしようかと思ってはいたが、そこは成り行きで、朝来の神子畑選鉱場になる。
◆朝来の茶すり、およびマイブンセンターには前から行きたかったが、播但道で行くとすぐですね。
◆おっとその前に、3日の朝、早くに目が覚め、母親が炊飯器のスイッチを入れており、どっかに モーニングを食べにイコカと。食事を用意してもらうのも、できるだけ負 担にならないように。で、聞いてみると、東神吉のところにあるというので出かける。そこは朝8時からで、まだ開いておらず、もう1軒の明日香というところに入る。駐車場が満杯。入ってみると、客だらけ。しかも年寄りばかり。おじいちゃん1人が隣で新聞を読んでいる。おばあちゃんを亡くしたんだろうとか・・・。飲み物に必ずトーストが付いているパターン。ちょっと手のこむものは+100円。ブレンドコーヒーと普通のサンドイッチやらトーストは420円である。で新聞もいろんな種類のものが読めるし。
◆年末だったか、和歌山に行ったときも、橋本のコメダコーヒーに朝行くと、こんなんだった。こっちはお年寄りばかりでもなかったが、近所の人が多く集まり朝食を済ましている。ハタと。喫茶店の地域需要は必ずあるな~、と。リーズナブルな価格でモーニングが食べられ、ランチはわからんが500円程度にしておけば、高齢化社会で、地域地域に十分な需要があると。
◆ちなみにすぐ北に神吉山があり、石碑が見えるが、あれは弥生墳丘墓です。ごてごて口縁を装飾した壺形土器が出ている。

真如堂と金戒光明寺

◆で、下見もあって真如堂へ行く。大きな寺ですね。はじめてちゃんと由緒を読む。むかし、けっこうここには来て、鐘楼から秋の夕日が落ちていくのを眺めていました。それと、大晦日、鐘を撞 きに来たものです。
◆で黒谷の金戒光明寺。こっちはまともに行った記憶がない。浄土宗大本山で、法然ゆかりの由緒ある大寺院です。そんなこともほとんど知りませんでした。また、京都守護職の本陣が置かれたということは、こないだの八重の桜でもやっていた通り。で真如堂からまわっていくと、まあ墓場だらけなんですけど、会津藩の墓地がある。1000人引き連れて会津からやってきて、引き上げるまでに250人くらいは亡くなっているらしい。
◆そのあとも、うろうろ。下鴨本通りを通っていると、バイカというケーキ屋さんがあり、博多っ子というラーメン屋がまだあった。

で細見美術館

◆こないだ学位授与式に出たとき、そういえば見かけたな~、と。1100円。101だかの写真展。展示 室は3階分で、上から降りていき、最後に上に上がっていく。出口の地下 がミュージアムショップで、これは楽しい。やっぱりミュージアムショップは、そこでしかないオリジナル商品が必要でしょうね。それに特化した書籍の販売。レストランもある。次々、人が入ってきます。

京大ミュージアムへ

◆まあ、初めて行ったわけです。400円。旧文学部博物館時代の展示を見て、やはり考古資料はちゃ んとしてますわ。お行儀がいい感じですけど。久津川の石棺にも久しぶりにご対面しました。2階に上がると古文書。このへんがまあ、ほとんど工夫はないな~、と。いいものを並べるのでもなく、文書のやりとりを示す、たぶん以前の企画展の時の展示をそのままもってきているんだろうが・・・。それと地理の資料もあるんだろうけど、絵図くらい。これは日本史の管理かもしれない。そうすると地理の展示はないと。まあ、文学部博物館時代のものをほとんどいじってはいない。ほぼ進化がない。
◆で総合博物館化した時に新設された理学部の標本などの建物に行く。こっちは研究を打ちだしている姿がある。標本を出してはいるが、基本は研究を示すために関連資料を配置してい る。おそらくどの分野を出すかを決め、それぞれのポジションで原稿が出て、それがパネルになっていて、展示の統一感はあまりない感じに受け取った。
◆まあそれでも、高校生の見学とか、人は入っていますね。ミュージアムショップもあるが、なんだか貧困に感じた。もっともっと、もってる資料を使えるはずだが、どこにもあるオモチャ、そして書籍。もっと大学を打ち出すことはできるはず。そういえば百年記念館では、大学のグッズがいろいろ取りそろえられていた。大学史と大学のもつ資料によるミュージアムが完全に分離しているのが特徴である。北海道大学に行ったとき、駅からいちばん近いところに大学のガイダンス施設みたいなものが置かれ、マップとかいろいろあった。すべて自分のところの大学ミュージアムを念頭に見学している。今後、全国、あちこち機会をもうけて見て回りたいと思っている。旅費くれー

プラグイン

カレンダー

05 2025/06 07
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
8 9 10 11 12 13 14
15 17 18 19 20 21
23 24 25 26 27 28
29 30

カテゴリー

フリーエリア

最新コメント

最新トラックバック

プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

バーコード

ブログ内検索