人を幸せにする人になろう

明延に足をのばす

◆そのあと山越えし、一宮町に入り(播磨一宮伊和神社がある)、北上して但馬に抜ける。ここ も町村合併で養父市となっている。で明延。
◆錫鉱の発見は大きく、全国から掘り屋が集まってきたらしい。昭和31年で4000人の人口があり、鉱山従業員は1500人だとか。谷間に町ができたわけです。テニスコートやプール、映画館、不足する住宅対策としての集合住宅などなど。軍艦島が著名ですが負けていません。高度経済成長期まで、日本の工業発展とともに特異な町が出現したわけです。谷間に沿って、いろいろと見るところがあります。南から入っていったので、見学坑道の入り口を見て、近傍の資料館に行く。展示施設があり、また見学坑道の出口がある。駐車場にけっこう車があるのに資料館には誰もおらず、10:30からの見学に来た人たちで、資料館見学を終える頃、坑道から出てきていました。20人くらいはいたでしょうか、けっこうな人気ですね。これガイド料が けっこう高いが、コースを見ると、かなりの長さだし、その値打ちはありそうです。いつもは3日前までの予約が必要なんですが、この日はGWで飛び込みでもOKだったんですが、時間なく入りませんでした。それから旧小学校の滞在施設、それと1円電車の試乗ができる見学者用便益施設に行きました。そこで腹ごしらえをしました。ここにはかなりの人が集まっています。鉱石の道の歴史遺産の活用事業はかなり成功しているようです。経産省の近代化産業遺産に選定されたのと、生野は文化的景観になっているようで、やはり生涯学習の需要の重要さがわかります。
◆1円列車の試乗は1円で、4人で4円を払いました。これは作りもんのレールですが、もともとの軌道の600mほどをもう一度電車を走らせる事業を進めており、寄附を募っているようです。帰り
北星住宅という、先の集合週宅に立ち寄り、これも見学施設にリニューアルしたところらしく、内部の展示を見たかったが、残念ながら先を急ぐことにする。
◆明延の閉山は昭和62年。ほぼ昭和とともになくなった。こないだまであったということです。ガイドさんも、ヤマで働いていた人たち。閉山の石碑を見ると、むろん外国の錫とも競争していたわけだが、円高に勝てず、という理由が挙げられていた。資源の枯渇でなく、まだやれるが、価格競争に勝てないということのよう。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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