人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
西都原2015年度(続々)
◆やはり露出展示は難しいですね。100号も再整備。それと171号の現状を見たが(写真)、なかな
かしんどい。両者で状況は違うのだが、171の場合はモグラなんだとか。無数の土が起きた箇所があり、これぜんぶモグラです、とのこと。昨年も生目で地下式の壁がモグラにやられてたのを見たような・・・。あまり近畿ではお目にかからないように思うのですが、そうでもないのでしょうか。
◆豊臣石垣の公開でも、徳川の盛土を剥ぎ取りも劣化は必定だし、地べたにしても地球とつながっている面をそのまま出すのは困難、といった議論をしている。「精巧なつくりもの」が管理上もいいのだろうと話をしている。宇治の太閤堤も、見ていないが、遺構を保護した上にレプリカをのせるようで、作成作業が進めれらていると前に聞いた。
◆そのあと、博物館で、今年度残りで何をやるかと、来年度の調査方針について話し合う。いろいろ過去の報告書をチェックしながら、こうした議論ができたのも有意義でした。最後、博物館の企画展を見る。船がテーマでした。
◆帰り、車で送っていただきましたが、時間帯が時間帯で、空港についてのはけっこうぎり
ぎりでした。伊丹には20時着で、いつも外をみてますが、やっぱり進入路がよくわからないまま、奈良盆地だというのがわかり、平群谷が見え、生駒山系を越え大阪側に入ると、まあ明かりだらけです。「東高野街道」は細く、いまの170は太い。古代の直線官道を楽しみました。
◆まあ、けっこうヘロヘロで。
◆豊臣石垣の公開でも、徳川の盛土を剥ぎ取りも劣化は必定だし、地べたにしても地球とつながっている面をそのまま出すのは困難、といった議論をしている。「精巧なつくりもの」が管理上もいいのだろうと話をしている。宇治の太閤堤も、見ていないが、遺構を保護した上にレプリカをのせるようで、作成作業が進めれらていると前に聞いた。
◆そのあと、博物館で、今年度残りで何をやるかと、来年度の調査方針について話し合う。いろいろ過去の報告書をチェックしながら、こうした議論ができたのも有意義でした。最後、博物館の企画展を見る。船がテーマでした。
◆帰り、車で送っていただきましたが、時間帯が時間帯で、空港についてのはけっこうぎり
◆まあ、けっこうヘロヘロで。
西都原2015年度(続)
◆再整備した100号墳?。発掘中の小型方墳101号墳。そしてメサホの外周溝の調査。昨年に続く265号墳の発掘。現在調査中の3箇所はいずれも実に面白かった。
◆101号は、5世紀前半段階のメサホ・オサホの時期に、ひとつ離れて前期以来の段丘縁辺のところに築かれた小方墳ながら埴輪をもつ。甲冑形、家形、蓋形など、立派。ところが、それが故意に壊され、周溝が埋められているんだとか。う~ん。半分納得。あとは、埴輪を接合して、打ち割られた具体像がわかればきわめて面白い。なぜ壊されたのか?、出過ぎた?。
◆メサホの外周溝は実に面白かった。およそ復元は可能になりつつあり、あとは171号との
取り付き、あるいは陸橋部が明らかになると、宮内庁管理地外での遺構表示が可能となる。写真はメサホの周堤である。実に美しい。だいたい導線からしてメサホ前方部を見ても、なかなかぐるりと西にまわり、オサホ側まで足をのばして見に行くことはないのではないか。かといって東側は、密に杉が生えていて見にくい。西側から見るような環境整備をしてやれば、柵越しにメサホ・オサホとも近づいて見ることができるわけである。そっち側を整備していこうというのは、実にいいことである。
◆265も、二重の周溝になることがほぼはっきりした。確かに松本塚とよく似た、土師ニサ
ンザイか軽里大塚くらいのもの。去年、造り出しを掘っていたことはよく覚えているが、周囲の溝の調査はほとんど忘れていたが、これも俄然面白いですね。メサホ・オサホでドカンといくが、そこまででポシャッたものの、5世紀後半に再び前方後円墳が現れ、しかしそれも続かない。が一方で、前方後円墳でないが円墳や地下式横穴が現れてきて、甲冑ももつと。雄略期に軍事編制に取り込んでいくようなことか、な。
◆101号は、5世紀前半段階のメサホ・オサホの時期に、ひとつ離れて前期以来の段丘縁辺のところに築かれた小方墳ながら埴輪をもつ。甲冑形、家形、蓋形など、立派。ところが、それが故意に壊され、周溝が埋められているんだとか。う~ん。半分納得。あとは、埴輪を接合して、打ち割られた具体像がわかればきわめて面白い。なぜ壊されたのか?、出過ぎた?。
◆メサホの外周溝は実に面白かった。およそ復元は可能になりつつあり、あとは171号との
◆265も、二重の周溝になることがほぼはっきりした。確かに松本塚とよく似た、土師ニサ
西都原2015年度
◆1日は16:55発の飛行機。とても天気良いが寒い。東海道新幹線も混乱したよう。四国の石鎚山あたりか雪がかなり顕著。四国の西海岸あたりも耕地に雪があるように見える。トレースをしていたか、某原稿を書いていたか、忘れたが、あっという間に宮崎。ホテルに入り懇親会に向かう。年1回の楽しい顔合わせである。終了後、いつものように織田薪の釜揚げうどんで占める。九州だと、最初は生ビールでも、あとは焼酎である。部屋にもどってばたっと寝る。
◆4時に目が覚め、のどが渇き、コーラやお茶でアルコールの分解を助ける。シャワー。ちょっと原稿を書くも、眠くなり、起きたら8時前。ひさしぶりに「あさがきた」を見て、朝食。9時前にフロントに。そこから西都原。
◆高千穂もよく見える。もっと連なったように見えるのかと思ったが、手前の高千穂が独立山塊のように姿を現している。
◆4時に目が覚め、のどが渇き、コーラやお茶でアルコールの分解を助ける。シャワー。ちょっと原稿を書くも、眠くなり、起きたら8時前。ひさしぶりに「あさがきた」を見て、朝食。9時前にフロントに。そこから西都原。
◆高千穂もよく見える。もっと連なったように見えるのかと思ったが、手前の高千穂が独立山塊のように姿を現している。
2016年2月29日久津川車塚
◆自分、原田、大澤、吉村、安藤。龍神様が暴れ雨との天気予報。9時の現場では雨が落ちていた。
なんとか昼まではやるかと始め、藪のなかでもあり、なんとかやれ、そのうち雨も止まる。最初はP205で残り部分をやる。D5の紙の西南部分の空白も、フラットで、レベリングと、1本ほど等高線を入れて埋めたような気もします。その後、P207に移動し、まずは茶畑E4。だいたいフレームは取った。紙の範囲外も、周囲の街路をめぐらせる時にやればよい。これで昼。
◆ガストで昼飯を食っていると、雨が激しくなり、14時まで待機。まあそのあとは上がっていく雲模様だったので、再開。マシンの位置のD4に立て、線路、北側の竹藪との境界、畑地の境界などなど、輪郭を入れつつ、レベルを落とし、等高線も何本か入れる。D4は完了し、D5の紙に変え、東の道路沿いの周堤の高まりを入れていくが、再び降雨もあり、16:20頃には撤収したように記憶する。
◆老いると、ぐったりです。まあけっこうきましたよ。今日のように、南半分は開けているので、楽。踏切近くまで一気にやれるだろう。問題は竹の密生する北半の線路沿いである。これはちょっとボランティアさんの伐採を入れてもらい、なんとかするほかない。あと2日あれば、終わるかも知れませんね。4月はじめの学期開始までに、なんとか終わってしまい、測量調査概報の作成に進みたい。
◆ガストで昼飯を食っていると、雨が激しくなり、14時まで待機。まあそのあとは上がっていく雲模様だったので、再開。マシンの位置のD4に立て、線路、北側の竹藪との境界、畑地の境界などなど、輪郭を入れつつ、レベルを落とし、等高線も何本か入れる。D4は完了し、D5の紙に変え、東の道路沿いの周堤の高まりを入れていくが、再び降雨もあり、16:20頃には撤収したように記憶する。
◆老いると、ぐったりです。まあけっこうきましたよ。今日のように、南半分は開けているので、楽。踏切近くまで一気にやれるだろう。問題は竹の密生する北半の線路沿いである。これはちょっとボランティアさんの伐採を入れてもらい、なんとかするほかない。あと2日あれば、終わるかも知れませんね。4月はじめの学期開始までに、なんとか終わってしまい、測量調査概報の作成に進みたい。
2月26日渋谷向山
◆第9回目、12箇所目の立入り。今年もまた立入りの世話役。前日夜、なんとか40部の資料を印刷
し、かばんにつめて持ち帰る。帰りの電車で資料を見返していると、過去の調査区を記入した図のトレンチ番号などがなぜだが飛んでいる。帰ってから、再度、玉1の報告書を読み返して予習をしておこうと思っていたが、資料の作り直しである。で、読みながら、所見を記入してなんとかA3の資料を作り直し、朝、コンビニにPDFを持ち込んで印刷。
◆比較的早目に出て桜井まで行き、巻向駅から歩いて到達、茶店で時間まで待機。1時間弱前くらいに現地入りして、みなさんの到着を待つ。予定通り13時から2時間の予定でなかに入る。いろいろと考えるところがあったが、復元案という形でまとめる必要がある。感じたのは、周濠を造り上げている土塁こそ、近代の陵墓の象徴だ、ということ。目隠し的に土塁をめぐらせ、内側を濠状に整えている姿、これが渋谷向山古墳だけでなくどこでもそうなのだが、古墳の当初の姿をゆがめてしまっていて、それを取っ払った、修陵前の田
畑の姿にリセットして、そこから調査区の成果を理解していかなければならない。
◆造り出し、造り出しなんでしょうね。入れてくれませんでしたが。これ手前の平坦面から上面までは1.5mくらいかもしれないが、濠底からすれば、かなりのボリュームの土壇になる。
◆終了後、天理に移動して検討会、その後反省会。
◆比較的早目に出て桜井まで行き、巻向駅から歩いて到達、茶店で時間まで待機。1時間弱前くらいに現地入りして、みなさんの到着を待つ。予定通り13時から2時間の予定でなかに入る。いろいろと考えるところがあったが、復元案という形でまとめる必要がある。感じたのは、周濠を造り上げている土塁こそ、近代の陵墓の象徴だ、ということ。目隠し的に土塁をめぐらせ、内側を濠状に整えている姿、これが渋谷向山古墳だけでなくどこでもそうなのだが、古墳の当初の姿をゆがめてしまっていて、それを取っ払った、修陵前の田
◆造り出し、造り出しなんでしょうね。入れてくれませんでしたが。これ手前の平坦面から上面までは1.5mくらいかもしれないが、濠底からすれば、かなりのボリュームの土壇になる。
◆終了後、天理に移動して検討会、その後反省会。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。