人を幸せにする人になろう

5月8日KR研

◆金曜日、そして土曜日、めいいっぱい仕事をしてますが、一段落することがない。ヘロヘロです。6日金曜日は、2限には大学史に行き展示リニューアルの打ち合わせ。18時に『市大日本史』校了。この間、ある原稿を仕上げたのかな。土曜日はKR研用に、こないだの測量成果を反映させた測量現状図。1分の1図を取った土器、破片で挙げた100数十点のもの(2/3は座標換算も)を、平面図上に落としたり。今年度の調査区をまじめに考えたり。そうそう阿部君がぜんぶ拾ってくれた2014・2015の久津川発掘日誌ブログの調整とコピーなどで、日が暮れ、夜が暮れました。
◆で、朝9時から京都でKR研。原田君の埴輪の話と、浅井さんの久津川古墳群および南山城の中期古墳の概要、の2本。それと整理作業の進行報告など。むろん午後の方がよかったが、会場の部屋の空き状況の関係で午前となったもの。われわれで、久津川古墳群のできるだけ精密な編年と構成を示す図を作り上げたいもの。埴輪の報告や各古墳の調査状況を聞いていて、そう思う。ひとつの地域で、扇状地上の主要古墳や、丘陵上の大型円墳など、興味深い群構成を取り、かつ調査成果がここまで積み上げられている中期前半の古墳群は、まあない。埴輪をもつものは原田君の研究でかなり厳密に配列できるし、そうでないものも年代的根拠を確認しつつ、2世代くらいの時間幅50から60年くらいかもしれないが、可能な限り厳密に置いてやり、墳丘規模をそろえて配列し、さまざまな墳形のものが併存する姿をまずは明らかにしたい。それをどう捉えていくかはあれ、まずは中期前半と時間軸を限定し、そこに配置していくことが重要ですね。
◆それと、この夏、後円部と造り出し北辺の接続する部位を発掘する上で、芭蕉塚といういちばんの教科書があるということを認識する。それを再度、大きな図を見ながら、構造を頭に入れて、夏に望むことが必要ですね。
◆中期前半は久津川古墳群が親玉であるが、美濃山王塚やゴロゴロ山など、帆立貝が大型円墳なども並び立っていたが、後半になると、宮が平など、それまでにないものも現れてはくるものの、前半に取って替わるようなものはもはやなく、全般に古墳の造営は縮小する。おそらく栗隈県というのも、和泉の茅渟県や日根県と同じように、5世紀後半のなかで設置されていくのであろう。
◆さて、12:30に終わり、今週を乗り切るため、メシを食いにいくことなく(すまん)、早々に引き揚げ大学に来ております。けっこうヘロヘロにくたびれてますが、あれとこれ、をちゃんとしないと・・・。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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