人を幸せにする人になろう

パチンコ

◆パチンコはしませんが、ラジオを聞いていると、広告の半分はパチンコではないかと思えるほど、なんとか店がオープンとか、なんとか店がリニューアル、とかのCMが流れる。データによると、産業規模は28兆円あって、自動車産業の1/2だとか。胴元は儲かってしゃーないんでしょうな。それだけ膨大なカネが刹那的な快楽のために捨てられると。むろん中毒にしてやらねばならないから、適当にもうかることもあるようにしておかねば。が、パチンコをやる人間がつぎ込んで戻ってこないカネは膨大だろう。これは生産じゃないのですよ、消費です。
◆そのカネが介護にまわれば、文化的活動にまわれば、飲食でも良い、それだけで日本のカネのめぐりはよくなろうに。無駄、無駄、無駄。28兆円、リニアだって1年でできまっせ。それだけのカネが、多くはあほな男が、家庭を顧みず、カネを投入する。庶民からカネを巻き上げる巧みなシステム。カネの使い方を間違っている、としか思えない。

1票の格差より投票率による信任確保の方が大事

◆新聞によると、もっとも投票率の高かったのが島根県(前回も同じ)で、低かったのが青森県(これも前回と同じ)という。投票率を上げるために提案する。有権者の2/3以上の投票があり、はじめて意志が表明されるとする。66.6%でなくても65%でいいだろう。ちょうどそのくらいが、現実的な目標だと思う。それを越えなければ、その選挙区からは代議士は出せない、とすべし。これにより論点が明確にされ、論争が活発化し、投票行動へとつながるだろう。立候補する側は、選ばれるために、もっと努力すべし。結局、これでいいのではないか。

原子力による電気は廉価なんだって

◆国の小委員会の報告。どんどん建てることを謳っているとか。そして、原発の電気は廉価だって。それに異を唱えた委員も2人いたとか。次回ははずされるんとちがいますか。オカミの決めたことに従わないヤツとして。これがこの国の行政の、専門家の意見を聞いたとしてお墨付きをえてモノゴトを決定する仕組み。原発の発電単価が安いなどという大ウソが、大手を振ってのさばり、その世界だけの閉じた世界で、専門家とかいうヤツが結託して、なんら咎められない。

思うんですけど

◆自分が貪欲に本を読んできた、とはいえない。むしろ少ないし偏っている。だが、大学時代、例えば『貧困なる精神』が刊行されると、むさぼり読んでいた。面白そうな本を、古本屋で見つけると買っていた。買っただけでならべるだけのものも少なくなかったが。こないだ、歴博に行くとき、ネルーの『父が子に語る世界史』第1巻をもち、電車で立っているときは読んでいた(新幹線で座っている間はPCに向かう)。この本も全6巻でサラのまま本棚に眠っているもの(カミさんは読破したらしい)。何がいいたいか。要するに、ひとそれぞれ関心は違っても、読みたいとか、知りたいとか、学びたいとか、そういう欲求があった。まんべんなくという必要はないが(ヒマ人でなければ無理)、知識欲というのか、そんなんがあった。いまはどうだろう。スマホをさわっているだけではないのか。
◆新聞を読むことも、世の大学生の大半はしないだろう。われわれの感覚では、大学生になれば、下宿生活の1ヶ月の生活費は限られていたが、新聞をずっと取っていました。当時、どこまで実際に読んでいたかは定かではないけれど。いまのネットの見出しのニュースなど、ごくごく限られている。新聞は、ニュース性ではなく、あらゆる分野についての話題について取材し、取り上げ方はさまざまであれ、いろんな記事がある。情報の宝庫です。
◆自分の側が未熟でも、目を通し、気になった記事は読み、すこしずつでも蓄積されていく、その営為は重要ですよね。世の中のことをだんだんと知る、それを通じて考える。いま、ものすごく情報が溢れているようでありながら、実際に知っていることはごく限られ、またその理解も表層的なのではないか。なにか自分が年をとり、いまの自分から「いまの若いヤツは」と言っているみたいで、イヤなのですが。だけども、ず~とスマホをはなさず、仲間内のコミュニケーションとゲームばかりやっているなら、やはり危惧せざるをえないように思うわけです。
◆卒論演習をしてて思ったのですが。論文を読むと。がバックボーンがないわけです。近年の良質の概説本などもいくつもありますよね。古いものでも、単に古いだけでない。そういうものを読んで、自分がやろうとしている時代がどんなものなのか、おおよそのところを知ることは大事だと思う。が、たぶん読みはしない。で、関心が定まっているヤツは、そのまま論文に行く。これはこれで悪くはないかもしれない。それに突き進む中で、どうしてもまわりを知る必要があり、それをも吸収していくならば。が、関心がボンヤリしている場合は、決められなかったり、たまたま手に取ったもの、読んだものでテーマを決めていったりする。何が面白いの、それやってどういう意味があるの、という問いに答えられないわけです(そんな明確なものでなくとも、実際やろうとすることについて、なにか語ってほしいわけです)。ひどいのは、「何か面白いことありますか」、と聞くヤツ(うちではない)。そういう興味関心のないものは去れ。大学に来る必要はない。

◆で、この新聞記事。刷り込み、刷り込み。自分で考えるのでなく、週刊誌の広告だけを見ている とそうなる。そんなことでは、愚民とされ、操作されますよ。戦前となんら変わりがない、ということがよくわかる。競争するな、比べるな。むしろ、いいところをたくさん取り上げろ。

ヒストリアに書いたもの

◆福沢諭吉の東アジア蔑視の言葉。

「朝鮮・・・小野蛮国にして・・・彼より来朝して我属国と為るも之を悦ぶに足らず」、「朝鮮人は未開の民・・・極めて頑愚・・・凶暴」、「朝鮮人・・・頑冥倨傲・・・無気力無定見」、「朝鮮国民・・・露英の人民たるこそ其幸福は大なる可し」、「朝鮮人・・・上流は腐儒の巣窟、下流は奴隷の群集」、「朝鮮・・・軟弱無廉恥の国民」、「朝鮮国・・・国にして国に非ず」、「朝鮮・・・人民は正しく牛馬豚犬」、「朝鮮人・・・の頑冥不霊は南洋の土人にも譲らず」、「朝鮮国は・・・四肢麻痺して自動の能力なき病人の如く」、「卑劣朝鮮人の如し」。

「支那・・・東洋の老木朽木」、「支那人民の怯儒卑屈は実に法外無類」、「チャイニーズ・・・恰も乞食穢多」、「支那人・・・奴隷と為るも、銭さへ得れば敢て憚る所に非ず」、「良餌」、「剛愎の支那人」、「チャンチャン・・・皆殺しにするは造作もなきこと」、「銭に日のないチャンチャン」、「老大腐朽の支那国」、「支那・・・腐敗の中に棲息する其有様は、溝孑孑の浮沈するが如し」、「支那人は・・・頑迷不霊」、「清兵・・・豚尾児、臆病なり」、「軍律なき軍隊は烏合の衆・・・乞食蹄民隊」、「豚尾兵と名くる一種の悪獣」、「支那兵の如き、恰も半死の病人にして・・・実は豚狩の積り」、「林則徐と云ふ智慧なしの短気者」、「支那人を文明開化に導くなんと云ふことは、コリャ真実無益な話だ・・・百の李鴻章が出て来たって何にも出来はしない。」

「台湾の反民・・・烏合の草賊・・・無知蒙昧の蛮民」、「頑冥不霊は彼等の性質にして・・・殲滅の外に手段なし」、「未開の蛮民・・・無智頑迷の輩」、「土匪の騒動・・・烏合の草賊輩」。

福沢を「ヘイトスピーチの元祖」という安川の言葉にまったく同意する。アジアの「野蛮」や「頑迷固陋」を強調し、朝鮮・中国に対する蔑視・偏見・マイナス評価を垂れ流し、こうしたアジア蔑視の意識を、近代日本人の「心性」になるまで刷り込む役割を果たしたのが福沢であった。

◆これは一方で、日本人の大半をもバカにする思想と根では共通である。

福沢は、民衆を「無気力の愚民」、「無智の小民」、「百姓車挽」、「下民」、「所謂百姓町人の輩は・・・社会の為に衣食を給するのみ・・・獣類にすれば豚の如きもの」、「馬鹿と片輪に宗教、丁度よき取合せならん」、自由民権運動家は「無智無識の愚民」、「無分別者」と罵倒していた。
 官吏に逆らった人々に対し、福沢は、「かかる愚民を支配するには・・・ただ威をもって畏すのみ。」、「かかる賊民・・・には・・・是非とも苛刻の政を行なふこと」を要求する。1900年の足尾鉱毒事件における被害農民の請願運動に対して、「政府は断然職権を以て処分し一毫も仮借する所ある可らず」と弾圧を要求する。
 早い時期から西欧の労働運動・社会主義運動への不安・懸念をもち、「貧智者」がストライキや賃上げ、労働時間短縮等を要求し、「社会党」や「虚無党」を組織するようになることに警鐘をならす。「過激主義の現出」を押さえるために、宗教の奨励、慈善事業の勧め、移民の奨励とならび、「最も恐るべき」貧智者が生じないように、貧民子弟を中・高等教育から排除するよう要求する。
 こうした福沢にとっては、1890年の大日本帝国憲法は「完全無欠」で「完美なる憲法」であった。翌年の教育勅語を「感泣」して歓迎し、「仁義孝悌忠君愛国の精神」貫徹を要求する社説を書かせてもいる。

久津川車塚の発掘

◆前に検討会をもった時、オレならこう掘るとまとめたもの。

直木先生に御著書を送っていただく

◆直木先生は大学の大先輩だが、直接の面識はなにもなかった。が、大阪府の博物館問題の時に初めてお話 しし、大阪府庁での記者会見時に、先生は書いたものを読み上げられた。最近、別件で、手紙を出し、返信をいただいたが、住所は自宅ではなくなっており、施設に入っておられるようだった。で、今回、直接、本を送っていただき、感激である。いまなお、新しい議論を吸収し、書いてきたものに手を入れ、また新たに書き起こし、著書にまとめられる先生の情熱に脱帽である。
◆ざっと見たところ、ヒストリアの津堂城山古墳の紹介記事が引用されていた。ああいう記事も、やはり必要なんでしょう。先生のお役に立ったならうれしい限りである。が、河内政権論の本論については、福永さんの研究が引用されている。そこで、少し書いたもののコピーを送ることにしよう。ありがとうございました。

久津川車塚12月27日

◆土井・山口・佐藤。9:00~16:40。P9にマシンを据え、バックサイトはP6、これで東側の広場に P200を打設する。次いで、北端部にP201を打つ。これで、基本的に東側はこの2本で進める。
◆P200で、C5、B5をY140くらいまで測る。以上、簡単ですが。測量も単純なもので・・・。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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