人を幸せにする人になろう

日韓の未来

◆基本的に、わたしが知っている韓国人はわずかだが、それでも知っている。この人たち、とても親切で、便宜を図っていただき、友好的。この関係を大事にしたいと、普通に思う。嫌韓の人たちは、韓国の知り合いはいないのかもしれないな、と思う。
◆まず併合は絶対悪であるということ。日中戦争もそう。出て行ったのは日本であり、日韓修好条規以来、朝鮮をぶんどり、さらに中国をぶんどろうとした。その大局の前に、日本がいいこともしたとか、柳宗悦みたいな人もいた、ということはマスターベーションにすぎない。まずこれ。
◆そしてそのことの重みがどこまでわかっているか。国を奪われ、半日運動であまたの命が失われ、土地が奪われ、やむなく出稼ぎに出る、慰安婦として屈辱を味わう、そうした尊厳をずたずたにされた感情は、やった側にはわからないのである。嫌韓とか、ネット上の言葉遊びで扱う問題ではそもそもない、と思う。そんな議論で扱われるべき問題ではない、重く重いもの。
◆また、なんのために議論をするのか、ということ。相容れず、相手側の話に耳を傾けないなら、はじめから議論にならない。歩み寄るための議論であるべきだ。読んだ直後には、もっといろいろと頭をめぐったが、もう忘れた。

ご無沙汰しています

◆先週来、調子を崩しております。先週の木曜日だったか、嫌韓流の反対本を読む。竹島は韓国のもんですな、と。それはおそらくそれで決着でしょう。日本政府が太政官布令を隠して出さないんだそうですね。沖縄密約と同じ。あるのだが、表にしない、そんなものはない、と。話にならないわけだ。
◆それで、従軍慰安婦の問題にしても、どちらの立場であれ、防衛省や旧内務省の文書を、強制があった、強制がなかった、という立場を越えて、史料を出せという運動をすればいいのに、と思う。軍人でも、兵士は戦後黙して語らず、に対し、上のものは業務として詳細な日誌を作成し、提出されたものが多量に中央官庁の倉庫に眠っているという。調べた調べてない、強制という記述があったとか、なかったとか、の議論以前の問題である。そもそも本体ともいえる史料群が隠されているわけだ。むろん、一緒にというのは無理で、強制はなかったという側は、そんなものをほじくり出すことは金輪際ない。
◆とにかく嫌韓流反対本、では、多くのことを学ぶ。項目を改める。

「地の利」論

◆なぜヤマト国が倭国の中心になるのか、大きな課題である。地の利論というのがあるのだが、どうも納得できない。列島の中心に位置し、日本海側を含め、東西日本をつなぐ位置にあることは確かだ。有利に働く要素であることは認める。
◆まず、交易ネットワークができると、その上で、その位置故に重要性を増し、中心へと躍り出ると言われると違和感が大きい。
◆まず、なぜに交易ネットワークができるのか。例えば鉄、需要が高まり、素材が十分入ってくるなら、北部九州はじゃんじゃん製品を作れば、冨が集積することになる。排他的に独占するより(自分の所の消費は既に十分なんでしょうね)、交易で儲けた方がいい、ということなんだろうか。そのへん、なにか契機があってできてくるものなのか、自ずから生まれてくるものなんだろうか、いま考えている。
◆もしかして、競合みたいなものを考えなくても、全国需要がネットワークを作りあげるのかな、とも思う。だが、そうしてネットワークができるとして、みなフラットな関係ではないと思うのだ。弥生後期の広域地域圏にも大小や権力の集中度の強弱とか、自ずから差はある。要するに、ヤマト国が一定の求心力をもつ、なにがしか必然性があったんだろうと思うわけです。たまたま、近畿地方の土地柄がよかった故に、求心力をもっていくようになる、という言い方は間違っていると思うわけ。そんなんじゃないだろうと。
◆熊本県の鍛冶炉とかすごいですね。徳島もすごいらしい。淡路の鍛冶工房も、あれは阿波ですけね。熊本というと、クナ国?。数少ない九州説で行けば、たぶん安本説なので、筑後がヤマタイ国とみてるんだろう。そうすると東遷説?。いつなんどき東遷するんですかね。まあ、それはおいておいて・・・。ネギタさんの『日本考古学』の論文を教えてもらう。そうなんですよ。前に野磨駅家の調査で、弥生のカンカンに焼けた炉を見たことがあって、それが頭から離れません。鍛冶炉って、見たことのない者には、よく焼けてるな~、くらいで認識されていないものもあると思いますよ。
◆このへんも揺れがあります。きっとある、と思ってはいるのですが、しかし熊本に比べるとな~、と。が、それはそれで、潤沢に素材もあるし、技術もあり、鉄器が作れると、という環境は、逆に社会を変えないのかも、と。必需品だが、遠隔地にしかなく、なんとか確保せなあかん、という必要性こそが社会を変える原動力になっている可能性もあるのでは、とか。

2014年7月6日(土)下ツ道を行く(9)

体力的には朱雀門をめざせるのだが、雨も降ってきたしここまでとする。郡山の城下町に入 る。頑張って外堀公園とかを確保し整備しているし、また町中についても一定の整備が進められている。紺屋というのに前は入ったが、今回はパス。郡山城下町については、前に歴史学のハイキングで見学した。
◆大和郡山駅15時過ぎに到達。八木に出て、16時から店をあける飲み屋に10分前に入れてもらい、1時間ほど飲み、帰りました。

2014年7月6日(土)下ツ道を行く(8)

◆そして羅城門。佐保川をわたる東西道路の橋の欄干北面に看板が取り付けてある。そこか ら北側にむけてパチリ。画像を拡大してみると朱雀門が確かにある。
◆橋の高架下にも看板があるが、まあ目立たない。羅城門自体は、川でやられ、土手が乗り、ほとんど表示できないわけだ。ガイドマップを見ると、昭和10年に佐保川の底で礎石が露出したらしい。脇の公園に行けば、もうちと説明があるのだろうか、単なる公園なのか。行かなかった。

2014年7月6日(土)下ツ道を行く(7)

◆次に稗田の環濠集落。前に歴史学のハイキングで来たことがある。東南の神社はなんとなく記憶して いるが、やっぱり連れて行ってもらうのでは、ほとんど覚えてませんね。 環濠集落の典型としてよく知られているところ。再掘削とか整備事業も進められたようで、いまは環濠にとりまかれた集落の姿をほぼ見ることができる。
◆そこから、西に郡山市街に向かわず、佐保川東岸の下三橋の新興住宅地を抜けて、羅城門をめざす。そうか、ここが下三橋遺跡なのですね。
◆途中、佐保川に出て、土手沿いを北上し、羅城門をめざす。

2014年7月6日(土)下ツ道を行く(6)

◆嫁取り橋を渡るところから、西名阪と京奈和ジャンクションの工事現場となる。八条北遺跡はこ こ。大和郡山市に入る。川は西へ南へと流れる(分水嶺の逆)。
◆工事現場を抜けた次の集落は伊豆七条町(写真)。これも環濠集落だったんですね。ガイドマップをみると、いくつも環濠の表示がある。
◆さらに行くと、西側にいい集落が見えてくる。地図を見ると番条町という。川に沿って集落があり、北の森は神社だろう(熊野神社)。

2014年7月6日(土)下ツ道を行く(5)

◆二階堂駅を過ぎたところで茶店があり入る。八木からここまでほぼ店なし(飲み食いするなら田原本だ が、結局、歩いた範囲ではなかったような・・・)。ここまでで12時過ぎ。八木の交流館を出たのが9:40くらいで、約2時間。店に入ったのは、12:30くらいだったのだろう。2時間歩くと、体が中から熱く、冷房の効いた茶店でアイスコーヒーが必要。
◆下ツ道ガイドマップでは「ぼな~る」という名前で出ていた店で、いまは名前を「赤いそら豆」に変えて、喫茶&ギャラリーになっている。店の名前を変えてからだったか、3週年ということで、コーヒー100円とのこと。レ~コ2杯で200円でした。趣味でやっている店で、いろいろ話をする。民話の手作り本を渡される。
◆カミサンいわく、こういうのも年をとる効能だ、と。若い頃は「かまわないで」オーラを出していたと。そうなんでしょうか。

2014年7月6日(土)下ツ道を行く(4)

◆天理市に入る。庵治町。稲が育っている。そのむこうに集落。なんとなく見たことがあるような情景、デジャブ。単に集落があり、その南にタンボが広がっているというだけのことではあるのだが。そう、和泉市和気町を歩いていた時の風景を思い出していた。
◆そこを進むと、前に見た風景。そう、以前に初瀬川をさかのぼった時に到 達したところである。ゴミ焼却場や光洋の工場がある。この橋渡ったなという筋が、実は下ツ道だった。大和川を渡ると、下ツ道をはさんで、東が天理市、西が川西町。しばらくいくと二階堂。
◆写真は二階堂の村の中。

2014年7月6日(土)下ツ道を行く(3)

◆まあ下ツ道を歩いている人はいない。田原本の町中で1グループとすれ違ったのみだった。横大路は伊勢街 道でもあり、歩く人が多いのだが・・・。
◆田原本の本町とは別に、北に新町ができるようだが、そこにある竹村家というのが江戸期の建物なのだが、ぼろぼろで応急措置をしてあるが、手がついていない。緊急課題のようである。
◆田原本を抜け、米川を東にわたり、北上を続ける。今里に入り、杵築神社に立ち寄る。これは近かったからで、今回は北上を課題とし、脇にそれて神社等に立ち寄ることはほとんどしなかった。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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