人を幸せにする人になろう

年賀状をある程度書き、一息

◆1月14日の3:30。今日からセンター試験。うちの受験生(息子、一浪中)はよく寝ている。今年の受験は3カ所、どっかには入るだろうと祈るしかない。木曜日、カミさんと2人、道明寺天満宮に行き、神頼みをしてきた。
◆『考古学研究』が来て、震災がらみの記事を読む。陸前高田では博物館職員や文化財職員が亡くなったのか。どこにあったのか、訪れた一画にあったに違いない。気仙沼とか大船渡とか、震災でやられた部分はあっても、町の60%~80%がそのままだと、まだ「よし復旧」という気になるのだろうが、陸前高田や南三陸のようにほぼ壊滅すると、どうにもこうにもしようがない。瓦礫を撤去し、更地になっても、どこからどう手をつけていいのか、という呆然となるように思う。そうした差を感じた。
◆コンビニは仮設のものも積極的に作られているようで、基本的なものはあるので、重宝がられている様子。年末、被災地をまわっていると、同じような人がちらほら見られた。

大阪中央郵便局庁舎の保存問題

◆1月3日の新聞記事です。2010年に東京ディズニーランドを経営するオリエンタルランドの撤退9f90258e.jpgで、計画そのものがどうなるのか見直しもと期待されましたが、12月に事業者側c8fa4378.JPGから環境アセス書が提出された、ということです。
http://www.city.osaka.lg.jp/shisei_top/category/893-33-2-3-0.html
これは大阪市が大規模開発において事業者側に義務づけているもので、市民への縦覧後、市の専門委員会で検討されるのでしょうが、報道では3月中にも解体とのことであり、2月に市長から諮問、答申し、ただちに着手ということでしょうか。現市長の意向はわかりませんが、梅田の開発賛成でしょうし、当然、了解事項なんでしょうね。
◆ともかく、計画は、正面玄関部分のごく限られた範囲を形式的に残すに過ぎないようで、東京中央郵便局も同様ながら、より保存部分は広いようである。
◆環境アセス準備書段階から3年弱、保存の声にもかかわらず、出してきた案は、あまりにも限定したものにすぎません。そこで、1月29日に、前に『ヒストリア』特集で記事を書いていただいた方々などを中心に、緊急集会をもつとの連絡が入りました。概要がわかりましたら、またアップします。
◆現時点では、昭和初期の建築物として保存する部分の拡大が争点になると思います。以下、これまでの経過をまとめておきます。

          日本建築学会等による保存要望書
2006年5月     公社の高層化計画の新聞報道
2006年7月     日本建築学会等による緊急シンポジウム
2007年5月     公社の高層化計画の新聞報道
                              東京中央郵便局設計公募
2007年8月     大阪中央郵便局の設計公募
2007年12月    河村たかしによる国会質問→「東京中央郵便局は重文に値する」
2008年5月     前年発足の議員連盟による法改正案
2008年8月     環境アセス方法書提出(市専門委員会諮問9月答申12月)
2009年2月     環境アセス準備書提出(市専門委員会諮問3月答申6月)
2009年3月                         東京中央郵便局の解体開始
                              鳩山邦夫反対
2009年5月     大阪中央郵便局の移転
2009年6月     総会において保存運動を進める長山さんからの大歴への協力要請
2009年7月     重文にする集い(大阪歴史博物館)
2010年5月     建て替え延期報道(オリエンタルランド撤退)
2010年6月     『ヒストリア』第220号にて2009年7月の「集い」を特集
2011年11月     大阪府知事選・市長選
2011年12月     環境アセス書提出(現在、2012年1月30日まで縦覧中)



 

遅ればせながら、2012年、今年もよろしくお願いします

◆12月19日からの週があっという間に過ぎ、3連休を集中講義の準備に費やし、26・27・28と3日間、仙台でIMG_6520.JPG講義し、翌日は大船渡・陸前高田・気仙沼・南三陸とめぐり、29日に戻ってきてからはバタンキュー。翌日、カミさんが出張から戻り、2人で和歌山へ行き、ついで正月は加古川に行き、受験生をかかえるため、それぞれ1泊のみ。なにやら燃え尽き症候群状態。
◆写真は、年末恒例の蕎麦打ち。今年はかなり蕎麦らしいものができあがる。
◆おかげで、年末に年賀状を作り始めるが、ようやく2日に印刷したものの、それで止まっている。3日に戻り、翌日朝から出勤し、年末以来のどたばたでメールは驚くほどの量に達し、それを4日・5日・6日とひたすら処理するが、まだまだ底は見えない。ということで年賀状はまだ書いていません。いつものことながら、すいません。そのうち、松の内中にはお届けできるかと思います。
◆明日からは3連休だが、3日かけて前年度からの残務を含め仕事を片付けることができれば、ようやく一息つける状態になるかもしれない。大チョンボをやらかさないように注意。あまりいえない雑用も〆切が迫っているし、大阪城やなんとか城の調査企画を立てなあかんし、大歴もあるし、シラバスの入力も、博物館関係の残りも、とぼやいております。
◆和泉市史だよりの原稿と、考古学ジャーナルの原稿は、ようやく今日やってしまった。とはいえ、いちばん頭の痛い件があるのです。来週にかけて嵐のような日々は続きそうである。ということで、被災地で見たこととか、いろいろブログに書くこともあるが、平常状態ではないので、しばらくは途絶えるかもしれません。

集中講義おわり気仙沼のホテル

◆最終日、午後の3コマは1時間半はもたず、各1時間程度、16:30にすべて終わる。めでたしめでたし。辻秀人さんにご挨拶をし、東北学院大学を辞する。佐川さんは夏から1年間韓国で不在。うらやましい限りである。なので、久しぶりに佐川さんにお会いすることはできなかった。
◆初日の夜、辻さんと飲む。オレが2000年から大阪市大だと言うと、ねつ造事件の年だ、と。舞台となった宮城にいる者として、辻・佐川のお2人は、ねつ造事件の特別委員会の事件解明、検証発掘にたいへんだったと。だが、ほかの腰が重いなかで、オレたちがやらなければという使命感でやっていた気概が伝わる。ねつ造した本人はともかく、それを取り巻いていた人々にそれを認めさせることが容易ではなかったという。
◆辻さんは会津大塚山古墳の測量以来のときから、よくできた方だと思っていたが、いろいろ話をすることがIMG_0077.JPGでき、学生教育のことや、調査の進め方など、、実践の中からいろいろ考えていることがよくわかった。東北学院大学で20年、毎年調査を重ね、学生が自主的に整理作業に従事する体制を作り上げている様子は頭が下がる。学生に任せることで、学生が育ち大人になっていくという発言は重みがある。不満はあるが、我慢するのが仕事だとも。これもジーンと来る言葉である。任せられないからやってしまう、というのでは学生は育たないわけだ。
◆いまは院生がいないのだという。考古学離れの一端は、就職の厳しさもあろうが、ねつ造事件もそのひとつだろうと・・・。だが、受講していた学部生のなんとしっかりしていることか。むろん全員ではないが、ぱっと見、院生だろうという落ち着いた学生が何人かいる。これも2回生でゼミの希望を出し、彼らは3回生に上がる春休みから調査に参加し、それを重ねている賜物のようである(写真は大学西側を流れる広瀬川)。
◆17:00にレンタカー屋に行き出発し、東北道経由で、20:30に気仙沼に着いた。

仙台

◆東北学院大学の集中講義に出かける。26~28日の3日間*5コマ。3連休で準備をしたが、アクシデントも52a4923b.JPGあったが(23日分の3回分のパワポのデータが失われる)、現時点で9回分の資料(55頁)とパワポを用意した。最初は丁寧に、パワポの表題や本文の文字、行間、箇条書きの頭記など統一し、中身もきちんと構成を考えて作っていたが、それでは終わらない。過去の授業や講演のものからとにかく15回分、形を整えるわけだが、ひととおり作り上げないと話にならん。
◆伊丹17時の飛行機。15時に大学を出るつもりが15分出発が遅れ、結局、窓口に到着したのは出発10分前でアウト。19:40に切り替えてもらう(さいわい3席空いていた)。
◆飯を食い、喫煙できコンセントのあるスペースで作業を続ける。19:40発で、20:45分ランディング。仙台ま4820deed.JPGで電車だが、21:32分発まで30分待つ。仙台着は22:00時。ちらほらと粉雪。ホテルまで歩く途中、ラーメン屋に入る。ホテルに入ったのは30分か。無線ランが利用できるようで、ブログを書く。
◆第9回で佐紀古墳群まで来た。いまから10回目を作り終えると、まあ2日分は確保できる。
 

なにもやる気がおこらん

◆神明山のリーフもほぼでき、ちょこっとやれば印刷屋に出せるが、やる気が起こらん。『考古学雑誌』のたつの市の三角縁神獣鏡も、図面の手直しを、こないだ東京行った帰りにやって、だいたい図は完了に近づいたし、文章もほとんどあるので、ちょこっとやれば終われるのだが、やる気がおこらん。
◆『考古学ジャーナル』の原稿、気がつけば〆切を過ぎている。ようやく書き始めるが、これもやる気がおこらん。424d7c5c.jpg
◆そういえば同成社の第1巻が刊行される。自分の原稿を読む。ま、歯切れはよい。でも、えらい高い本や。こんなん、いまの学生は買わへんわな~。原稿料って、いくらくらいあるんやろ。ま、あってもなくても。もうひとつ、三角縁神獣鏡の原稿があるのだが、これもやる気がおこらん。
◆人間は精神的なものなので、やる気がないと仕事はしない。そうも言ってはおられない。東北学院大学の集中講義の準備で3連休は全滅だな。これで年越し・・・。

火曜日、大仙の中堤

◆10:30から大仙古墳の中堤の確認調査。徳田さん担当。いや~ずいぶんと盛られているらしい。地山は低い。1cdf4f8d.JPG3重目の濠ってほんとにあるのかね~。
◆向かいで、堺市がナントカ古墳の確認調査に着手していた。見て回りたいのはヤマヤマながら、小澤さんの集中講義に今日も開始時点でおれなかったので、そのまま戻る。阪和線4駅分はありがたい。小田木君と調査の話。天理大学なんて、まわりにいくらでもやる対象がある。共同調査やろか、と提案。ま、天理大学が主でいい。こっちは、やりたい対象について手伝いができればいい。
◆この日は小澤さんを囲んで日本史教員の宴会。水曜日は考古の忘年会。3連ちゃんです。

月曜日、大阪市の会議

◆大阪市の会議。今日から小澤さんの集中講義ながら、朝の9:30から12:30まで拘束される。今年度は、大阪城の魅力作りのマスタープランの策定、3回の会議の最終。
◆来年度は特別史跡大阪城の保存管理計画の策定。本丸から調査研究に着手するプランが盛り込まれるだろう。これをいかに実現するか。そうなると、動き出す、回り出すであろう。大阪市内部での方針にきちんと位置づけられる必要があるし、本丸を調査するといっても、特別史跡だし、きちんとした将来構想や、で本丸をどうするのかというカッコたる構想がないと、文化庁だって認めないだろう。
◆ゆとりとみどりが全体を管轄するにしても、特別史跡にメスを入れる点は、文化財保護課がしっかりとプラニングしなければならない。さてと、大阪市の文化財保護課の力量を見させて貰おう。
◆翌日、天理大学の小田木君に会ったので、本丸御殿のレーダー探査を頼んでおいた。細かい点は桑原さんと詰める必要がある。
◆この日、大阪歴史学会の委員会および忘年会。いろいろさぼっているが、現地見学検討会も少しは話を進めて貰っているようだし、ねごろや、陵墓のことなど、最低のことはなんとか・・・。

松岳山12月18日

◆岸本・木村(関大)・小西・藤林。まず、全員で前方部西北隅角。P35にマシン(BS=P34)を据える。稜線沿fc15de5d.jpgいが土地境界となり、これを尾根上に削り残し、両側が地下げされているのだが、前回の測量がやや荒く細部があまり表現できていないので、まずはその補足から。
◆木村・小西に任せようと思っていたが、地形が複雑で任せるのは困難と判断し、茶臼塚側を任せることにする。それで、マシンを入れ替え、茶臼塚のP42に我が社のマシンを据える(BS=P33)。設定までやって、あとは放任する。
◆【岸本班】前方部西北隅について、細かく細くしながら下げていき、途中からは新規の測量となる。北辺および南面とも伐採した竹がうずたかく積み上げられているので、測量範囲は次第に狭くなる。標高48.25mまで下げる。北側はその先は急斜面の崖面となり、そこへまた伐採した竹が放り込んである。南側は傾斜が緩やかになる。P35からの測量もいましばらくできるが、次の展開を考える必要がある。
◆【木村班】茶臼塚側は、新規用紙(A3)。放任していたが、午前中の成果を見ると、畑の輪郭を入れただけなので、これはダメだとテコ入れする。午後の開始時に4人で、茶臼塚の縁辺の肩を入れ、茶臼塚上面にあたる等高線を2本入れ、あとは下り斜面の測量にかかれるようなところまで段取りした上で、放置する。
◆桜の大木があるため、見通せない方向もあるが、肩部の標高51.75mから、下部の46.50mまで22本等高線を入れることができた。ほぼ緩斜面部まで到達し、茶臼塚上面から続く西側斜面はおよそ完了した。茶臼塚側は、この先、どこまで測量するか考えるべき領域にかかっている。これより下に進むよりも、墳丘本体の測り残し部を優先すべきだろう。
◆これにて年内は終了。年末もやりたいところだが、仙台に集中講義に行かなければならないので、次は1月6日の予定。そこまでは決めているが、その先はまだ予定を組んでいない。

12月17日、飛鳥

c7de081c.JPG◆奈文研の小澤さんに集中講義をお願いしている(講義は月曜日から)。17日はその56beba41.JPG一環の飛鳥の現地講義、オレも安全係で参加。この冬いちばんの寒気で、前日、金曜日の帰り、明日はどうなることかと・・・。が、9:30、飛鳥駅に行くと、比較的穏やかだった。参加者は14人、中世史の院生が山の寺の研究会、歴科協委員は例会で、ほぼ3回生で占められる。レンタサイクルを予定していたが、車で行き、小澤号とも7人乗りなので、12人までなら車にしようと相談していたが、14人となり、レンタサイクル。
◆越岩屋山、ケンゴシ塚、平田梅山、中尾山、カナヅカ古墳、鬼の雪隠・俎、天武・持統合葬陵、亀石、川原寺、石舞台古墳、酒船石遺跡、飛鳥資料館で昼食、展示見学、「磐余池」現地説明会(小澤氏は「百済池」と4972aa53.JPG)、紀寺、藤原宮、大官大寺551f49a8.JPG、奥山久米寺(「小墾田寺」)、水落遺跡、明日香村展示館、飛鳥板蓋宮跡、菖蒲池古墳、五条野丸山古墳。以上、たくさん遺跡を見ることができた。

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雲楽
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1964/03/22
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自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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