人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
関西大学で鏡の撮影
◆米田先生のご配慮で、玉手山6、盾・鞍・珠金、百舌鳥大塚山、計11面の撮影。粒ぞろいのイイ鏡たちだっ
た。
◆すこし早く着いたので、はじめて博物館の展示を見る。第2展示室では、博物館実習の展示。米田先生と博物館学芸員養成課程の話をする。模擬展示ではなく、また関大資料のみならず、学生たちが出品交渉をするのだそうだ。いつからやっておられるんですかとの問いに、「51年」!と。すごい・・・。70名からの受講生がおり、6グループに分かれてそれぞれが企画展をやる。2/3を占める文学部生と、1/3の他学部生・院生・科目等履修生と、金曜日と土曜日に2クラス開講しているんだそうです。しかも2コマの通年。うちの学内実習の倍ですね。
◆会場では、展示室(40㎡といったかな)にそれぞれコーナーを設けてある。カラーコピーの冊子を置き、展示室には受講生が配置されている感動もの・・・。来年、市大でもあれをやらんといかんのだ。
◆鏡の撮影は、このところ老眼でピントをはずした写真もチラホラ含まれていたが、原因のひとつが判明した。はずかしいので省略。いままで多くを撮影しながら気づかなかったのは情けないが、ま~しゃーない。今回の11面はいずれも良く撮れているんではないか。
◆すこし早く着いたので、はじめて博物館の展示を見る。第2展示室では、博物館実習の展示。米田先生と博物館学芸員養成課程の話をする。模擬展示ではなく、また関大資料のみならず、学生たちが出品交渉をするのだそうだ。いつからやっておられるんですかとの問いに、「51年」!と。すごい・・・。70名からの受講生がおり、6グループに分かれてそれぞれが企画展をやる。2/3を占める文学部生と、1/3の他学部生・院生・科目等履修生と、金曜日と土曜日に2クラス開講しているんだそうです。しかも2コマの通年。うちの学内実習の倍ですね。
◆会場では、展示室(40㎡といったかな)にそれぞれコーナーを設けてある。カラーコピーの冊子を置き、展示室には受講生が配置されている感動もの・・・。来年、市大でもあれをやらんといかんのだ。
◆鏡の撮影は、このところ老眼でピントをはずした写真もチラホラ含まれていたが、原因のひとつが判明した。はずかしいので省略。いままで多くを撮影しながら気づかなかったのは情けないが、ま~しゃーない。今回の11面はいずれも良く撮れているんではないか。
愛知県美術館
◆枚方・万年山古墳の三角縁神獣鏡の1面が、なぜか何とかコレクションに分離し、愛知県美術館に入っている。撮影させてくれとメールで問い合わせたが、ある写真を使えと。まあ、美術館やから、そんなもんかもしれない。熟覧とか実測というので粘ってもよかったが、まあよしとしよう。公立の美術館で学術目的で見せてくれと頼んでも、断られるわけだ。そんなん相手にしてない、ということか。
茨木市立文化財資料館
◆安威0号墳の2面ほかの撮影で赴く。火曜日休館で月曜日は開館している。2度目。行くと、関梓さんがいるで
はないか。びっくり。子育ても一段落し、嘱託で現場に出ているという。彼女に手伝ってもらい、撮影を済ませた。
◆隠れキリシタン関係の企画展を見る。池田市や大東市や八尾もだったかな、キリシタン墓碑があることを知る。文化財資料館に保管されている資料も展示され面白かった。解説ボランティアの人が1人おられ、興味をもって見に来る人がちらほら(少ないという意味ではなく逆、月曜の朝から観覧者が訪れている!、という意味)。茨木市にこんなものがあったのか、という声が聞こえてくる。知っている人は知っているんだろうが、山奥の史料館に赴く人は多くはないのかもしれない。現地史料館はそれとして、文化財資料館を本館として、さまざま見せる工夫をしてほしいもの。聞くと、2階に茨木城関係の展示を新たに設けるのだとか。
◆裏側には模造の埴輪をならべた公園的な一画もある。ここもまた屋外展示場として、もっと活用できるだろう。
◆隠れキリシタン関係の企画展を見る。池田市や大東市や八尾もだったかな、キリシタン墓碑があることを知る。文化財資料館に保管されている資料も展示され面白かった。解説ボランティアの人が1人おられ、興味をもって見に来る人がちらほら(少ないという意味ではなく逆、月曜の朝から観覧者が訪れている!、という意味)。茨木市にこんなものがあったのか、という声が聞こえてくる。知っている人は知っているんだろうが、山奥の史料館に赴く人は多くはないのかもしれない。現地史料館はそれとして、文化財資料館を本館として、さまざま見せる工夫をしてほしいもの。聞くと、2階に茨木城関係の展示を新たに設けるのだとか。
◆裏側には模造の埴輪をならべた公園的な一画もある。ここもまた屋外展示場として、もっと活用できるだろう。
宮島
◆はじめてである。フェリー
が10分ごとに発着する。約10分。大鳥居が見えてきた。行楽シーズンでもあり人だ
かり。われわれは通常の観光客とは離れ、まず要害山の宮尾城(厳島合戦で毛利元就が築いたという)、存光寺町、新町(遊郭)、西連町、魚棚町、後町、それから北之町表、中之町表、幸町表、と現在の北之町浜、中之町浜、幸町浜という中心参道より山側の旧道を行く。土地が狭いため、埋め立てを進めたらしい。
◆以上は、五重塔・千畳なんとかのある大町をはさんで東の「東町」と総称される街、大町をはさんで西の「西側」は、厳島神社の社家や寺院など権力者側の空間が広がる。以下、略。多宝塔で11:25解散。フェリー乗り場13:30とし、昼飯を含めた自由行動とし解散する。まずコーヒーをいっぱい。厳島神社を参拝。おみくじを引くと凶だった。ぶらぶらしながら・・・。地ビールと焼牡蠣、紅葉まんじゅうなど買い食い。ちゃんと昼飯は食わなかった。
◆それにしても実に観光客が多い。世界遺産のあと、さらに飛躍し
たん
だろうか。ちなみに、昨年、伊勢神宮の参拝客が最多だったという。ここもまたすごいものだ。大型バスも止めるとこがないくらいあふれている。
【追記】1996年、世界遺産登録、1997年、大河毛利元就、年間観光客311万人、2001年に241万人まで落ち込んでいたが、2007年、10年ぶりに年間311万人を超える。2008年は343 万人、さらに2009年は346万人になり過去最高となる(WEB)。
◆以上は、五重塔・千畳なんとかのある大町をはさんで東の「東町」と総称される街、大町をはさんで西の「西側」は、厳島神社の社家や寺院など権力者側の空間が広がる。以下、略。多宝塔で11:25解散。フェリー乗り場13:30とし、昼飯を含めた自由行動とし解散する。まずコーヒーをいっぱい。厳島神社を参拝。おみくじを引くと凶だった。ぶらぶらしながら・・・。地ビールと焼牡蠣、紅葉まんじゅうなど買い食い。ちゃんと昼飯は食わなかった。
◆それにしても実に観光客が多い。世界遺産のあと、さらに飛躍し
【追記】1996年、世界遺産登録、1997年、大河毛利元就、年間観光客311万人、2001年に241万人まで落ち込んでいたが、2007年、10年ぶりに年間311万人を超える。2008年は343 万人、さらに2009年は346万人になり過去最高となる(WEB)。
国立広島原爆死没者追悼平和記念舘
WEB
【銘文】原子爆弾死没者を心から追悼するとともに、その惨禍を語り継ぎ、広く内外へ伝え、歴史に学んで、核兵器のない平和な世界を築くことを誓います。
【趣旨】 国立原爆死没者追悼平和祈念館は、原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律に基づき、国が原爆死没者の尊い犠牲を銘記し、恒久の平和を祈念するため、原子爆弾の惨禍に関する国民の理解を深め、その体験の後代の国民への継承を図り、及び原子爆弾による死没者に対する追悼の意を表す施設として、広島市及び長崎市に設置するものである。
○「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」(平成6年法律第117号)第41条 (平和を祈念するための事業)国は、広島市及び長崎市に投下された原子爆弾による死没者の尊い犠牲を銘記し、かつ、恒久の平和を祈念するため、原子爆弾の惨禍に関する国民の理解を深め、その体験の後代の国民への継承を図り、及び原子爆弾による死没者に対する追悼の意を表す事業を行う。
【設置者】 国(厚生労働省)
【開館日】平成14年8月1日
◆1994年に法律が出来、2002年にできあがったわけだ。
◆右に示すのは、入館して最初のところに掲げられた趣旨文。「誤った国策により犠牲になった」とある。この文言、国立施設で入れるのは困難だろう。「誤った国策」、右より政治家がいちばん嫌う言葉であろう。ここには盛り込まれたが、そこ以外はホームページにもチラシなどにも基本的に出てこないようにも思う。1994年というと、村山内閣の産物かも。仕方なく作ったのではないのか。
◆原爆死没者のデータベース基地で検索ができるようになっている。1人1人をきちんと記録することに異議はない。なによりも写真があって本人と向き合える、名前があり、1人の人間の存在を認識できる。が、展示施設というか、モニュメント空間で、金をかけた凝ったものだが実がない。
◆で、人が入っていない。ロケーションが悪いし、原爆ドームまでの導線のなかで、ちゃんと位置づけられていない。1人1人の写真や名前だって、例えば平和の礎のように、屋外に、それこそ写真と名前を陶板に焼き付
けたものを14万枚配置してもいいのではと思う。法律は被爆者援護が主旨で、追悼施設は付属的なものなのだろうが、国(厚労省)が作ったものの、いまは指定管理で、結局、記念資料館を運営する市の認可した財団が運営しているのだそうだ。
◆無駄じゃないの。記念館は広島市が作った、それに国の慰霊施設ができたと。はじめから一体的にやった方がいいんではないのか。中身のない豪華な施設を別に作る必要はない。主機能である死没者のデータにしても、調べるのも国が独自にやったわけじゃないだろう。データベースのサーバーは市の記念館に置き、1人1人を顕彰するような施設は公園のなかの屋外に、平和の礎のようにもっと目を引くように場所を考えて作るべきだ。その金を法律により国が出すものの、はじめから平和記念公園の一環として任せればいいのである。原爆を前に、広島市は広島市、国は国ではないだろう、というのが言いたかったこと。
【銘文】原子爆弾死没者を心から追悼するとともに、その惨禍を語り継ぎ、広く内外へ伝え、歴史に学んで、核兵器のない平和な世界を築くことを誓います。
【趣旨】 国立原爆死没者追悼平和祈念館は、原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律に基づき、国が原爆死没者の尊い犠牲を銘記し、恒久の平和を祈念するため、原子爆弾の惨禍に関する国民の理解を深め、その体験の後代の国民への継承を図り、及び原子爆弾による死没者に対する追悼の意を表す施設として、広島市及び長崎市に設置するものである。
○「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」(平成6年法律第117号)第41条 (平和を祈念するための事業)国は、広島市及び長崎市に投下された原子爆弾による死没者の尊い犠牲を銘記し、かつ、恒久の平和を祈念するため、原子爆弾の惨禍に関する国民の理解を深め、その体験の後代の国民への継承を図り、及び原子爆弾による死没者に対する追悼の意を表す事業を行う。
【設置者】 国(厚生労働省)
【開館日】平成14年8月1日
◆1994年に法律が出来、2002年にできあがったわけだ。
◆右に示すのは、入館して最初のところに掲げられた趣旨文。「誤った国策により犠牲になった」とある。この文言、国立施設で入れるのは困難だろう。「誤った国策」、右より政治家がいちばん嫌う言葉であろう。ここには盛り込まれたが、そこ以外はホームページにもチラシなどにも基本的に出てこないようにも思う。1994年というと、村山内閣の産物かも。仕方なく作ったのではないのか。
◆原爆死没者のデータベース基地で検索ができるようになっている。1人1人をきちんと記録することに異議はない。なによりも写真があって本人と向き合える、名前があり、1人の人間の存在を認識できる。が、展示施設というか、モニュメント空間で、金をかけた凝ったものだが実がない。
◆で、人が入っていない。ロケーションが悪いし、原爆ドームまでの導線のなかで、ちゃんと位置づけられていない。1人1人の写真や名前だって、例えば平和の礎のように、屋外に、それこそ写真と名前を陶板に焼き付
◆無駄じゃないの。記念館は広島市が作った、それに国の慰霊施設ができたと。はじめから一体的にやった方がいいんではないのか。中身のない豪華な施設を別に作る必要はない。主機能である死没者のデータにしても、調べるのも国が独自にやったわけじゃないだろう。データベースのサーバーは市の記念館に置き、1人1人を顕彰するような施設は公園のなかの屋外に、平和の礎のようにもっと目を引くように場所を考えて作るべきだ。その金を法律により国が出すものの、はじめから平和記念公園の一環として任せればいいのである。原爆を前に、広島市は広島市、国は国ではないだろう、というのが言いたかったこと。
「過ち」とはなにか
◆「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」。なにか引っかかった。繰り返さないと誓った「過ち」とは
何かが明確なのか、というところに。常識的に考えて「戦争はしない」ということだろ
う。が、原爆死没者に対し、核兵器が使われた「過ち」なのか、原爆投下に至る無謀な対米戦争をしてしまった「過ち」なのか、日中戦争以後の「過ち」なのか、戦前日本の軍国主義にもとづく戦争すべての「過ち」なのか・・・。
◆日本国憲法上は戦争を放棄することになったが、依然として、『坂の上の雲』を歓迎する声は少なくないわけだ。「アジア太平洋戦争は、無謀で慎重さを欠いていたかもしれないが、朝鮮併合、第一次世界大戦までは、間違ってなかったんだ、西欧列強はみんな同じようにやってもいたし」と考えている層はまだ根強くいるし、若者でも継承するヤツラがいる。
◆過ちとは何か。原爆の悲惨さは右翼でも共有できると思うが、なぜ原爆が投下されたのか、それをはっきりさせておく意味は大きい。むろん、大量殺戮兵器の使用はひどい。が、たいへんな数の死は、一方的な被害の訴えだけでは説得力はない。旧日本軍にやられた側はザマーミロとも思っているのである。加害とセットで、侵略戦争の果てにこうなったということを日本人が「過ち」として、核兵器の廃絶を訴えない限りは説得力はない。もっと言えば、アメリカの核の傘にいるかぎりダメである。
◆また、原子爆弾は悲惨であるのは自明だ(あとあとまで後遺症に苦しむことを含め)が、空襲で焼け死んだ多くの人、沖縄戦で死んだ人々と、人の死になんら変わりはない。これだけの人が死んでいったことを無駄にしないために、繰り返さないことを誓ったはずの「過ち」とはなにか。自虐史観とアホなヤツがわめこうが、卑屈でもいいではないか、過去の過ちをちゃんと認めることだ。中国軍の脅威をあおって自衛隊の軍備増強を進め、1人前の国は軍隊もつのが当たり前とする、自虐史観として攻撃する側の考え方こそ19世紀的に古く、そんなことが自虐の反対の威信や誇りなんかでないはずだ。アメリカから独立して、自ら世界平和にむけて胸を張って提言し動くことだ。自虐史観なんて言わせておけばいい。ただ、ゴメンナサイだけではだめで、それゆえに過去をふまえて、それを乗り越えて世界平和に気概をもって取り組み世界に認められる、そこまでの自発的行動こそが、ヤツラを封じ込めることになろう。
◆日本国憲法上は戦争を放棄することになったが、依然として、『坂の上の雲』を歓迎する声は少なくないわけだ。「アジア太平洋戦争は、無謀で慎重さを欠いていたかもしれないが、朝鮮併合、第一次世界大戦までは、間違ってなかったんだ、西欧列強はみんな同じようにやってもいたし」と考えている層はまだ根強くいるし、若者でも継承するヤツラがいる。
◆過ちとは何か。原爆の悲惨さは右翼でも共有できると思うが、なぜ原爆が投下されたのか、それをはっきりさせておく意味は大きい。むろん、大量殺戮兵器の使用はひどい。が、たいへんな数の死は、一方的な被害の訴えだけでは説得力はない。旧日本軍にやられた側はザマーミロとも思っているのである。加害とセットで、侵略戦争の果てにこうなったということを日本人が「過ち」として、核兵器の廃絶を訴えない限りは説得力はない。もっと言えば、アメリカの核の傘にいるかぎりダメである。
◆また、原子爆弾は悲惨であるのは自明だ(あとあとまで後遺症に苦しむことを含め)が、空襲で焼け死んだ多くの人、沖縄戦で死んだ人々と、人の死になんら変わりはない。これだけの人が死んでいったことを無駄にしないために、繰り返さないことを誓ったはずの「過ち」とはなにか。自虐史観とアホなヤツがわめこうが、卑屈でもいいではないか、過去の過ちをちゃんと認めることだ。中国軍の脅威をあおって自衛隊の軍備増強を進め、1人前の国は軍隊もつのが当たり前とする、自虐史観として攻撃する側の考え方こそ19世紀的に古く、そんなことが自虐の反対の威信や誇りなんかでないはずだ。アメリカから独立して、自ら世界平和にむけて胸を張って提言し動くことだ。自虐史観なんて言わせておけばいい。ただ、ゴメンナサイだけではだめで、それゆえに過去をふまえて、それを乗り越えて世界平和に気概をもって取り組み世界に認められる、そこまでの自発的行動こそが、ヤツラを封じ込めることになろう。
大和ミュージアム
◆遅れたので、15分くらいで舘内を1週する。駅から5分くらい。以下、ウィキ
明治時代以降の造船の街あるいは軍港・鎮守府としての呉の歴史や、基幹
となった製鋼や造船などの科学技術を展示することを目的に、日露戦争
・日本海海戦から100年目、太平洋戦争終戦60年目にあたる2005年4月23日に開館した。開館から668日目の2007年5月20日に来館300万人目を、1443日目の2009年7月4日に来館500万人目を迎えた。呉市は「被爆地・ヒロシマ」に所在し、自衛隊と在日アメリカ軍の施設が現役で稼働している。現在も安全保障問題の現場となっている土地柄、修学旅行生の平和学習の場としても活用されている。
構想あるいは建設に関しては、戦争責任について様々な意見が存在したが、開館以来盛況を続けており、呉市の歴史的観光資源を再発見するきっかけとして同市を全国的観光地に一躍押し上げた立役者である。
館の方針としては、当館を平和学習の場として開放するため、実物の兵器や当時の映像フィルムなどの歴史的資料を淡々と提示するかたちで余計な注釈(イデオロギーや国際政治力学、中国や韓国と事実関係を係争中の歴史認識に関するもの)は付けず、政治的にニュートラルな立場をとるよう努めている。歴史認識についての判断は来館者個々に任せるという方針を採用している。
2008年4月1日から、それまで呉市直営の施設管理や広報などの業務について指定管理者制度を導入した。学芸部門は同市直営として残し、管理運営や広報などは凸版印刷を代表とする“大和ミュージアム運営グループ”が担当する。
なお、この大和ミュージアムに隣接する場所には、2007年4月5日より海上自衛隊呉史料館(てつのくじら館)が開設されている。海上自衛隊呉史料館では、退役した海上自衛隊の展示用潜水艦旧あきしおの実物などがメイン展示物となる。
◆どこまで淡々か、もっとじっくり見学してから論評しよう。が、あまり平和教育の色彩はない。10分の1大和以外にも、帝国海軍の模型をならべているなど、呉という土地柄はあるにせよ、ニュートラルな立場というが、カッコイイという印象を与える力学の方が圧倒的に強い。また、訪れる多くの人々を引きつけているのも、けっして平和教育でなく日本海軍にふれに来ているに違いない。大和の模型2億円、総建設費65億円だって。
明治時代以降の造船の街あるいは軍港・鎮守府としての呉の歴史や、基幹
構想あるいは建設に関しては、戦争責任について様々な意見が存在したが、開館以来盛況を続けており、呉市の歴史的観光資源を再発見するきっかけとして同市を全国的観光地に一躍押し上げた立役者である。
館の方針としては、当館を平和学習の場として開放するため、実物の兵器や当時の映像フィルムなどの歴史的資料を淡々と提示するかたちで余計な注釈(イデオロギーや国際政治力学、中国や韓国と事実関係を係争中の歴史認識に関するもの)は付けず、政治的にニュートラルな立場をとるよう努めている。歴史認識についての判断は来館者個々に任せるという方針を採用している。
2008年4月1日から、それまで呉市直営の施設管理や広報などの業務について指定管理者制度を導入した。学芸部門は同市直営として残し、管理運営や広報などは凸版印刷を代表とする“大和ミュージアム運営グループ”が担当する。
なお、この大和ミュージアムに隣接する場所には、2007年4月5日より海上自衛隊呉史料館(てつのくじら館)が開設されている。海上自衛隊呉史料館では、退役した海上自衛隊の展示用潜水艦旧あきしおの実物などがメイン展示物となる。
◆どこまで淡々か、もっとじっくり見学してから論評しよう。が、あまり平和教育の色彩はない。10分の1大和以外にも、帝国海軍の模型をならべているなど、呉という土地柄はあるにせよ、ニュートラルな立場というが、カッコイイという印象を与える力学の方が圧倒的に強い。また、訪れる多くの人々を引きつけているのも、けっして平和教育でなく日本海軍にふれに来ているに違いない。大和の模型2億円、総建設費65億円だって。
研究室旅行2日目に合流
◆土曜日、7時20分に河内国分を出たら、9:18に福山、広島県立歴史博物館に2時間くらいあてられ、11:30に
福山を出たら、呉にちょうど13時に着くというプランを立てる。
◆が、6:30に目が開くが、2度寝して起きたら9:00。ゆっくり行くことにし、カミさんと朝のコーヒーを飲みに行き、結局、河内国分を出たのは10:30頃か。どうやら山陽新幹線が止まっているらしい。が、新大阪で見ると、広島-徳山間になっているから、まあ大丈夫だろう。自由席もいっぱいだったがもぐりこむ。
◆結局、広島着は13:15くらいだった。呉線に乗り、呉についたのが55くらい。ヤマトミュージアムへ向かう。メンバーたちと、無事、合流。
◆が、6:30に目が開くが、2度寝して起きたら9:00。ゆっくり行くことにし、カミさんと朝のコーヒーを飲みに行き、結局、河内国分を出たのは10:30頃か。どうやら山陽新幹線が止まっているらしい。が、新大阪で見ると、広島-徳山間になっているから、まあ大丈夫だろう。自由席もいっぱいだったがもぐりこむ。
◆結局、広島着は13:15くらいだった。呉線に乗り、呉についたのが55くらい。ヤマトミュージアムへ向かう。メンバーたちと、無事、合流。
プラグイン
カレンダー
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
最新記事
(07/10)
(07/10)
(07/10)
(07/10)
(07/10)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。