人を幸せにする人になろう

角南くんから電話があり

◆奈良時代の集落から胞衣壺と思われるものが出たと。電話の目的は、それとからんで誰に問い合わせるかと5e87508d.JPGいったことだったが、話を聞いていくと、どうやら、ただの集落ではないようだ。柱穴がでかいらしい。ちょっと気になるので、土曜日には現説をするらしいが、今週中に見に行きたい。

海北塚の鏡

◆東博に7割の破片があり、京大に2割の破片がある。東博のは、撮影するときから、7乳と思いつつも配列がおかしかったが、よく確かめもせず撮影した。よく見ると、接合のおかしさはわかるんですけどね。
◆昨日、京大の破片4点の画像を処理してもらい、いよいよ東博の画像にはめ込む作業にかかってもらう。だが、バッティング。つまり重複。東博の接合がおかしいに違いない。東博では鏡面の撮影もやっていたので、確認し、内区の位置がおかしいので、切り取ってずらし、京大の破片を重ねると、あたりまえだがピッタリである。でも、なんで横穴式石室から、美しい後漢の鏡が出土するんでしょうね。
◆前にも、兵庫県森尾古墳の鏡だったと思うが(ちがいました。小見塚だった)、東博の写真に、地元に残っている鏡片の写真を合成して『兵庫県史』に掲載した。わかってくれた人がいてくれたかな?泣き別れの破片は悲しい。
◆鏡の撮影は、このところトンとご無沙汰である。

ヒストリア河内大塚山古墳の原稿にかかる

◆『考古学研究』の根来の記事が終わり、ようやく『ヒストリア』に着手。やってて楽しいのだが・・・。構想はあるが、ゴールは見えない。どうなるかわからん。が、この54269d52.JPG際、徹底的にとは思う。
◆話は変わるが、うちの図書館もけっこういけるね。津堂のリーフレットを印刷屋に出したが、大道さんの『考古学雑誌』第2巻の文献をもっていなかったので、直前に図書館でコピーする(復刻でなく原本)。『人類学雑誌』もある、『歴史と地理』はそろわないが。で、梅原・大道・坪井の各文献をそろえられた。あるもんや、という話。で、ちらちら見ていると、巴形銅器などの写真もある。藤井利章さんが、文献をつきあわせて出土品の数量を整理していたが、そのうち自分でやらねばなるまい。素環頭大刀の写真なんかも梅原の文献に上がっていた。これらは、いま宮内庁にあるんだろうか。関大に鏡の破片が入っているし、東大には(坪井が持ち帰ったのだろうが)素環頭があるし、分散したんやろね。
◆それから、ゴーランドが河内大塚の写真を撮っていたんですね。今日初めて見た、感激でd8782444.jpgす(勝手に使わせてもらいますよ)。また末永の『日本の古墳』を見ていると、津堂城山の図版に掲載されている斜め写真とは別に、垂直写真もあるではないか。もう1枚あってステレオにはならんかな。ちょっとピンが甘いようだ。だから挿図扱いになったのかな。だが、あのまだ周囲が宅地化していない時期の、垂直写真として貴重だ。どうなんでしょうね、斜め写真のものを含めて、何枚か写真がある。かつ現在でも動いていない道路などについて測量してやって、画像に座標ポイントを入れてやれば、解析で周堤・外濠・外堤の図化ができないもんだろうか。やれんことはないんでしょうね。ま、現況の測量でも、かつての周囲を把握するのに平面的には問題ないのだが、やはり昔の写真から起こせれば、濠部分のくぼみとか、堤の高まりとか、高低差が表現できる図になるだろう。
◆河内大塚山の位置図を作ろうとして、また1m等高線をなぞったり(ちょっとやったが、やってられねえ)、いろんな情報を入れようと、かなり大変な図になってきた。墳丘の復元は前にやってあるが、これも濠の輪郭の復元もやろうと少し取りかかる(右図は訂正します)。
◆剣菱形前方部って、きっとあると思う。今城塚も直線や、と言いながらやや湾曲していたぞ。
◆いや~、やっぱり、ホントにひとつの古墳を理解しようとすると、どっぷり食いつかないと進展しないものですね。大塚山に取り組めるのは、たいへんありがたい機会だ。

考古学研究の根来の原稿がほぼできる

◆『考古学研究』9月号に、根来寺の今回の調査地点の保存問題について書くことになっている。最初は7月中71459143.jpg、次は盆前と約束しながら果たせず、このままだと見送られることになるので、本日、8月20日、さっさとやるつもりが、図のやり直しなどをしていると、結局、1日かかった。
◆和歌山県はこのまま押しすすめるべく突き進んでいるらしい。大阪歴史学会やオレなど、ヘでもないんだろう。むこうはそれが業務やからね。しかし、このまますんなりと通すわけにはいかない。
◆それにしても、図を作っていて、史跡なんて形ばかりであることを改めて思う。平地の坊院部分はまったく入っちゃいない。同意を取ることなど、最初から放棄しているんだろう。やる気がないのだ。そして現境内地やいくつかのポイントのみ、「史跡でござい」とエエカッコするんだろう。根来の本体は2000とも言われる坊院群だろうに、それが抜け落ちていては、何にもならない。
 

どうでもいいことですが明石市立文化博物館

◆こんどはうちの実家に1泊2日で戻る。でその日、明石市文化博物館と兵庫県立考古博物館に行く。
◆明石市立文化博物館、いつぞや、小野市史の関係で、井内さんの瓦を見に行ったことがある、それ以来か。到着するとひとだかりで、駐車場にも入れない。しかたなく駅前のコインパーキングに止めて博物館に行く。南面しているが入り口が北なのね。階段を上がったが、エレベータで上がるにせよ、そっから迂回して北側の入り口にたどりつかなきゃならん、なんでそんな設計なん?
◆で人が多いのは、開催中の山下清展のためだった。まあ、多くの市民がおしかけるものだ。オレらは常設展だけ見たいんだ。で入館料800円、特展価格のみ、常設展だけ200円とか300円で入れてくれない。なんちゅー設定や。申し訳なかったが、受付のネエちゃんにかみつく。「おかしいやろ、和歌山県博は140円やったで!」と途方もない話をもちだす。そんなん知ったこっちゃないわな。むこうもさるもの、「特展なんか見たない!」という言葉に、「それでしたら8月29日以降にお越し下さい」と。まあ、へんなオッサンに噛みつかれて切れたんだろうけど、特展会期以後に来いとは、腹が立つ。
◆800円*2払う!。展示はあんまり覚えちゃいないが、高丘窯の瓦・鴟尾、くらいしか思い出せない・・・。あとは明石の漁業。あかん、責任もってコメントするには、ブチ切れていたせいか、展示がインパクトがないせいか、ほとんど覚えていないので、なにも言えない。まあ普通ですね。

イギリスの暴動

◆若者の失業率が、スペイン40%、イギリスで20%だという。日本は7%くらいだという。働く場がない不満は爆発する。働き盛りの若者が職がなく、金がなく、生きていけなければ、暴れるのも仕方がない。
◆ヨーロッパは階級社会なんでしょう。富める者と貧しい者の差が大きいのだろう。金持ちは大金持ち。それに比べれば、日本はまだましだ。金を持ったら、エエ家を建てる、エエ車に乗る、若いオネエちゃんを愛人にする、せいぜいそんなもんだ。欧米の金持ちは城に住む貴族である。

葛城一言主神社

◆8月15日、この日、最後は葛城一言主神社、雄略の説話で有名なヤ8d820c95.JPG83fc349a.JPGツ。ま、神社がらみ、独立させて1カ所1記事にしているものの、勉強してないから、同じような写真のみ。書くことがない。ま、ひとつひとつ歴史があるわけだが、地名辞典でしらべるだけでも、やってられない。
◆ま、現地に行くことに意義を見いだそう。確かに、今は行って賽銭入れて願い事をして、写真をとってるだけ。もうすこし、ゆったりと見て、雰囲気を味わい、神社の歴史についてコメントしなくとも、何かしらの印象を書けるようなまわり方をした方がエエわな。

橋本の隅田八幡神社

◆かつて文化庁時代に来たことがある。保存処理の件で。いつも京奈和を通っているのだが、下りて行ってみb316a30c.JPGた。3bc46ccc.JPG境内には、巨大な人物画像鏡の祈念碑がある。

丹生官省符神社

◆これ慈尊院とセットで、高野山の入り口だそうである。史跡となっている「高野山町石」道はここから始まり180の町石が建てられているらしい。前に入り口まで来たように思うが、そのまま引き58448f7f.JPG369c5c63.JPG返したのかもしれない。手前に慈尊院があり、女人禁制の高野山に入山できない女性は、ここまで拝みに来るらしい。それと母乳が出ることを祈願するらしく、おっぱい絵馬というのが有名らしい。
◆丹生官省符神社、「官省符」だって、なんて名前だろう。そういう名前の荘園があったのだという。慈尊院の奥に階段があり、尾根上の神社に通じている。ともに世界遺産である。

かつらぎ市の蟻通(ありとおし)神社

◆こないだ浜村淳がしゃべってた。泉佐野市とかつらぎ市と田辺市にあるらしい。かつらぎ市の蟻通神社の看板bda862dc.JPGでは、天武朝の673年に唐の皇帝から無理難題を課せられ、無事に蟻を使って糸を通したということになっている。どうもいくつか話のヴァリエーションがあるようだ。浜村のラジオの解説では、姨捨と結びつけられていた。なにか、ベースになる史実があるのかどうか、定かでない。
 

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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