人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
財団法人
◆世間に疎い。2013年までに、財団法人は、公益財団法人か一般財団法人にならなければならんそうである。あまたの財団法人のうち、ほんとに税制で優遇しなければならない公益性のあるものを特定する、ということのようだ。これって、埋文業界にも影響必至ではないか。やっている発掘調査は公益性があるものではあるが、財団を民間として捉え事業を受託してやっているにすぎないと判断する大阪府的な見方からすると、一般財団法人になりかねない。あくまで都道府県がすべきところ、それに代わってやってるんだという説明で、公益財団法人に位置づけられることが不可欠だ。
◆とにかく、調べてみる必要がある。
◆とにかく、調べてみる必要がある。
上から目線
◆こないだ新木山に行ったとき、植樹フェアの一環で古墳めぐりを広陵町が企画していて、各所にガイドさんを配置していた。で、石塚で、わたしはマズイ態度を取り、カミさんにきつくしかられた。「あんたは上から目線なんよ」と。で、車で牧野に向かっていると、いろいろ見学者が暑い中歩いていた。「興味のある人がいてくれるから、あんたらの職が成り立ってんねんで、自分らの存立基盤や、もっと普通の人を大事にせなあかん」と。「新納さんは、誰にでもきちんと説明していたよ」とも。そう、春に造山に行ったとき、かみさんのみならず母親も一緒だったのだが、母に対しても、新納さんは実に丁寧に対応してくださった。
◆そうやね~。どっかで講演などをする時や、いろんな機会に市民に接する際など、もっと、自分の研究なるものと社会をつなぐ絶好の機会であり、偉そうでも、へりくだるのでもなく、ふつうに接し、説明して話を聞いてもらえるよい機会と思って対応せなあかんな、と思った。自分ではそうでないと思っているが、カミさんに言わせると、いろんな場面で、あんたは上から目線、と見えるそうである。自分のダメさを痛感する。
◆そうやね~。どっかで講演などをする時や、いろんな機会に市民に接する際など、もっと、自分の研究なるものと社会をつなぐ絶好の機会であり、偉そうでも、へりくだるのでもなく、ふつうに接し、説明して話を聞いてもらえるよい機会と思って対応せなあかんな、と思った。自分ではそうでないと思っているが、カミさんに言わせると、いろんな場面で、あんたは上から目線、と見えるそうである。自分のダメさを痛感する。
大阪市土地開発公社の解散
◆政令市でもほかにも出てきているらしい。行政がインフラ整備のために土地を先行取得しておくための公社、おおよそ公的施設も充足したということなんだろう。道路なのではまだそういうことも必要かもしれないが、もうその都度、やっていけばいいということなんだろう。なんか官主導の基盤整備の時代の終わりを象徴するように思った。
◆ついでながら、こないだ宇治に行くとき、石のカラトに行こうとして失敗(実は行ったことがないのだ)、押熊に出てウロウロ、そうすると「けいはんな学研都市」に出て、国会図書館関西分館、そして廃館になった「しごと館」を見る。こんなとこか~。【追記】雇用保険料から581億円を投じて作った巨大施設、売却の入札の参加は0だったという(2010年9月29日新聞)。
◆ついでながら、こないだ宇治に行くとき、石のカラトに行こうとして失敗(実は行ったことがないのだ)、押熊に出てウロウロ、そうすると「けいはんな学研都市」に出て、国会図書館関西分館、そして廃館になった「しごと館」を見る。こんなとこか~。【追記】雇用保険料から581億円を投じて作った巨大施設、売却の入札の参加は0だったという(2010年9月29日新聞)。
秋ですね
◆暑い暑いといっていたが、こないだ、台風が能登?に上陸して以来、秋めいてきました。夜になると虫が鳴いている。いま17:40、日は傾き、夕方・・・。季節はめぐる。今年度も後半期へ・・・。う~む、いろんなことが進んどらん。
幡枝元稲荷窯
◆むかし、大学院浪人をやっていた1987年に、岩倉の報告書に幡枝元稲荷窯の須
恵
器を収録させて欲しいと、横山浩一先生に手紙を書き、どうもOKになったらしく、博物館助手の菱田さんに、新博物館への引っ越しのため、どこぞの地下倉庫に積み上げられている木箱を、見せてもらう便宜をえた。
◆ノートを見ると、五十川さんと菱田さんに、見るときにどこまでやるか相談したときのメモもある。その前に、佐原さんが瓦を整理しての原稿があることを知り、五十川さんが持っていたコピーを複写させてもらっていた(この原稿、世に出ていない。幡枝の瓦を分類したのは佐原さんである)。こうして5月、数日間、幡枝元稲荷窯のすべての発掘資料を点検した。そのノート2冊が手元にある。もう考古学をやめようと思っていた頃だが、岩倉の仕事だけは片付けようとしていた(1991年までかかる)。けっこうな、やる気と集中力でやった記憶がある。
◆軒瓦や須恵器は少ないが、こうしたお宝に出くわしたときは感激した。確か、高句麗式の瓦当裏面が剥離していて、箱が違っており、顔のある破片の裏側を見たとき、これは
もしかして同一個体?と合わせてみたら一致した。もともとわかっていたのに分離していたのではないかと思うが・・・。
◆岩倉の報告書の時、須恵器は、いま大阪市文協にいる宮本君の担当だった。彼には、学部時代から、ほとんど岩倉をやってもらい、苦労をかけた。すまん。元稲荷の須恵器も、実測はすべて彼がやったのではなかったか。トレースしたものが出てきた。
◆横山先生も佐原さんも亡くなられた。幡枝が日の目を見ることはないか・・・。
◆ノートを見ると、五十川さんと菱田さんに、見るときにどこまでやるか相談したときのメモもある。その前に、佐原さんが瓦を整理しての原稿があることを知り、五十川さんが持っていたコピーを複写させてもらっていた(この原稿、世に出ていない。幡枝の瓦を分類したのは佐原さんである)。こうして5月、数日間、幡枝元稲荷窯のすべての発掘資料を点検した。そのノート2冊が手元にある。もう考古学をやめようと思っていた頃だが、岩倉の仕事だけは片付けようとしていた(1991年までかかる)。けっこうな、やる気と集中力でやった記憶がある。
◆軒瓦や須恵器は少ないが、こうしたお宝に出くわしたときは感激した。確か、高句麗式の瓦当裏面が剥離していて、箱が違っており、顔のある破片の裏側を見たとき、これは
◆岩倉の報告書の時、須恵器は、いま大阪市文協にいる宮本君の担当だった。彼には、学部時代から、ほとんど岩倉をやってもらい、苦労をかけた。すまん。元稲荷の須恵器も、実測はすべて彼がやったのではなかったか。トレースしたものが出てきた。
◆横山先生も佐原さんも亡くなられた。幡枝が日の目を見ることはないか・・・。
もろもろ
◆09月04日、柏原市歴史資料館で高橋照彦氏の薄葬令の話を聞く。テルちゃんが、このあたりのことを日本史研究会でやっているのは聞こえてきていたが、雑誌をコピーすることもせず、内容をよく知ら
なかったため、いい機会だと思ってカミさんとでかける。終了後、飲み会。
◆カミさんが、中村修也『偽りの大化改新』を買ってきたので、読む。刺激的である。乙巳の変の黒幕は孝徳(軽)であるという近年の見方があることは知ってはいたが、ちゃんと読んだことがなかったので、面白かった。壬申の乱で王権を簒奪した天武の正当化のために、『日本書紀』の天智像が作られているというのは興味深い。ただし、そういう中大兄を主役とする改新像は誤っているとしても、改新を否定することはできない。改新を示す最大の根拠は前期難波宮だと思っている。中央官制を整えようとしたことは間違いない。吉川さんの書いたものに全面的に共感を覚える。
◆ケンゴシ塚すごいですね。小澤さんに見学をお誘いいただいたのだが行けず、新聞を見てスゴイ・・・、一般公開日(土・日)の日曜日の朝行けたのだが見送り、残念ながら実見できずに終わる。
◆09月12日、奈良経由で車で宇治に行くことになり、新木山古墳の下見に行く。天気よく、写真は西隣の石塚古墳から二上山を見たもの。どうもデジカメのイクシーの調子が悪いようだ(要修理だ)。新木山そのものは、周囲からあまりいい写真を撮影できなかったし、そもそもしげしげと近づかなかったのだが、裾部の工事をしなければいけないのか、疑問に思う。ぜんぜん問題ないのとちゃう?
◆藤本強先生が10日にドイツで亡くなられたとの報道に接する。東京にいるとき、専門調査会のメンバーで、年に何度か会議で顔をあわせた。初対面にもかかわらず、親しくしていただいた。岡村道雄さんは、大学で、埋文行政の講義をする唯一の先生だ、と言っていた。最後にお会いしたのは(こっちが見たくらいかもしれない)、高松塚の会議で、同日に親委員会とわたしの出ている作業部会が開催された際、岡村さんが座ってたらいい、といって親委員会に出て脇にひかえていた時だった。その後、世界遺産特別委員会の長にもなられ、陵墓の研で、お話をしてみたいと思っていたのだが・・・。
◆09月11日、稲刈りをした。機械で刈って籾にして、すぐに乾燥の機械に入れる。いまは自然乾燥の方が単価
がやや高いため、再び天日干しをするところも出てきているらしい。そうなのだ。いま機械乾燥なら、刈って、乾燥し、もみすりをして、数日で終わってしまうが、かつては稲刈りは稲刈り、乾燥に数週間、そして脱穀と、大きく二つの工程にわかれていたのである。オレのように、農業を小さい頃に経験していない者にとっては、そういうことも改めて学ぶものなのである。
◆09月12日の宇治、さすが茶の名産地、静岡の丘陵地の茶畑は壮観だが(これ勝海舟が奨励したんだっけか)、宇治界隈の茶畑も風情がある。宇治からの帰り、八幡の流れ橋に立ち寄る。木津川がカラカラに乾いていた。
◆カミさんが、中村修也『偽りの大化改新』を買ってきたので、読む。刺激的である。乙巳の変の黒幕は孝徳(軽)であるという近年の見方があることは知ってはいたが、ちゃんと読んだことがなかったので、面白かった。壬申の乱で王権を簒奪した天武の正当化のために、『日本書紀』の天智像が作られているというのは興味深い。ただし、そういう中大兄を主役とする改新像は誤っているとしても、改新を否定することはできない。改新を示す最大の根拠は前期難波宮だと思っている。中央官制を整えようとしたことは間違いない。吉川さんの書いたものに全面的に共感を覚える。
◆ケンゴシ塚すごいですね。小澤さんに見学をお誘いいただいたのだが行けず、新聞を見てスゴイ・・・、一般公開日(土・日)の日曜日の朝行けたのだが見送り、残念ながら実見できずに終わる。
◆09月12日、奈良経由で車で宇治に行くことになり、新木山古墳の下見に行く。天気よく、写真は西隣の石塚古墳から二上山を見たもの。どうもデジカメのイクシーの調子が悪いようだ(要修理だ)。新木山そのものは、周囲からあまりいい写真を撮影できなかったし、そもそもしげしげと近づかなかったのだが、裾部の工事をしなければいけないのか、疑問に思う。ぜんぜん問題ないのとちゃう?
◆藤本強先生が10日にドイツで亡くなられたとの報道に接する。東京にいるとき、専門調査会のメンバーで、年に何度か会議で顔をあわせた。初対面にもかかわらず、親しくしていただいた。岡村道雄さんは、大学で、埋文行政の講義をする唯一の先生だ、と言っていた。最後にお会いしたのは(こっちが見たくらいかもしれない)、高松塚の会議で、同日に親委員会とわたしの出ている作業部会が開催された際、岡村さんが座ってたらいい、といって親委員会に出て脇にひかえていた時だった。その後、世界遺産特別委員会の長にもなられ、陵墓の研で、お話をしてみたいと思っていたのだが・・・。
◆09月11日、稲刈りをした。機械で刈って籾にして、すぐに乾燥の機械に入れる。いまは自然乾燥の方が単価
◆09月12日の宇治、さすが茶の名産地、静岡の丘陵地の茶畑は壮観だが(これ勝海舟が奨励したんだっけか)、宇治界隈の茶畑も風情がある。宇治からの帰り、八幡の流れ橋に立ち寄る。木津川がカラカラに乾いていた。
現代の課題
◆今日の日本社会で、自分の持ち場で仕事をすることはもちろんだが、それ以外にやれることがあれば尽力すべき大きな課題は3つあると思う。
(1)世界平和をめざして日本の安全保障問題に取り組むこと。日米安保、自衛隊、沖縄の基地の問題、防衛省の問題、日本企業の武器生産の問題などである。
(2)自立した社会であるための根本としての食糧自給の増大、自分たちの食うものは自分たちの国の中で生産し食っていける社会の実現。全部が全部は無理だろうが、穀物(飼料用を含め)はなんとかしなければ。
(3)原子力からの離脱およびエネルギー問題の解決。むろん効率的電化製品の開発も必要だが、利便さの追求もどこかで制限が加えられていいはずだ。
◆どれも、1個人で何ができる?というものではあるが、仕事外の社会的活動への参加もあり得るし、個人的であれやれることもあるはずだ。さて、死ぬ時、自分はどこまでそれに努め、そして上記3つの課題は、はたしてどのくらい改善が進んでいるであろうか。
(1)世界平和をめざして日本の安全保障問題に取り組むこと。日米安保、自衛隊、沖縄の基地の問題、防衛省の問題、日本企業の武器生産の問題などである。
(2)自立した社会であるための根本としての食糧自給の増大、自分たちの食うものは自分たちの国の中で生産し食っていける社会の実現。全部が全部は無理だろうが、穀物(飼料用を含め)はなんとかしなければ。
(3)原子力からの離脱およびエネルギー問題の解決。むろん効率的電化製品の開発も必要だが、利便さの追求もどこかで制限が加えられていいはずだ。
◆どれも、1個人で何ができる?というものではあるが、仕事外の社会的活動への参加もあり得るし、個人的であれやれることもあるはずだ。さて、死ぬ時、自分はどこまでそれに努め、そして上記3つの課題は、はたしてどのくらい改善が進んでいるであろうか。
考古学は集落研究を
◆なんやかんや言ってますが、自分のやってることといえば、しょせん階層上位の古墳の話。むろんそこでやるべきことはあるし、やったらアカンわけではないが、時代・地域・階層による資料偏在のない考古資料がもっとも力を発揮するのは、ふつうの人々の暮らしの解明にある、と深く認識すべし。集落をやらんといかん。
ひさしぶりに
◆前の記事が8月23日か、2週間近く低迷していたのか・・・。懸案をかかえながら逃避してきた。9月3日に1件、9
月6日に1件、それぞれ解決し、ちょっと元気になった。
◆8月28日に学生と北摂をまわる。とはいえ、暑いので、はじめから博物館巡りと考えており、ほぼ予定通り。最初、行ったことがない茨木市の資料館。東奈良の銅鐸の鋳型など鋳造関係遺物を前から見たかったが、恥ずかしながら初めて。けっこう、頑張っている資料館だ。そして茨木城の4年前に出土した建具の保存処理が完了し、その特別展示があった。16世紀末の実物だ。
◆それで、予定にはなかったが、キリシタン遺物史料館。面白かった。大正時代に、キリシタン墓碑が発見され、ようやく重い口を開き、当時、3人の女性が信仰をなお守っていたことが判明、次々、いろんなものが確認された。有名なザビエルの肖像画は、いま神戸市博にあるが、この集落の1戸にあったものだという。
◆途中、彩都を見る。ここか・・・、これが彩都か・・・。
◆吹田市博。展示もしっかりしている。当日もイベントがあり、人が集まっている。昨夜、いろいろ書き込んでいたのだが、アップに失敗し消え、もう一度書くのは苦痛なので省略。七尾、岸部の窯を見る。
◆池田市資料館。ここはもうちょっと、この限られた箱のなかとはいえ、なんとかしてほしい。鉢塚の石室を見る。
◆豊中大塚と御獅子塚に行く。大石・小石は暑いので省略、これで帰る。
◆8月28日に学生と北摂をまわる。とはいえ、暑いので、はじめから博物館巡りと考えており、ほぼ予定通り。最初、行ったことがない茨木市の資料館。東奈良の銅鐸の鋳型など鋳造関係遺物を前から見たかったが、恥ずかしながら初めて。けっこう、頑張っている資料館だ。そして茨木城の4年前に出土した建具の保存処理が完了し、その特別展示があった。16世紀末の実物だ。
◆それで、予定にはなかったが、キリシタン遺物史料館。面白かった。大正時代に、キリシタン墓碑が発見され、ようやく重い口を開き、当時、3人の女性が信仰をなお守っていたことが判明、次々、いろんなものが確認された。有名なザビエルの肖像画は、いま神戸市博にあるが、この集落の1戸にあったものだという。
◆途中、彩都を見る。ここか・・・、これが彩都か・・・。
◆吹田市博。展示もしっかりしている。当日もイベントがあり、人が集まっている。昨夜、いろいろ書き込んでいたのだが、アップに失敗し消え、もう一度書くのは苦痛なので省略。七尾、岸部の窯を見る。
◆池田市資料館。ここはもうちょっと、この限られた箱のなかとはいえ、なんとかしてほしい。鉢塚の石室を見る。
◆豊中大塚と御獅子塚に行く。大石・小石は暑いので省略、これで帰る。
徹底した資料観察とそれに基づく研究
◆これ、『京都大学文学部の百年』(2006年)に書かれた京大考古学の学風であると。そうだろう。資料にもとづかなければならないが、観察というと主にブツを想定しているように思われ、違和感がある。
◆考古学の定義、オレは共通教育の授業の初回では、「遺跡にもとづく歴史学」といっている。「物質的資料」とは言わない。「物質的資料」はまずモノと普通は思ってしまう。むろん『通論考古学』などでの「物資的資料」(マテリアル=リメインズ)は、遺構も含めてのもので、遺物・遺跡にもとづいて(「遺構」の言葉は遅い)ということなのだが、言葉がよくない、わかってもらえない。「物質文化」という言葉に同じ違和感がある。モノだけじゃないにしても、なんかパーツに分けている感じ。そうではない、考古学の資料は遺跡である。
◆この点、角田の書いたものを見ていると、濱田の「物質的資料」といった言い方の前に、東京の人間はちゃんと遺跡によるもの、と書いていることを知る。水野清一は、考古学の唯一の資料は遺跡と言い、森浩一も考古学は遺跡学と言っている。
◆モノを観察する(+図化する)力もひとつ、同時に発掘調査で遺構を認識し観察しながら掘る力、そして総合的に遺跡を把握する力、そして遺跡の調査成果にもとづき歴史を明らかにする力が求められていると思う。題目に掲げた「学風」なるもの―この場合の資料はモノだけではないにせよ―は、主としてブツが想定されていると思うが、それは考古学に求められる力の一部である。むろん、単に調整とか作り方をよくわかっている、またそれを図化記載する技術をいうのではなく、わかっているようで、モノを見直して新たな切り口を見いだしていく、ということなんだろうし、観察眼があった方がいいに決まっている。しかし視野には遺跡は入っていないのではないか。
◆遺物の観察力、発掘調査能力、整理報告力、それは実践の中で向上する。大学にいる自分は、発掘力や整理力は劣っていると思う。1年中、発掘し、また整理報告しているプロにはかなわない。大学のなかで、遺物の観察・図化、発掘調査などを体験させるが、それは入り口部分である。確かに発掘調査機関でない大学では、そのなかで遺物を観察する基本は大事であり、やれることのひとつである。
◆しかし、大学でやるべきは、そうした基本的なものを押さえるとともに、より大事なのは、研究力だろう。そっから先は人それぞれではあるが、問題意識がベースになければならないし、方法論とか分析力とか総合化とか、そういうことの錬磨が求められる。
◆で、むろんこれからだって遺物の研究は必要だろう。あまた未解明なことがある。遺物にもとづく新たな知見をもたらす研究の可能性は限りなく広がっていよう。遺物研究は必要だ。
◆だが、同等に遺構についてもやるべきだろうし、やはり遺跡を扱うべきだと思う。遺物については、かなり研究してきたではないか、その成果を踏まえて、もっと遺跡個々に取り組まれていいだろうし、目的である(オレはそう思う)遺跡にもとづいて歴史を明らかにする、という志向をもっと明確に掲げ、そういう研究をめざせと大学では教育し、実際、そうすべきではないかと思う。振り返ると、金谷君や江角君や、いまいる白井君などの大学院生は、みな遺跡を取り扱ってきた。これだけの発掘成果がある、調査データを集めるという資料集めは地味で忍耐力もいる。でもこれが案外やられていないわけだ。
◆考古学の定義、オレは共通教育の授業の初回では、「遺跡にもとづく歴史学」といっている。「物質的資料」とは言わない。「物質的資料」はまずモノと普通は思ってしまう。むろん『通論考古学』などでの「物資的資料」(マテリアル=リメインズ)は、遺構も含めてのもので、遺物・遺跡にもとづいて(「遺構」の言葉は遅い)ということなのだが、言葉がよくない、わかってもらえない。「物質文化」という言葉に同じ違和感がある。モノだけじゃないにしても、なんかパーツに分けている感じ。そうではない、考古学の資料は遺跡である。
◆この点、角田の書いたものを見ていると、濱田の「物質的資料」といった言い方の前に、東京の人間はちゃんと遺跡によるもの、と書いていることを知る。水野清一は、考古学の唯一の資料は遺跡と言い、森浩一も考古学は遺跡学と言っている。
◆モノを観察する(+図化する)力もひとつ、同時に発掘調査で遺構を認識し観察しながら掘る力、そして総合的に遺跡を把握する力、そして遺跡の調査成果にもとづき歴史を明らかにする力が求められていると思う。題目に掲げた「学風」なるもの―この場合の資料はモノだけではないにせよ―は、主としてブツが想定されていると思うが、それは考古学に求められる力の一部である。むろん、単に調整とか作り方をよくわかっている、またそれを図化記載する技術をいうのではなく、わかっているようで、モノを見直して新たな切り口を見いだしていく、ということなんだろうし、観察眼があった方がいいに決まっている。しかし視野には遺跡は入っていないのではないか。
◆遺物の観察力、発掘調査能力、整理報告力、それは実践の中で向上する。大学にいる自分は、発掘力や整理力は劣っていると思う。1年中、発掘し、また整理報告しているプロにはかなわない。大学のなかで、遺物の観察・図化、発掘調査などを体験させるが、それは入り口部分である。確かに発掘調査機関でない大学では、そのなかで遺物を観察する基本は大事であり、やれることのひとつである。
◆しかし、大学でやるべきは、そうした基本的なものを押さえるとともに、より大事なのは、研究力だろう。そっから先は人それぞれではあるが、問題意識がベースになければならないし、方法論とか分析力とか総合化とか、そういうことの錬磨が求められる。
◆で、むろんこれからだって遺物の研究は必要だろう。あまた未解明なことがある。遺物にもとづく新たな知見をもたらす研究の可能性は限りなく広がっていよう。遺物研究は必要だ。
◆だが、同等に遺構についてもやるべきだろうし、やはり遺跡を扱うべきだと思う。遺物については、かなり研究してきたではないか、その成果を踏まえて、もっと遺跡個々に取り組まれていいだろうし、目的である(オレはそう思う)遺跡にもとづいて歴史を明らかにする、という志向をもっと明確に掲げ、そういう研究をめざせと大学では教育し、実際、そうすべきではないかと思う。振り返ると、金谷君や江角君や、いまいる白井君などの大学院生は、みな遺跡を取り扱ってきた。これだけの発掘成果がある、調査データを集めるという資料集めは地味で忍耐力もいる。でもこれが案外やられていないわけだ。
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自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。