人を幸せにする人になろう

徹底した資料観察とそれに基づく研究

◆これ、『京都大学文学部の百年』(2006年)に書かれた京大考古学の学風であると。そうだろう。資料にもとづかなければならないが、観察というと主にブツを想定しているように思われ、違和感がある。
◆考古学の定義、オレは共通教育の授業の初回では、「遺跡にもとづく歴史学」といっている。「物質的資料」とは言わない。「物質的資料」はまずモノと普通は思ってしまう。むろん『通論考古学』などでの「物資的資料」(マテリアル=リメインズ)は、遺構も含めてのもので、遺物・遺跡にもとづいて(「遺構」の言葉は遅い)ということなのだが、言葉がよくない、わかってもらえない。「物質文化」という言葉に同じ違和感がある。モノだけじゃないにしても、なんかパーツに分けている感じ。そうではない、考古学の資料は遺跡である。
◆この点、角田の書いたものを見ていると、濱田の「物質的資料」といった言い方の前に、東京の人間はちゃんと遺跡によるもの、と書いていることを知る。水野清一は、考古学の唯一の資料は遺跡と言い、森浩一も考古学は遺跡学と言っている。
◆モノを観察する(+図化する)力もひとつ、同時に発掘調査で遺構を認識し観察しながら掘る力、そして総合的に遺跡を把握する力、そして遺跡の調査成果にもとづき歴史を明らかにする力が求められていると思う。題目に掲げた「学風」なるもの―この場合の資料はモノだけではないにせよ―は、主としてブツが想定されていると思うが、それは考古学に求められる力の一部である。むろん、単に調整とか作り方をよくわかっている、またそれを図化記載する技術をいうのではなく、わかっているようで、モノを見直して新たな切り口を見いだしていく、ということなんだろうし、観察眼があった方がいいに決まっている。しかし視野には遺跡は入っていないのではないか。
◆遺物の観察力、発掘調査能力、整理報告力、それは実践の中で向上する。大学にいる自分は、発掘力や整理力は劣っていると思う。1年中、発掘し、また整理報告しているプロにはかなわない。大学のなかで、遺物の観察・図化、発掘調査などを体験させるが、それは入り口部分である。確かに発掘調査機関でない大学では、そのなかで遺物を観察する基本は大事であり、やれることのひとつである。
◆しかし、大学でやるべきは、そうした基本的なものを押さえるとともに、より大事なのは、研究力だろう。そっから先は人それぞれではあるが、問題意識がベースになければならないし、方法論とか分析力とか総合化とか、そういうことの錬磨が求められる。
◆で、むろんこれからだって遺物の研究は必要だろう。あまた未解明なことがある。遺物にもとづく新たな知見をもたらす研究の可能性は限りなく広がっていよう。遺物研究は必要だ。
◆だが、同等に遺構についてもやるべきだろうし、やはり遺跡を扱うべきだと思う。遺物については、かなり研究してきたではないか、その成果を踏まえて、もっと遺跡個々に取り組まれていいだろうし、目的である(オレはそう思う)遺跡にもとづいて歴史を明らかにする、という志向をもっと明確に掲げ、そういう研究をめざせと大学では教育し、実際、そうすべきではないかと思う。振り返ると、金谷君や江角君や、いまいる白井君などの大学院生は、みな遺跡を取り扱ってきた。これだけの発掘成果がある、調査データを集めるという資料集めは地味で忍耐力もいる。でもこれが案外やられていないわけだ。

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雲楽
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男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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