人を幸せにする人になろう

非核三原則見直し?

◆鳩山君の時に設置された諮問機関が、米軍による核兵器の持ち込み容認や、日本の武器生産産業を育てるために(そもそもあっていいんか)武器輸出をさせるべきとか、専守防衛に対する疑義とか、そんな提言をまとめたそうな。年末の民主党のまとめる防衛大綱に盛り込むかどうかが焦点となるらしい。首相の考え方はわからん。たぶん大きな方針転換になるようなことは盛り込めまい、という新聞の論調だが、前提として、首相がやろうとしてもネジレだし無理なので、という言い方。菅首相は、こんなもの受け入れないだろう、というのではない。
◆ほんとうか。民主党の安全保障の考え方が自民党とまったく異なり軍縮派などというのは幻想なのだろうが。これはひどい提言である。本来、民主党がこういう路線だとすると、民主党への一定の支持もやめんといかん。
◆メンバー。大学人では、岩間陽子(政策研究大学院大)、添谷芳秀(慶応大)、中西寛(京都大)、広瀬崇子(専修大)、松田康博(東京大)、という。中西なんて、自民党も使ってたんじゃないの。

摩湯山の埴輪

◆昨日07月26日、岸和田市の府立和泉高校に摩湯山の埴輪を見に行った。底径50㎝の大型品で、ハケメも内38a8afc5.jpg外ばっちり残るいい資料だ。それにしても、摩湯山の埴輪って、例の泉大津高校の鰭付円筒埴輪くらいしか知られていないが、前に見に行った岸和田高校の資料など、多くはないがポツポツと資料があり、それらをすべて提示した上で、年代的位置づけを埴輪屋さんにやってもらう必要がある。
◆写真は無断掲載。高校としてはほとんど関心がないので・・・。チクらないでくださいね。いずれちゃんと掲載許可を取って報告しますので。

庄内式はいつはじまるんだ

◆歴博の研究会で発表した(07月25日)。で表題の問題に入る前に、弥生時代後期はどのように始まるか、これは大問題ですね。『考古資料大観』の赤塚さんの文章を読んでいると、土器様式の変革をもたらす動きは、吉備と丹後に発信源があって、瀬戸内から東海にかけて広域の有段高杯の出現などを引き起こし、それが各地の変革をもたらし、後期から庄内にかけて、地域独自の土器様式形成へと進む。その出発点の吉備・丹後はいったいどう動いたのか、そして引き起こされた土器に見られる広域現象とは、いったいそこに何が起こったのか?という問題だ。これこそが国家形成への胎動となる。もう一言いえば、国家形成の理論よりも、こうした倭における具体のデキゴトの中身にどこまで肉薄できるか、事実の解明と背景の洞察の方が、よっぽど興味がある。
◆で庄内式の始まり、学生社の『古墳のはじまりを考える』の森岡さんの文章で、廻間(≒庄内式)は2世紀前半にさかのぼる可能性があると知り、ぎょっとなり、それ以来、2世紀のどこかまでさかのぼるとするなら、どういう理解になるのかを考えてきた。今回、庄内式前半は前代(古墳時代前)、3世紀前半に相当する庄内式後半が卑弥呼共立後に相当し、そっからが古墳時代だと。考古学的指標は?といつも聞かれるし、それはそれで詰めなきゃならんし、むろん年代論の確からしさも自分なりに見極めなければならないが、おおおむね上記の理解でよいとするならば、日本史の時代区分とすれば、庄内式後半からが古墳時代だ、そこでステージが変わっているという話をした。
◆で、藤尾さんは『朝日遺跡Ⅷ』で書いているらしい。インカル(国際標準更正年代)だと2世紀前半になるが、それは古く出るらしくジェイカル(日本更正年代)だと2世紀後半になるらしい。C14に疎い人間はウロウロしてしまう。2世紀中頃とするのか、後半というのがいいのか、さらに詰められねばならないが、石塚の木が年輪年代で2世紀後半の数字が出ていることもあり、2世紀前半は上げすぎだが、2世紀後半というのは、だいたい固まりつつあるのかもしれない。
◆ま、あんまり飛びつかず趨勢を見極めながら、ゆったりと考えていきたいものだ。

ちょっと一息

◆昨日、疲れ果てて梅田から帰ってきたら、22:15頃、カミさんに「いま和歌山、これから帰るから迎えに来てくれ」というので、阪和道で北信太まで迎えに行く。日が変わる頃に帰ってきて、そのまま寝る。7時間ほどぐっすり寝て、なんとかこのところの疲れがとれた感じだ。
◆で、月曜日のヤマを越えることができたので、ちょっと一息。まずは雑用から片付けよう。いろいろ未解決なままほったらかしの事項が多い。
【追記】で、メールを処理したり、いろいろ・・・。ところが息子の三者面談をすっぽかす。今日(07/27)だったことを、まったく失念していた。

徒然なるままに

◆橿考研、近年、ほかの都道府県と同じように財団化せよとの声が強まっており、所長以下、それに抗していると聞いている。大阪も財団、京都も財団、それぞれが歴史的経緯や事業量、今日的形態に至るそれぞれの理由があるとはいえ、そのなかで奈良という土地の利もあるとはいえ、直で研究所組織をもち、附属博物館を備えるてるのは立派ですよね。そして、前にも書いたかも知れないが、所長が率先して市民向け講座などで、毎週のように頑張っているのを横目で見ていると、大阪にいるものとしては、うらやましいと思う。
◆わが大阪は・・・。府教委文化財事務所、センター、3博物館、分散してしまっているよな~。マンパワーも、調査成果も、遺物も、ノウハウも。大阪府立摂河泉文化財研究所ができて、都出先生が所長だったら・・・。で、大阪にある大学の考古学教員も外部研究員で参画するような、そんな夢のような組織はできないものか。遺跡の豊かさ、各時代の重層性も、奈良や京都にけっして負けないのに。

長岡京市恵解山古墳の委員会(100723)

◆調査は今年度が最終年度で、下半期に基本設計に進むため、いつもの冬場でなく年度上半期に実施したもの。東くびれ部で造出南辺と前方部側面が出ている。2つの点が問題となったが、1点目は調査担当者の理解はまったく納得できなかった。2点目は、この古墳の復元をきっちりやっている人だった故に、これまでの成果から復元される平面形にあわないものだから、やや特殊な解釈をしたもので一概には否定できない。だが、やはり解釈は苦しい。一方、西くびれ部で検出された4本の円筒埴輪は、資料が送られてきてざっと見たとき「変なもんや、これは何?」と思ったが、現場を見ると、とくに特殊に考える必要はなく、造出上面の埴輪列が残存したものと思われる。したがって削平されている上面の高さも、意外に削平は大きくないということになるだろう。
◆委員会の雰囲気、メンバー(口火を切る人がいるかどうか)で、こっちの発言の仕方が変わる。ここの委員会の場合、最初の時、断ち割り断面の解釈で、これは地震による崩落ではないかと思ったが、担当者は中世の城による移動と見解が異なり、地震説をかなり強く主張したということがあり、以来、なにかと担当者の見解にイチャモンをつけるみたいな言い方が続いていてよくない。
◆言い方には気をつけなければならない。今回もオレの発言に対し、担当者の不服・不満がありありとわかる。これはまずい。「なるほど、でもこういう見方もできるのでは?」と考えてもらう言い方を心がけなければならない。文化庁時代の役人根性が残っているんだろうか、ややきつめの発言となる場合も多い。
◆でもね、埴輪を取り上げるかどうかなんて、委員に諮るのもいいけれど、史跡で文化庁の指導もあり、遺構だから埋めるというのは原則ではあっても、どうしてもモノを取り上げて確認したいという場合、市の判断で上げればいいのである。どうでしょうかという投げかけの時、取り上げたいという気持ちがありありだった。だけど、都出先生は残せと。賛同してもらえれば取り上げ、埋めとけと言われたらしぶしぶ埋める、というのはどうかと思うのだ。テラス面の一般的な埴輪列でなく、造出上面のモノで、とくに鍵の手の入り口に相当する部分かも知れない可能性があり、異常に径の小さい埴輪、門柱にあたる部分かもしれず、これについては取り上げることにしたい、と説明すればよいのである。

西安瓦調査

◆またまた古い写真がてきた。いまアルバイトに、参考文献をいろいろ入力してもら540f99cb.jpgf0fddbbf.jpgていて、頁数とかを確認するのに、本棚を引っかき回し、特定のc309c462.jpgコピーを見つけなきゃならん事態がときおり。半々くらいしか見つからないが・・・。で、1994年に中国西安に行ったときの写真がまとまってでてきた。牛島さんにもらった写真と、黒崎さんにいただいた写真なんだと思う。

28歳の写真

◆こんなん出てきた。『週間B-ing』(たしかリクルート)1992年8月20日号。特集〈どうすりゃなれる?関西のお仕事100選〉。8594c2b3.JPG

教員の早期退職

◆毎年、小中学校教諭が1万人以上定年前にやめるのだそうだ。やりがいあると思いつつ、こんな世界から早く脱却しようという先生がかなりいるのだということ。そう思わせる要因については慎重な分析が必要だ。いやでも、自分の生活もかかっているし、ふつうは定年まで勤めるものだろう。ところが、そういう現実にもかかわらず、はやくオサラバしたい、というのが、この国の教育現場だ、ということだ。

CO2の虚構

◆新聞で、広瀬隆の『二酸化炭素温暖化説の崩壊』の広告を見て、岡山からの帰り、新大阪駅構内の本屋に行くとあったので買った。痛快ですね。是非みなさんにも読んで欲しい。
◆親類縁者、みなに読んで欲しい、10冊買って配ってもいいと思うような本である。そんな本、少ないが、この10年で、もう1冊あった。伊藤塾の塾長の伊藤真『日本国憲法の論点』というやつ。これも自分の親を含めて、配ってもいい、是非読んで欲しいと思った本だった。
◆話を広瀬にもどすと、そもそも温暖化しているということそのものが誇張されている。データが捏造されているのである。そのトリックが成功したことをほくそえむメールが暴露されたクライメートゲート事件、というのを知って、驚き、そしてあきれる。
◆それと広瀬の著作から学ぶことは、科学的思考と言うことだ。自ら資料を集めて考えることの大切さを教えてくれる。声の大きさ、主流、そういうものとは関係なく真理を追究し、導かれる結論を、世論なるものとは無縁にきっちりと提示していくことの重要性だ。
◆まだ読み切ってはいない。だが、これは考古学や文化財の分野でも同じ事だ。巨悪のレベルは違っているとしても、バックデータをもとに自分で考えることである。ガリレオの地動説、ウェゲナーの大陸移動悦、ダーウィンの進化論、合理的な思考により導かれた仮説は生き残るのだ。
◆ちなみに誤解のないように申し添えれば、温暖化の要因をC02に求めることの虚構であり、地球そのものは長いスパンとしては冷却化の方向にあること、温暖化そのものが起こっていないのではなく、それは都市部のヒートアイランド現象の通り、CO2でなく人為的な放熱現象によるとのことである。
【追記】08月05日の朝日新聞でIPCCの信用をめぐって、広瀬と同様に疑問視する立場と、そうでないとの論客1名ずつの署名記事が掲載された。これって、クライメートゲート事件の報道は昨年のことだから、広瀬本の刊行に対応した記事なのではないか。でも広瀬本そのものが紹介されたりはしていない。新聞社の科学部の記者を広瀬が叩いているからであろう。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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