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庄内式はいつはじまるんだ

◆歴博の研究会で発表した(07月25日)。で表題の問題に入る前に、弥生時代後期はどのように始まるか、これは大問題ですね。『考古資料大観』の赤塚さんの文章を読んでいると、土器様式の変革をもたらす動きは、吉備と丹後に発信源があって、瀬戸内から東海にかけて広域の有段高杯の出現などを引き起こし、それが各地の変革をもたらし、後期から庄内にかけて、地域独自の土器様式形成へと進む。その出発点の吉備・丹後はいったいどう動いたのか、そして引き起こされた土器に見られる広域現象とは、いったいそこに何が起こったのか?という問題だ。これこそが国家形成への胎動となる。もう一言いえば、国家形成の理論よりも、こうした倭における具体のデキゴトの中身にどこまで肉薄できるか、事実の解明と背景の洞察の方が、よっぽど興味がある。
◆で庄内式の始まり、学生社の『古墳のはじまりを考える』の森岡さんの文章で、廻間(≒庄内式)は2世紀前半にさかのぼる可能性があると知り、ぎょっとなり、それ以来、2世紀のどこかまでさかのぼるとするなら、どういう理解になるのかを考えてきた。今回、庄内式前半は前代(古墳時代前)、3世紀前半に相当する庄内式後半が卑弥呼共立後に相当し、そっからが古墳時代だと。考古学的指標は?といつも聞かれるし、それはそれで詰めなきゃならんし、むろん年代論の確からしさも自分なりに見極めなければならないが、おおおむね上記の理解でよいとするならば、日本史の時代区分とすれば、庄内式後半からが古墳時代だ、そこでステージが変わっているという話をした。
◆で、藤尾さんは『朝日遺跡Ⅷ』で書いているらしい。インカル(国際標準更正年代)だと2世紀前半になるが、それは古く出るらしくジェイカル(日本更正年代)だと2世紀後半になるらしい。C14に疎い人間はウロウロしてしまう。2世紀中頃とするのか、後半というのがいいのか、さらに詰められねばならないが、石塚の木が年輪年代で2世紀後半の数字が出ていることもあり、2世紀前半は上げすぎだが、2世紀後半というのは、だいたい固まりつつあるのかもしれない。
◆ま、あんまり飛びつかず趨勢を見極めながら、ゆったりと考えていきたいものだ。

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雲楽
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1964/03/22
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大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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