人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
考古学者の生き様
◆森浩一、七観古墳破壊(1947・1952)、カトンボ山破壊(1949)、城ノ山古墳破壊(1950)、百舌鳥大塚山破壊(1950-1952)、[黒姫山,1953]、[カトンボ,1953]、[和泉黄金塚,1954]、いたすけ問題(1955)、平凡社の『世界考古学大系』(1959-1961)、[富木車塚,1960]、経塚調査(1961)、小林行雄『古墳時代の研究』(青木書店,1961年)、[二塚,1961]、弁天山古墳群の調査(1963)、[前山,1963]、[大和天神山,1963]、将軍山古墳の調査(1964)。
◆『日本の歴史1神話から歴史へ』(中央公論社,1965年)、井上光貞の著作であるこの本の考古学の記述を助けたのが森である。同年、『古墳の発掘』〈中公新書〉65(1965年)、河出書房の『日本の考古学』(1965-1967)、『シンポジウム古墳時代の考古学』(学生社,1970年)、『古墳―意志と土の造形―』〈カラーブックス〉212(保育社,1970)、『論集終末期古墳』(塙書房,1973年)、『考古学ゼミナール』(山川出版社,1976年)、『考古学入門』〈カラーブックス〉360(保育社,1976年)。
◆きっかけは、野上さんの抜き刷り、いろんなことが書いてある。話半分くらいで・・・。だが、梅原末治の評価は納得できる。梅原先生はすごい業績を残した。梅原教授と、小林助手に影響を受けた戦後入学組、それをあまりにも対立的に描くのはどうか、という疑問はわかるような気がする。どこだってあるだろう。小林の新しい手法や技術を新鮮に受け止め、教授梅原は古いと、そう思うのも仕方がないことでは。で、野上さんは、いろんな人を切りまくる。森浩一が出てきた。自分が掘りたい古墳を、大阪府の委員である小林が掘り、自分は保存を訴える側にまわる、と。実際の所、あまたの調査をかかえた大阪府、その調査をだれがやるかということをめぐっては、いろんなことがあったかもしれない。しかし、経塚も弁天山も誰かが掘らねばならない。功名心や学問的うまみを考えるのもいたしかない。しかし、そんなことはもはや知ったこっちゃない。今となっては、なかなか難しかったことは理解できるが、多くの調査が未報告であることがやはり問題だ。森先生の遺跡を保存したい、調査費を出してもらって掘ることに対する反発もわかるし、自分が掘れないという反発が0ではなかったのかもしれないが、保存運動を貫いた精神をちゃんと評価しなければならないし、世間は評価している。
◆そんなこんなで、いろんな本を出してきて時間をつぶしてしまった。しかし、それぞれの職があり、立場があり、そのなかで懸命にやってきたということも、きちんと受け止める必要がある。むろん、学閥というのもあるんだろうし、野上さんの指摘があたっている部分もあるのだろうが。
◆そんなんで、それぞれの生き様を調べてみたい、とふと思った。だが、自分がいまやることではないな。だが、野上も指摘するように、人間の人間たる弱い部分をもつことを認めてやり、きちんと学問で評価する、あるいは弟子を育てたということで評価してやる必要がある。坪井さんも、やっぱりエライ人やと思う。なのに、全体として、野上さんのイチャモンぶりは、自分が唾棄したはずの人間に自分がなっているように思う。
◆『日本の歴史1神話から歴史へ』(中央公論社,1965年)、井上光貞の著作であるこの本の考古学の記述を助けたのが森である。同年、『古墳の発掘』〈中公新書〉65(1965年)、河出書房の『日本の考古学』(1965-1967)、『シンポジウム古墳時代の考古学』(学生社,1970年)、『古墳―意志と土の造形―』〈カラーブックス〉212(保育社,1970)、『論集終末期古墳』(塙書房,1973年)、『考古学ゼミナール』(山川出版社,1976年)、『考古学入門』〈カラーブックス〉360(保育社,1976年)。
◆きっかけは、野上さんの抜き刷り、いろんなことが書いてある。話半分くらいで・・・。だが、梅原末治の評価は納得できる。梅原先生はすごい業績を残した。梅原教授と、小林助手に影響を受けた戦後入学組、それをあまりにも対立的に描くのはどうか、という疑問はわかるような気がする。どこだってあるだろう。小林の新しい手法や技術を新鮮に受け止め、教授梅原は古いと、そう思うのも仕方がないことでは。で、野上さんは、いろんな人を切りまくる。森浩一が出てきた。自分が掘りたい古墳を、大阪府の委員である小林が掘り、自分は保存を訴える側にまわる、と。実際の所、あまたの調査をかかえた大阪府、その調査をだれがやるかということをめぐっては、いろんなことがあったかもしれない。しかし、経塚も弁天山も誰かが掘らねばならない。功名心や学問的うまみを考えるのもいたしかない。しかし、そんなことはもはや知ったこっちゃない。今となっては、なかなか難しかったことは理解できるが、多くの調査が未報告であることがやはり問題だ。森先生の遺跡を保存したい、調査費を出してもらって掘ることに対する反発もわかるし、自分が掘れないという反発が0ではなかったのかもしれないが、保存運動を貫いた精神をちゃんと評価しなければならないし、世間は評価している。
◆そんなこんなで、いろんな本を出してきて時間をつぶしてしまった。しかし、それぞれの職があり、立場があり、そのなかで懸命にやってきたということも、きちんと受け止める必要がある。むろん、学閥というのもあるんだろうし、野上さんの指摘があたっている部分もあるのだろうが。
◆そんなんで、それぞれの生き様を調べてみたい、とふと思った。だが、自分がいまやることではないな。だが、野上も指摘するように、人間の人間たる弱い部分をもつことを認めてやり、きちんと学問で評価する、あるいは弟子を育てたということで評価してやる必要がある。坪井さんも、やっぱりエライ人やと思う。なのに、全体として、野上さんのイチャモンぶりは、自分が唾棄したはずの人間に自分がなっているように思う。
鬼の俎・雪隠
◆平田梅山を敏達未完陵とするテルちゃん説に賛同している。で、東隣のカナヅカが吉備姫王墓、で鬼の俎と雪隠、そして檜隈大内陵。真弓丘に敏達系の王族墓がならぶ、といった話を授業でやった。やってると、そしたら、鬼の俎・雪隠、同じような石槨を2つならべたあれは誰の墓?と当然そうなる。【追記】西光さんは、斉明と間人の初葬墓と言っている。
◆平田梅山が580年代、整備が620年、カナヅカ643年没のオバチャン、檜隈大内陵は687年に造り始め、埋葬は翌688年。鬼の雪隠・俎は、おそらくそのあいだ、643-687、石槨の年代もそれにみあうんとちゃう。この間の敏達系の王族とは誰か。どなたか答えを教えてください。斉明ならちょうどいいんだが、越智の丘なので、ちゃうんやろし。
◆平田梅山が580年代、整備が620年、カナヅカ643年没のオバチャン、檜隈大内陵は687年に造り始め、埋葬は翌688年。鬼の雪隠・俎は、おそらくそのあいだ、643-687、石槨の年代もそれにみあうんとちゃう。この間の敏達系の王族とは誰か。どなたか答えを教えてください。斉明ならちょうどいいんだが、越智の丘なので、ちゃうんやろし。
雑用を・・・
◆昨日(07/09)、文学部の仕事、大阪歴史学会の仕事など、さぼってやってないことを全部片付けてやろうと思ったが、朝早く大学に来て、図書の整理をやっていると、そのまま図書の整理で1日の大半を費やした。
◆今日(07/10)、改めて出勤し、昨日、散らかしたものを片付けて、午後、懸案のいくつかの雑用を片付けよう。【追記】14時間やると、だいぶ片づいた。もうすこしだ。
◆博士論文を書かねばならないのだが、このところ摩湯山ばっかりやっていた。報告書を作る方がどんだけ楽しいか。で、摩湯山はほっといてもやるから、基本は博論としなければならない。まあ、でもぜんぜん進まん。いまはまだ入り口で、プロローグ、弥生時代後期の話を書いている。
◆今日(07/10)、改めて出勤し、昨日、散らかしたものを片付けて、午後、懸案のいくつかの雑用を片付けよう。【追記】14時間やると、だいぶ片づいた。もうすこしだ。
◆博士論文を書かねばならないのだが、このところ摩湯山ばっかりやっていた。報告書を作る方がどんだけ楽しいか。で、摩湯山はほっといてもやるから、基本は博論としなければならない。まあ、でもぜんぜん進まん。いまはまだ入り口で、プロローグ、弥生時代後期の話を書いている。
佐紀古墳群の分布図を作ろう
◆摩湯山の報告書の中で、できるだけ佐紀の前期のことをまとめてしまいたいと思っている。で、猫塚や瓢箪山や
塩塚やら、そういうものの既存のデータを放り込むには、まず分布図が必要。
◆奈文研には、1000分の1地形図があり、法華寺の現場などをやるとき、調査区を落とし込んでいた。確か一式あったはずと、図面をひっくりかえすと出てきたので、合成してもらった。そうすると、上下に不足が出てきたので、小澤さんにお願いして送ってもらえることになった。これで、古墳以外も佐紀遺跡など、平城宮下層の古墳時代の遺構検出箇所も記入できるだろう。
【追記】画像は既に下の図幅も貼り足し、古墳を落とし込んでみた。平城の調査で古墳時代前期から中期の遺構・遺物がどれだけ出ているかわからないが、『平城Ⅹ』以後の概報をあたれば、おおよそ落とし込むことができるだろう。それと松林苑の報告書か。
◆奈文研には、1000分の1地形図があり、法華寺の現場などをやるとき、調査区を落とし込んでいた。確か一式あったはずと、図面をひっくりかえすと出てきたので、合成してもらった。そうすると、上下に不足が出てきたので、小澤さんにお願いして送ってもらえることになった。これで、古墳以外も佐紀遺跡など、平城宮下層の古墳時代の遺構検出箇所も記入できるだろう。
【追記】画像は既に下の図幅も貼り足し、古墳を落とし込んでみた。平城の調査で古墳時代前期から中期の遺構・遺物がどれだけ出ているかわからないが、『平城Ⅹ』以後の概報をあたれば、おおよそ落とし込むことができるだろう。それと松林苑の報告書か。
特別養護老人ホーム
◆さいわい、自分の親もまだ元気で要介護というわけでもないので、介護施設について勉強することもない。テレ
ビで、特養ホームに入れたいが、700人待っている、といった報道があった。要は親を預けたくても入れてもらえないのだ。この国の貧困さを象徴する。これだけ少子高齢化といわれ、高齢者人口が増えることがわかっていながら、この無策ぶりである(グラフは2003年12月14日朝日新聞)。
◆また介護士の年収が300万円を切るとか。そりゃ無理でしょうね。
◆どうだろうか、今日、教員になるためには、養護施設などでの研修が課せられる。国家公務員新人には、1ヶ月の特養ホームでの研修を課してはどうだろう。しかも収入は300万円弱で。新人というのはおかしいか、幹部も、キャリアの課長も局長も、年収300万円に相当する1ヶ月給料で研修する。国会議員も。とくに防衛施設庁や国土交通省の職員は。それによって国の税収をどこにむけなければいけないかを知るべきだろう。
◆国防予算、戦車や軍艦や戦闘機、使うことないでしょ、自衛隊諸君、出兵することないでしょ。そうか、自衛隊諸君は、ふだんは少しの軍事訓練のほかは特養ホーム勤務を義務づければいいのだ。日本の軍事費3兆円だか4兆円を、介護士の報酬にあて、激務にみあう報酬がえられるようにすることが、この国にとっていかに必要かを認識すべきである。自分たちが金科玉条としてきた国防、冷戦後の現在、ほんとうに現在の規模のものが必要なのかどうか、考えて欲しいものである。
◆また介護士の年収が300万円を切るとか。そりゃ無理でしょうね。
◆どうだろうか、今日、教員になるためには、養護施設などでの研修が課せられる。国家公務員新人には、1ヶ月の特養ホームでの研修を課してはどうだろう。しかも収入は300万円弱で。新人というのはおかしいか、幹部も、キャリアの課長も局長も、年収300万円に相当する1ヶ月給料で研修する。国会議員も。とくに防衛施設庁や国土交通省の職員は。それによって国の税収をどこにむけなければいけないかを知るべきだろう。
◆国防予算、戦車や軍艦や戦闘機、使うことないでしょ、自衛隊諸君、出兵することないでしょ。そうか、自衛隊諸君は、ふだんは少しの軍事訓練のほかは特養ホーム勤務を義務づければいいのだ。日本の軍事費3兆円だか4兆円を、介護士の報酬にあて、激務にみあう報酬がえられるようにすることが、この国にとっていかに必要かを認識すべきである。自分たちが金科玉条としてきた国防、冷戦後の現在、ほんとうに現在の規模のものが必要なのかどうか、考えて欲しいものである。
新納先生から反応が
◆牧野のリーフレット、まだ350発送はしていないが、横穴式石室をやっている何人かには送った。新納先生からメールが来てウレシイ。どうやら藤ノ木はもっと上げようと考えているらしい。だが、画像そのものは褒めていただいた。こういう画像を資料として蓄積していこうという方向性はまったく同じようだ。こっちも、第2弾の候補を考えよう。
◆でも、ほんとうに意見を交換したい部分については、あんまり明確に言ってはくれない。今度、20日に岡山市の千足古墳の委員会で顔をあわせる機会があるようなので、その時につっこもう。
◆でも、ほんとうに意見を交換したい部分については、あんまり明確に言ってはくれない。今度、20日に岡山市の千足古墳の委員会で顔をあわせる機会があるようなので、その時につっこもう。
釜山大学論文集が出たのはいいけれど
◆先週、釜山大学の論文集が送られてきて、抜き刷りもあった。楽しみにしていたが、少々ガックリ。日本人の論文は和文とハングル並記だった。
◆こっちは文字組がわからんから、文章と挿図を送ってむこうでレイアウトしてくれるだろうと思っていた。が、なかなか思うようになっていない。見開きで作った、今回いちばんの力作の図、要は言いたいことはこの2頁、という図があったのだが、見開きではなく、1頁に横に置かれていた。がっくり。他国のことだし、完全原稿、割り付けもちゃんと示してやるべきでしたね。ま、そんな余裕もなかったが。
◆それと申先生の名前の外字とか、JISにないので〓にしていたら、そのままだった。これくらい入れてくれよな~と思ったが、これもちゃんと指示しなければ。だけど、指示といっても韓国語はできないし、平郡君に電話してお願いしておけばよかった。と、反省・・・。恥ずかしいので、この抜き刷りは配りたくない・・・。
◆こっちは文字組がわからんから、文章と挿図を送ってむこうでレイアウトしてくれるだろうと思っていた。が、なかなか思うようになっていない。見開きで作った、今回いちばんの力作の図、要は言いたいことはこの2頁、という図があったのだが、見開きではなく、1頁に横に置かれていた。がっくり。他国のことだし、完全原稿、割り付けもちゃんと示してやるべきでしたね。ま、そんな余裕もなかったが。
◆それと申先生の名前の外字とか、JISにないので〓にしていたら、そのままだった。これくらい入れてくれよな~と思ったが、これもちゃんと指示しなければ。だけど、指示といっても韓国語はできないし、平郡君に電話してお願いしておけばよかった。と、反省・・・。恥ずかしいので、この抜き刷りは配りたくない・・・。
また自転車通勤
◆しばらく前に自転車通勤を復活させたが、このところ雨が多く、またさぼっていたが、今日は雨の心配はなさそうなので、久しぶりに自転車で行く。稲が育っている。短パンにTシャツ、着替えをもって出掛けたが、1日、このかっこうだった。朝、9時前だと1時間自転車に乗っていても、汗でべたべたになることはなかった。
◆帰り、1時間かけてかえりながら、いま書いている論文のこの先のこととか、明日のバイトの仕事とか、いろ~んなことを考えるのは楽しい。22:00に大学を出て、ほぼ23:00に帰り着く。
◆さすがにすぐに風呂、さっぱりして新聞を読み、いまブログ。
◆帰り、1時間かけてかえりながら、いま書いている論文のこの先のこととか、明日のバイトの仕事とか、いろ~んなことを考えるのは楽しい。22:00に大学を出て、ほぼ23:00に帰り着く。
◆さすがにすぐに風呂、さっぱりして新聞を読み、いまブログ。
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自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。