人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
さてと
◆11日の記事に書いた、考えていることとは別の話です。まあ、いいんですけど、わたしの2王並立論なんて、取るに足らない無視されるべきものなんですかね。例えば、オオヤマト6墳の理解は、考え方は明確だと思う。が、まったく言及されることがありません(反応ゼロではないですが・・・)。グチです。
◆いくつかあったのですが、例えば『季刊考古学』の陵墓特集で古代史の方の文があるわけです。陵墓祭祀の上で持統朝が画期であるとか、そこは先行研究も含めて勉強になります。が、本論でない点から始めると、まず5世紀以前は、ほんとうに血統など重視されていないのでしょうか。これは古代史では定説のようですから、そうした理解の形成過程と根拠を確認する必要がある。反論できるのか、おとなしくする他ないか、またそれから考えます。王位継承は、実際に変動している局面があったという立場なので、不安定と言えばそうですが、しかし権力闘争はあって当然なわけです。が、もろもろの王族から、実力で選ばれるのであって、特定のところと決まっているわけではない、というのは無秩序にすぎるのではないか。卑弥呼即位から200年が経過している5世紀の王系が、いまだにそんな状態だったとはとても思えないのです。
◆で本論。議論のひとつがオオヤマトの6墳。わたしは茶臼山やメスリ山をはずしていない。でも、引用してはくれません。古墳群の編年的整理の議論と、6世紀以降に整序された王統譜を切り離すべきと。むろん、もたれあうことはよくないし、別個に積み上げるべきで、一旦、切り離すということは妥当でしょう。しかし、古墳時代はあくまで古墳の編年で考えてください、王統譜は6世紀以降の古代史の局面としてのネタにはなるが古墳時代の議論にはそぐわない、という意見だとすると、そりゃなんじゃ、と。協業は困難だということなのでしょうが、それでいいんでしょうか。
◆ついでに。引っかかるのは、「王統譜と前方後円墳は意外に信用できるという議論に容易に転化する」というところ。政治的に利用される危険性というのはもちろんある。しかし、使える部分が10%に過ぎずとも、40%であれ、70%であれ、利用しようと思うヤツは使うのである。学問的な厳密性を尊重することはもちろんだし、どれくらいの確証性があればどこまでどういう表現で言うかというのは研究者個々の考え方だ。しかし古墳時代の王権のありようを、資料に即して解明しようとする学術的目的は間違ってないし、追究すべき課題である。で、王統譜とか文献からは復元はほとんど無理というわけではないでしょう。まったくの捏造ということはない。6世紀、7世紀、一定の意図や思惑で改変しているだろう。がそこは、この部分はこうで、あの部分は、という研究が進められてきたわけです。
◆言いたいことは、10%とか、40%とか、70%とか、もちろん数字で出せなんて言っているわけではないですが、そういうシロクロをつけていくということの上に、突き合わせるべきですよね。政治的利用のおそれに留意しなければならないとしても、学問的営みはだから避けるのでなく、やらないといけないと思う。学問的にはここが使えるということを出すことを、手控えることがあってはならない。
◆長くなったので、改めます。
◆いくつかあったのですが、例えば『季刊考古学』の陵墓特集で古代史の方の文があるわけです。陵墓祭祀の上で持統朝が画期であるとか、そこは先行研究も含めて勉強になります。が、本論でない点から始めると、まず5世紀以前は、ほんとうに血統など重視されていないのでしょうか。これは古代史では定説のようですから、そうした理解の形成過程と根拠を確認する必要がある。反論できるのか、おとなしくする他ないか、またそれから考えます。王位継承は、実際に変動している局面があったという立場なので、不安定と言えばそうですが、しかし権力闘争はあって当然なわけです。が、もろもろの王族から、実力で選ばれるのであって、特定のところと決まっているわけではない、というのは無秩序にすぎるのではないか。卑弥呼即位から200年が経過している5世紀の王系が、いまだにそんな状態だったとはとても思えないのです。
◆で本論。議論のひとつがオオヤマトの6墳。わたしは茶臼山やメスリ山をはずしていない。でも、引用してはくれません。古墳群の編年的整理の議論と、6世紀以降に整序された王統譜を切り離すべきと。むろん、もたれあうことはよくないし、別個に積み上げるべきで、一旦、切り離すということは妥当でしょう。しかし、古墳時代はあくまで古墳の編年で考えてください、王統譜は6世紀以降の古代史の局面としてのネタにはなるが古墳時代の議論にはそぐわない、という意見だとすると、そりゃなんじゃ、と。協業は困難だということなのでしょうが、それでいいんでしょうか。
◆ついでに。引っかかるのは、「王統譜と前方後円墳は意外に信用できるという議論に容易に転化する」というところ。政治的に利用される危険性というのはもちろんある。しかし、使える部分が10%に過ぎずとも、40%であれ、70%であれ、利用しようと思うヤツは使うのである。学問的な厳密性を尊重することはもちろんだし、どれくらいの確証性があればどこまでどういう表現で言うかというのは研究者個々の考え方だ。しかし古墳時代の王権のありようを、資料に即して解明しようとする学術的目的は間違ってないし、追究すべき課題である。で、王統譜とか文献からは復元はほとんど無理というわけではないでしょう。まったくの捏造ということはない。6世紀、7世紀、一定の意図や思惑で改変しているだろう。がそこは、この部分はこうで、あの部分は、という研究が進められてきたわけです。
◆言いたいことは、10%とか、40%とか、70%とか、もちろん数字で出せなんて言っているわけではないですが、そういうシロクロをつけていくということの上に、突き合わせるべきですよね。政治的利用のおそれに留意しなければならないとしても、学問的営みはだから避けるのでなく、やらないといけないと思う。学問的にはここが使えるということを出すことを、手控えることがあってはならない。
◆長くなったので、改めます。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。