人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
だらだらと近況です―いや結局、郷の話
◆改めて近況報告する必要もないとは思いますが。本日7月21日、大阪歴科協の報告が終わったので、缶チューハイを飲んでブログでも書くか、と。報告後、食事に誘われて行き、むこうは委員会に突入するので、再び大学にもどり原稿に戻ろうとするが、床に寝っ転がって寝ていました。眠くて・・・。時々ドアを閉めて寝てます(告白)。
◆郷域のこと、栄原先生にお願いし目を通していただいていたのだが、20日金曜日(先生の授業の曜日)、コメントをいただいた。で、やっぱり簡単には納得していただけなく、イメージの話を聞くことができてよかった。
◆びしっと線で引かれた領域でないなら、どんなんや!と言いたいわけだが、こっちはモワッと曖昧な円みたいなイメージでいたのだが、違うみたい。要するに口分田の班給状況からすると、要は込み入っているということのよう。あいまいで中間地帯ゾーンがあるようなイメージでなく、いちおう、この右は○○郷の田地、左は○○郷の田地、という区切りはあって、主な分布域はあるんだが、要するに口分田はあっちこっちにあって飛び地がいっぱい、というイメージなのだそうだ。ほんまかいな!、とは思うが、要するに錯圃の議論のようです。入り乱れていると。で、史料はそういうあり方を示す、それこそがかっこたる根拠、拠って立つべき立脚点、そうなると、どんなに領域だといっても通じない。が、そんな口分田の復元、何郷の戸主だれの土地がここ、といったことが復元できるのは、荘園領しかないんだろう。
◆一般化できないですよ・・・。荘園開発を進めるにも、東大寺から100人を連れて行くわけでなく、国司、郡司の地元有力者がかかわり、要するに地元の労働力を投入して開発を進めざるをえない。そのときに、寺田があり、実際にそこの開発をやらせる人間の口分田をその周囲に配置することはありうるんではないかと思います。坂井郡の多くの郷の戸主の口分田があるというのは、そうした特別体制と思うんですけどね。が、史料主義でいくと負けるのかな。ふつうじゃないという方の史料がないから。根拠があり確かなことがいえるのは向こうだから・・・。正倉院文書ってスゴイということがよくわかるが、そこから見える世界は実像であるが、宇宙を見たときの望遠鏡の視野のようなもので、シャドウ部が取り巻いているのだろう。資料の偏りの著しさ、そのシャドウ部に光をあてていくのは資料的な偏りの少ない考古資料なんだろう。だからといって、郷が領域かみたいな議論において考古資料から何か言えるわけではないが。
◆どうしたらいいんでしょうね。郷のエリアがそんなにごちゃごちゃで、この世はうまくまわらないだろうに!。さてさて・・・。そんなで、19寺に大学に戻り、郷=領域論の手直しをしようと、もひとつ指摘された『播磨国風土記』の部分を書き加えなアカンと思って、自分の出身地の印南郡のところを床に寝ながら読んでいたら、そのまま寝入ってしまった、ということです。
◆あした日曜日は、大歴のたまった仕事をすべて片付けるつもり(条里の原稿はまた月曜日)。家に戻って、原稿を書いてもいいんだが気力なし。缶チューハイを飲みながらブログを書いてウサをはらそうと。続けざまに、いろいろ書いていきます。
◆郷域のこと、栄原先生にお願いし目を通していただいていたのだが、20日金曜日(先生の授業の曜日)、コメントをいただいた。で、やっぱり簡単には納得していただけなく、イメージの話を聞くことができてよかった。
◆びしっと線で引かれた領域でないなら、どんなんや!と言いたいわけだが、こっちはモワッと曖昧な円みたいなイメージでいたのだが、違うみたい。要するに口分田の班給状況からすると、要は込み入っているということのよう。あいまいで中間地帯ゾーンがあるようなイメージでなく、いちおう、この右は○○郷の田地、左は○○郷の田地、という区切りはあって、主な分布域はあるんだが、要するに口分田はあっちこっちにあって飛び地がいっぱい、というイメージなのだそうだ。ほんまかいな!、とは思うが、要するに錯圃の議論のようです。入り乱れていると。で、史料はそういうあり方を示す、それこそがかっこたる根拠、拠って立つべき立脚点、そうなると、どんなに領域だといっても通じない。が、そんな口分田の復元、何郷の戸主だれの土地がここ、といったことが復元できるのは、荘園領しかないんだろう。
◆一般化できないですよ・・・。荘園開発を進めるにも、東大寺から100人を連れて行くわけでなく、国司、郡司の地元有力者がかかわり、要するに地元の労働力を投入して開発を進めざるをえない。そのときに、寺田があり、実際にそこの開発をやらせる人間の口分田をその周囲に配置することはありうるんではないかと思います。坂井郡の多くの郷の戸主の口分田があるというのは、そうした特別体制と思うんですけどね。が、史料主義でいくと負けるのかな。ふつうじゃないという方の史料がないから。根拠があり確かなことがいえるのは向こうだから・・・。正倉院文書ってスゴイということがよくわかるが、そこから見える世界は実像であるが、宇宙を見たときの望遠鏡の視野のようなもので、シャドウ部が取り巻いているのだろう。資料の偏りの著しさ、そのシャドウ部に光をあてていくのは資料的な偏りの少ない考古資料なんだろう。だからといって、郷が領域かみたいな議論において考古資料から何か言えるわけではないが。
◆どうしたらいいんでしょうね。郷のエリアがそんなにごちゃごちゃで、この世はうまくまわらないだろうに!。さてさて・・・。そんなで、19寺に大学に戻り、郷=領域論の手直しをしようと、もひとつ指摘された『播磨国風土記』の部分を書き加えなアカンと思って、自分の出身地の印南郡のところを床に寝ながら読んでいたら、そのまま寝入ってしまった、ということです。
◆あした日曜日は、大歴のたまった仕事をすべて片付けるつもり(条里の原稿はまた月曜日)。家に戻って、原稿を書いてもいいんだが気力なし。缶チューハイを飲みながらブログを書いてウサをはらそうと。続けざまに、いろいろ書いていきます。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。