人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
よろ瓢塚の頃
◆今日も、道上君と実習室等の図書の整理をしていた。自分の部屋にある雑雑も捨てるものは捨てる。で、『ひょうご考古』の6
かなんかがあって、武藤先生の追悼集があった。それで武藤先生の思い出を書こうと思った。そこで丁瓢塚のファイルをくっていると、2冊のノートがあり、トラバース計算をしているのを見て、自分の思い出をまず書くことになった。
◆まだしかし思い出を書く年齢ではないし、ファイルも残っている。しかし、これなども捨てるものは捨てて、残すものは製本するなどの処置もいずれ必要となろう。岩倉の窯跡の測量をやってきたが、そう広い面積ではないし、基本は自然地形なので、トラバースを組み閉じる必要はなかった。瓢塚は100mあるが、いまから考えると、そんなきちんとしなくてもほとんど変わりはないと思うが、研究室でトランシットを借りて、まず打った杭のトラバース測量をやって綴じ、角度を足して誤差を割り振ったわけである。旧版の『発掘調査の手引き』(牧野車塚です)を見ながらやったんだろう。測量の本も買った記憶はある。その上で、原図はどうしたんでしょうね。白いマイラーベースで方眼ではない。結局は分度器と物差しで?。いや、なんか思い出してきたが、追求するのはやめておこう。1987年3月のことである。
◆まだしかし思い出を書く年齢ではないし、ファイルも残っている。しかし、これなども捨てるものは捨てて、残すものは製本するなどの処置もいずれ必要となろう。岩倉の窯跡の測量をやってきたが、そう広い面積ではないし、基本は自然地形なので、トラバースを組み閉じる必要はなかった。瓢塚は100mあるが、いまから考えると、そんなきちんとしなくてもほとんど変わりはないと思うが、研究室でトランシットを借りて、まず打った杭のトラバース測量をやって綴じ、角度を足して誤差を割り振ったわけである。旧版の『発掘調査の手引き』(牧野車塚です)を見ながらやったんだろう。測量の本も買った記憶はある。その上で、原図はどうしたんでしょうね。白いマイラーベースで方眼ではない。結局は分度器と物差しで?。いや、なんか思い出してきたが、追求するのはやめておこう。1987年3月のことである。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。