人を幸せにする人になろう

西本さんの論文を読む

◆小澤さんにコピーしてもらった2本の論文をざっと読む。天智陵の話は面白かったし、文武朝の修陵が新たな陵墓祭祀にかかわるというのも興味深い。まあ、文献の人は、万葉集のみならず、いろんなものを駆使して考えているので、オレなんぞ、せいぜい日本書紀くらいしか読んでいないものからすると、いろんなアプローチがあるものだ、と感心する。その一方で、蓋然性の高さを詰めていく当然のことながらの方法に対して、考古屋としては発掘でシロクロつけるべし、とも思う。もっとも陵墓は掘れないが。
◆それとやはりなんか立ち位置が違うようにも思う。けっこう被葬者論とか好きで、陵墓も扱うわけだが、なんというのか、それ自体が目的ではないつもりなのだ。あんまり天皇陵・天皇陵というのも実は好きではない。基軸になるからやっていて、目的ではないのだ。
◆さてと、問題の鬼の俎・雪隠。いやその前に、日本書紀などの、わたしなんぞのために墓作りを大がかりにするなといった遺詔など、まず信じていない。そうした発言をほんとにしたかどうかも怪しく、したとしても形式的だろう。またしたとしても、守るかどうかは生きている側の問題。だからそこを問題とはしない。その上で、健の今城墓というのが酒舟石遺跡の北側のところだという議論、これはこれで地名もあるし、なかなかと思う。が、では鬼の俎・雪隠の2槨は誰の墓?という問題だ。敏達→吉備姫王→○○→大内陵、とその間、643年と686の間で、ふさわしいのは誰ということになる。そんな場所に、おいそれと墓は造れないだろうに。自分の墓に合葬するようにという斉明の話だが、生前造墓かどうかが問題となるが、それこそ鬼の俎・雪隠を斉明陵として造る時に健墓とならべるものとし、今城谷から移して合葬したというのでもいいだろう(健の初葬墓が酒舟石遺跡あたりでいいかどうかはわからんが)。問題は、斉明が改葬された根拠はないという点だが、661のあとの埋葬記事がないという不思議さもかかえている。が、考古学的には鬼の俎・雪隠の墳丘がわかっていないという問題があるな~。確かに2槨をならべた場合、八角はしんどいか。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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