人を幸せにする人になろう

師匠である神原晶の言葉と発掘調査

◆神原晶の言葉。「外科医の手術力は最初のトレーニングで決まる。どれほどの熱意を持って手術を学ぶか。どれほどうまい外科医の手術を見るか。川の水が流れるように基本手技を反復し、美しい最終術野を作る。それが理想の手術。そして一番大事なのは、どんなに厳しいオペでも決して患者を見捨てないこと。」
◆発掘調査のトレーニングか。そんなん、なかったな~。3回生の時のタテツキでは、まったく何もかもがチンプンカンプンでした。石が地山の石なのか、墳丘にかかわる石なのか、なんぼ削ってもわからない。わからないまま手を動かしているだけ。大学院生時代になっても、ちゃんと土を見て判断できる仲間を見て、とてもそんなことはできなかった。埴輪を出したり、葺石を出したり、そういうのは器用にやれたような気がするが、それは発掘の本質ではない。そこは集落遺跡の現場で鍛えられた方がいい。あるいは古墳でも、葺石がなく、土で勝負する現場の方が鍛えられる。
◆「どれほどうまい発掘を見るか」。これはNBKの先輩Oさんの現場です。左京3条2坊?、排水溝で即座に3面の遺構面を見いだす、その把握の的確さに感銘。
◆とにかく遺構面を美しくして遺構検出し、柱穴等の掘形の輪郭を、わからなければ納得するまでガリで削り、外と思われる土を削り、内と思われる土を削り、違うことに確信をもち、その境を突き詰めていき、線を引く、というところまではできるようになる。これは就職してからですね。
◆発掘がうまいわけではない。研究所の、年3ヶ月の現場を5年やって、なんとか1人でもやれるかな~、という状態でした。そこは、都道府県や市町村で、現場が多いところであれば、3年とか5年とか現場をこなせば、だいたいのことができる一定のレベルに達し、あとは応用ということになるのでは。そこまでは行ってませんでした。
◆なので、大学に移ってから、さらに経験を重ねていくほかない。K学院のA君とか、W田のJ君は、たいへん現場がうまかった。現場を担当するこっちの方が未熟。まあそれでも、いろんな経験値の差や、発掘センスの差があれ、一緒に現場をやっていくことで、教えてもらい、経験を積んでもらう、そういう場は作れたというところ。
◆しかし考えてみれば、やはり教えるべき基本的トレーニングというのはあってしかるべき。そういうことをやれていない教員はダメですね。みな我流で身に着けていけ、というのはよくない。行政の現場に出て鍛えてもらえ、というのも無責任。発掘調査を教えるというのは、簡単なことでなく、実際のところは実践で鍛えるほかないとしても、しかし「そういう修行をみなせよ」でなく、実際的な教科書的なものが、この世界には必要ではないだろうか。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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