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伯太藩陣屋跡

◆伯太には江戸時代の途中、背後の山林地に1万石渡辺氏の陣屋が置かれた。家臣団屋敷など陣屋 内を描いた絵図が2つあり、最初の段階のものと、明治をむかえた頃のもの。図のピンク色の線が陣屋の範囲で、薄茶色で表したのが、最初の段階の絵図に描かれた屋形および家臣団屋敷。合同調査の時に宿泊している大阪市の青少年野外活動センターもその一画にあたる。
◆その次の段階には(いつ頃なのか、わかってるんだったか?)、奥まった溜め池の両側に展開していたものはなくなり、左上のかなりの面積を有する高台に全面的に広がる配置へと転換する。
◆どうなんですかね、考えてみれば、小栗街道に面する北西部の高台上の方が適当な場所であることは自明のようにも思う。敷地の提供の問題もあったのかも。
◆小栗街道に面して陣屋の入り口があり、また野外活動センターの入り口は、もとの裏門を踏襲しているように思う。その陣屋の入り口、正門にあたる附近の水路脇の土手に、瓦や陶磁器が散らばっており、いくつか採集した。
◆家臣たちは、明治以後も残っていたが、だんだんと外へ出て行き、いつといったか、どこかの時点で、もとの場所に住み続ける元武家はいなくなったということだ。昭和12年だったか、元渡辺家中により、陣屋を顕彰する石碑が建てられ、その除幕式の時の写真も見せてもらった。住宅の一画に、この石碑は残存する。小栗街道に面する正門あたり、この石碑のある地点、そして青少年野外活動センターの入り口などに、伯太藩陣屋跡の説明看板が欲しいところである。
◆明治に入った頃の下の絵図では、土塀が一周していることが明記されている。それに相当するものが、野外活動センターの正門脇などには残存し、また発掘でも検出された箇所があるという(軍が手を入れたことも考えないといけないらしい。伯太にはいま自衛隊の駐屯地があるように、のち軍隊が置かれる)。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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