人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
増田重信さんのお仕事
◆高校の先生を務めながら、姫路周辺の遺跡の調査、近代遺跡、姫路城の石垣や、民俗的調査などを手が
けられた播磨の郷土史家。お名前は存じ上げていたが、具体的なお仕事はあまり知らなかったが、縄文の遺跡で有名な福本遺跡の発見者であり調査者であり、また古墳時代で言えば壇場山古墳の埴輪なども採集されていることを知る。
◆このブログで、難波宮第1号瓦について書き(『市大日本史』第14号に掲載)、そのなかで藤原光輝さんについても調べてみたいと記したが、実は藤原さんが増田さんと縁が深く、ブログを見た増田さんのご子息から連絡があり、7月16日(土曜日)にお会いした。
◆そこで右に示す、重信氏のお仕事をまとめた650頁におよぶ著作集が真陽社から発刊されているのだが、大阪市大にご恵与いただいた。調査日誌によると、1950年6月1日に、藤原さんが角田さんの紹介状をもって増田さんを訪ねられ、その後も長くつきあいが続く。そのなかでは福本遺跡出土の土器が押型文であることを藤原さんが指摘し、増田さんの業績の大きな柱である、この遺跡調査に大きな貢献をしたらしい。その後も、播磨での出土品や遺跡の調査で、藤原さんもたびたび姫路を訪れているし、逆に増田さんも大阪市大を訪ねていることがわかる。
◆藤原さんについては、末永先生との関係、角田さんとの関係、市大歴史学教室での直木先生との関係、そしてもちろん難波の宮、山根徳太郎との関係、大阪市立美術館でのお仕事など、いろいろな面がある。新沢千塚や丹生遺跡の調査にも深くかかわっている。35歳で亡くなったとき、『古代文化』に追悼特集が組まれ、また大阪市大考古学研究会の『史峯』にもあり、そして直木先生が書いたものがある。カシコーケンには藤原さんの図書が収められているという。
◆1965年になくなった藤原さんについて、あたりまえだが面識があるはずもない。わたしの関心は、大阪市大歴史学教室発足間もない時期、歴史学教室独自の調査を手がけ、そして難波宮の調査が入ってくる、そうした草創期の時期の考古学的調査を実質的に担っていた藤原光輝という人物に興味があるのである。『古代文化』を入手し読んでみないといけないが、藤原さんのお仕事については、上記のような記録、そして当時の関係者の記憶が材料となるが、どうもまだきちんとまとめられていないように感じている。増田さんのご子息とお会いし(わたしより少し上)、藤原さんに重信さんがお世話になったことを是非とも知っておいて欲しいという、真摯なお申し出を受けて、わたしなりに藤原さんについて調べてまとめることをやはりやってみたいと思った。
◆モチベーションとして、書いたものが発表される場が必要なので考えてみた。うちに大学史資料室というのがあり、そこが研究紀要を年1冊発行している。ある程度のボリュームのものを書かせてもらえる適切な場としてはここかなと、その日の帰りに考えていた。
◆このブログで、難波宮第1号瓦について書き(『市大日本史』第14号に掲載)、そのなかで藤原光輝さんについても調べてみたいと記したが、実は藤原さんが増田さんと縁が深く、ブログを見た増田さんのご子息から連絡があり、7月16日(土曜日)にお会いした。
◆そこで右に示す、重信氏のお仕事をまとめた650頁におよぶ著作集が真陽社から発刊されているのだが、大阪市大にご恵与いただいた。調査日誌によると、1950年6月1日に、藤原さんが角田さんの紹介状をもって増田さんを訪ねられ、その後も長くつきあいが続く。そのなかでは福本遺跡出土の土器が押型文であることを藤原さんが指摘し、増田さんの業績の大きな柱である、この遺跡調査に大きな貢献をしたらしい。その後も、播磨での出土品や遺跡の調査で、藤原さんもたびたび姫路を訪れているし、逆に増田さんも大阪市大を訪ねていることがわかる。
◆藤原さんについては、末永先生との関係、角田さんとの関係、市大歴史学教室での直木先生との関係、そしてもちろん難波の宮、山根徳太郎との関係、大阪市立美術館でのお仕事など、いろいろな面がある。新沢千塚や丹生遺跡の調査にも深くかかわっている。35歳で亡くなったとき、『古代文化』に追悼特集が組まれ、また大阪市大考古学研究会の『史峯』にもあり、そして直木先生が書いたものがある。カシコーケンには藤原さんの図書が収められているという。
◆1965年になくなった藤原さんについて、あたりまえだが面識があるはずもない。わたしの関心は、大阪市大歴史学教室発足間もない時期、歴史学教室独自の調査を手がけ、そして難波宮の調査が入ってくる、そうした草創期の時期の考古学的調査を実質的に担っていた藤原光輝という人物に興味があるのである。『古代文化』を入手し読んでみないといけないが、藤原さんのお仕事については、上記のような記録、そして当時の関係者の記憶が材料となるが、どうもまだきちんとまとめられていないように感じている。増田さんのご子息とお会いし(わたしより少し上)、藤原さんに重信さんがお世話になったことを是非とも知っておいて欲しいという、真摯なお申し出を受けて、わたしなりに藤原さんについて調べてまとめることをやはりやってみたいと思った。
◆モチベーションとして、書いたものが発表される場が必要なので考えてみた。うちに大学史資料室というのがあり、そこが研究紀要を年1冊発行している。ある程度のボリュームのものを書かせてもらえる適切な場としてはここかなと、その日の帰りに考えていた。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。