人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
栄原永遠男先生、市大を去る
◆そういうことで、3月といえども、なかなか自分の時間はない現在の大学教員であります。ようよう本日から新年度の授
業開始までの年度末年度初めの、あまり予定のない2週間となりました。が、ただちに原稿にむかうことはできず、溜まっている雑事の片付けで今日は暮れていくか・・・。近つの図録の原稿がリミット・・・、とほほです。
◆栄原先生は3年間、特任教授で授業担当を続けていただいたが、新任が決まり、奥さまとともに、わたしの隣の研究室の片付けをすまされ、先日、業者が荷物を運び出し、鍵を返却され、32年間の大阪市立大学在職を終えられた。
◆廊下をはさんだ対面の、フィリピン史・東南アジア史の早瀬先生も早稲田大学に出られることになり、今日も研究室の片付けをされている。実は早瀬先生の妹さんとは、大学時代に同じサークルで、丁瓢塚の測量をしていた時、明石から飯を作りに来てもらったことがある。赴任した直後、早瀬さんに仄めかされ、気づいて驚いたことを思い出す。早瀬先生は、鹿児島大学から市大に来られ、20年務められたとのことである。中国史中心のかつての東洋史、そして西洋史という枠を越えて、東南アジア史の専門分野のみならず、学部のコースとしては世界史コースであり、東洋史・西洋史の各授業とは別の世界史の授業をもたれ、うちの日本史コースをあわせ、歴史学の学生にグローバルな視点からの教育をされた。
【追記】和泉市史南半部の図ができた。
◆栄原先生は3年間、特任教授で授業担当を続けていただいたが、新任が決まり、奥さまとともに、わたしの隣の研究室の片付けをすまされ、先日、業者が荷物を運び出し、鍵を返却され、32年間の大阪市立大学在職を終えられた。
◆廊下をはさんだ対面の、フィリピン史・東南アジア史の早瀬先生も早稲田大学に出られることになり、今日も研究室の片付けをされている。実は早瀬先生の妹さんとは、大学時代に同じサークルで、丁瓢塚の測量をしていた時、明石から飯を作りに来てもらったことがある。赴任した直後、早瀬さんに仄めかされ、気づいて驚いたことを思い出す。早瀬先生は、鹿児島大学から市大に来られ、20年務められたとのことである。中国史中心のかつての東洋史、そして西洋史という枠を越えて、東南アジア史の専門分野のみならず、学部のコースとしては世界史コースであり、東洋史・西洋史の各授業とは別の世界史の授業をもたれ、うちの日本史コースをあわせ、歴史学の学生にグローバルな視点からの教育をされた。
【追記】和泉市史南半部の図ができた。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。