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永世中立国

1830年、ベルギーは独立を宣言し、1831年に憲法を制定し、主たる納税者であったブルジョワ ジー (財産家・資本家)男子による二院制と、国王の行政や軍事など最高の国家行為には首相の承認(副署)を要することを規定した。
 ベルギー憲法の、その首相副署主義は新しい立憲的制度であった。これはカトリックのベルギーが、外から迎えるプロテスタントの国王、ザクセン=コーブルク=ゴータ家のレオポルド1世(在位:1831年-1865年)に対抗するためのものであった。レオポルドは、ナポレオン戦争中はロシア帝国軍の傭兵士官として戦い、戦争後の1816年にイギリスに帰化して摂政王太子(のちの国王ジョージ4世)の王女シャーロットの婿になったこともあった。また、1837年に即位することになる女王ヴィクトリアの母はレオポルドの姉であった。1831年、レオポルド1世は立憲君主として初代ベルギー国王に即位した。
 1839年、オランダとベルギーとの平和条約(ロンドン条約(英語版))が締結された。そこにはオランダがベルギーの独立を認める見返りに、ベルギーは永世中立国の宣言をせよということになっていた。これはプロテスタント国家オランダにとって、カトリック国家フランスとベルギーとの同盟による軍事的脅威をなくすものであった。このように、ベルギーの永世中立国化はオランダの安全保障が関わっていた。
 レオポルド1世の後妻にはフランス国王ルイ・フイリップの王女ルイーズ・マリーが迎えられ、その間の息子レオポルド2世が王位を継いだ(在位:1865年-1909年)。次代の国王アルベール1世(在位:1909年-1934年)の治世で、ベルギーは第一次世界大戦に遭遇した。このように、新興のベルギー王家はイギリスやフランスと関係が深く、第一次大戦でアルベール1世がドイツ軍に徹底抗戦したのはこれが一因であった。

◆国王がいるんですね。フランス共和制という前例はあっても。

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雲楽
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男性
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1964/03/22
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大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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