人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
デタラメばかり
◆布マスク。伊藤忠はじめ、5社、さらに増えたんだっけか。これって随契ですよね。緊急を要する という場合、競争入札をしている場合ではないのかもしれない。しかし、だからといってどこでもいいわけではない。決める上で合理的な説明はいる。われわれ100万円を越える仕事の委託は必ず入札である。この随契は億単位の金でしょ。一層、適正な業者で能力もあることをキチンと説明できなければ、癒着と言われても否定できまい。
◆そして持続化給付金。これ競争入札だそうです。どんな仕様書なのか、応募期間はどれくらいだったのか。公明正大な入札だったのだろうか。2社から手が上がったとして、プロポじゃなければ単純な額で決定したのか。もう1社はいくらを付けたのか。【追記】C判定なのに総合評価だって。じゃあ、評価項目にはどんな項目を立て、2社がそれぞれに対してどう点数付けられ、総合評価で上回ったのか。ちゃうんでしょう。フィクサーがこっち、と。それだけのことだろう。恣意的。癒着。
◆で、丸投げは妥当だって。そもそもこのサービスなんたらは、2016年のなんとかの事業を投げるに際し、公募と同時に設立したんだそうですね。受け皿として、あらかじめ話をして作らせたわけだ。20億円だかは手数料?。電通らが窓口業務や宣伝を担う?、それが749億円もするのか?。何に749億円がかかるのか。どういう積算なのか。
◆けっこう洗いざらい調べられてるようだし、徹底的に追及されるだろう。
【追記】こういうのを見ていると、思いませんか。国がこんなことやらんでいい!。地方分権を進め、実施は都道府県単位でやればいいと、つくづく思う。デタラメの程度が大きすぎる。
◆で、丸投げは妥当だって。そもそもこのサービスなんたらは、2016年のなんとかの事業を投げるに際し、公募と同時に設立したんだそうですね。受け皿として、あらかじめ話をして作らせたわけだ。20億円だかは手数料?。電通らが窓口業務や宣伝を担う?、それが749億円もするのか?。何に749億円がかかるのか。どういう積算なのか。
◆けっこう洗いざらい調べられてるようだし、徹底的に追及されるだろう。
【追記】こういうのを見ていると、思いませんか。国がこんなことやらんでいい!。地方分権を進め、実施は都道府県単位でやればいいと、つくづく思う。デタラメの程度が大きすぎる。
2020年5月31日、空堀商店街→八尾空港
◆食事をするところを探すも、けっこう閉まっています。まあ、船場は平日のようには開けていな い、という事情もあるのかもしれません。河内国分に戻ろうとしたが、ふと空堀商店街に行くことに。
◆久しぶりの空堀商店街。喫茶店やカレー屋があったが、結局、マッチャマチで、うどん・そばとなりました。この店はなかなかよかったです。空堀商店街は、お店マップを作っている。メイン通りから派生するところでも、古い民家をリノベして飲食店等にする取り組みが進んでいる。なかには、民泊に改造したものもあるようだが、一方で民泊反対のポスターも見た。谷町6丁目のこのあたり、住みたいところではある。
◆そのまま25号線で河内国分をめざすも、八尾でふと空港を見に行くことにする。空港西側に進入道路があり、入って行くと、アジア航測などの会社がならぶ。セスナの遊覧飛行は3.6万円ほど、ヘリだと5万だったか。モズフルに特化したコースも設定されている。とはいえ開店休業状態でした。駐車場に停め、南向きにフェンス越しに見るしかないが、むこうに佐川急便などの大和川対岸の建物が至近である。その左に、いまは建物で見えないが、津堂城山古墳がある。八尾空港からはほぼ正面ですね。
◆25号線に戻らず、大和川を渡り津堂城山古墳に向かう。いつも古墳脇のところに車を止めるも、おばちゃんらがじっとこっちを見ていて断念する。整備されて狭くなったか?。車2・3台の駐車場がほしい。
◆久しぶりの空堀商店街。喫茶店やカレー屋があったが、結局、マッチャマチで、うどん・そばとなりました。この店はなかなかよかったです。空堀商店街は、お店マップを作っている。メイン通りから派生するところでも、古い民家をリノベして飲食店等にする取り組みが進んでいる。なかには、民泊に改造したものもあるようだが、一方で民泊反対のポスターも見た。谷町6丁目のこのあたり、住みたいところではある。
◆25号線に戻らず、大和川を渡り津堂城山古墳に向かう。いつも古墳脇のところに車を止めるも、おばちゃんらがじっとこっちを見ていて断念する。整備されて狭くなったか?。車2・3台の駐車場がほしい。
2020年5月31日、尼崎城
◆思いついたのが、地元の実業家? が復元して市に寄贈した尼崎城天守。戸田氏鉄は尼崎の町づくりのあと大垣へ。遠江国掛川藩から青山氏が入る。3代の幸秀が宝永8年(1711年)2月11日信濃飯山藩に移封され(そのあと宮津)、松平忠喬が遠江国掛川藩から入部。武庫郡・菟原郡・八部郡内の計26か村が幕府に召し上げられ、4万石に減少した。さらに今 津・西宮・御影・兵庫などの裕福な36か村が幕府に召し上げられ、播磨国内各地の71か村が与えられた。石高
◆まあ展示により藩主と城のことはわかる。交通上の拠点ということもわかった。が、城下のことや支配のことなど、江戸時代の歴史展示はありません。まあ、ごくざっくりとしたガイダンス展示。子供向けを意識して、体験コーナーも多いが、繰り返しきてくれるかな。内部空間はもっと充実できるのだが、指定管理のようだし、博物館ではないわけです(先の記事のように博物館は別)。せっかくの施設がもったいないと感じる。
◆大正時代までは城郭景観がかなり残っていたのに。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。