人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
2020年4月22日(水曜日)、遠隔授業対応
◆今日は『市大日本史』の仕事をやめて、遠隔授業のことにあてる。博物館の担当で、前期3つの科目を非常勤の先生にお願いしている。遠隔授業の説明会が行われ、問い合わせが来ている。なんとか答えるための勉強をせねばなるまい。
◆まずは遠隔授業の形態を回答しなければならない。新学年暦で予定表を書き換える。うちは、WebClassというもので授業の進行管理を一本化する。ログインすれば、自分用の時間割の枠に科目が置いてあって、そこに資料をアップしていくという。まずは、それぞれの科目ごとに遠隔授業の進め方を書き込むことが求められている。その前に24日までに答えるアンケートがあり、その上で28日までに書き込み、5月1日に学生に公表するという。
◆なので、まず前期授業について形態を考えアンケートに回答しなければならない。博物館の科目で、1回だけやるものもあり、大阪市博物館機構の担当者とも要相談。どこまでの意思表示が求められているのか、アンケートの中身を見て、回答を考えよう。
◆まずは遠隔授業の形態を回答しなければならない。新学年暦で予定表を書き換える。うちは、WebClassというもので授業の進行管理を一本化する。ログインすれば、自分用の時間割の枠に科目が置いてあって、そこに資料をアップしていくという。まずは、それぞれの科目ごとに遠隔授業の進め方を書き込むことが求められている。その前に24日までに答えるアンケートがあり、その上で28日までに書き込み、5月1日に学生に公表するという。
◆なので、まず前期授業について形態を考えアンケートに回答しなければならない。博物館の科目で、1回だけやるものもあり、大阪市博物館機構の担当者とも要相談。どこまでの意思表示が求められているのか、アンケートの中身を見て、回答を考えよう。
じたばたしても
◆まあ、いろいろやらんなあかん。が、メールで送られてくるファイルも膨大で、まずはそこから整理しないといけません。ぼちぼちと、〆切は守りつつ・・・
2020年4月19日、玉手山
◆午前中は仕事(『市大日本史』)。散歩に行くことにする。玉手山遊園に行き、尾根沿いに南に 行けるかと思ったのだが(むかしは公園フェンスの隙間を抜けてたんでしょうか、忘れました)、囲い込まれており、円明側に下りる。西側を西名阪まで南下。昔、このへんのどこかから玉手山9号墳に案内してもらったのだが、登り口のようなものはない。西名阪沿いに東に抜ける。ミニ開発で完結した街路ばかりで、山すそをたどってはいけない。ジェイテクトの社宅の向こうで山に上がって行き、8号墳近くの給水塔。東斜面を北上し、家に戻る。
◆写真は8号墳近くから東をみたところ。右に明神山系、左に平尾山があり、間を大和川が抜けている。「河内嵐山」と呼ばれています。
◆写真は8号墳近くから東をみたところ。右に明神山系、左に平尾山があり、間を大和川が抜けている。「河内嵐山」と呼ばれています。
2020年4月18日(土曜日)
◆長男は大丈夫で、われわれもなにもない。なので宝殿の母親のところに行きたいが、もう1週やめておく。父親の病院はもはや面会できない。
◆今井町に行くことにする。中和幹線を通るが、途中それて柿の葉寿司を買う。午後、しばらくい て歓談。妹のところは、ダンナのギター教室も個人レッスンも、演奏会などもすべてストップし、たいへんそうである。渡しそびれていたという日本酒を2本もらう。ひとつは馬籠だったか木曽の酒、もうひとつは伊根のお酒でした。
◆15:30に離れ、まっすぐに帰らず、香芝を少しウロウロする。
◆まず尼寺廃寺。前に見学会で来た時、ほぼ現場の整備事業ができあがったところだったが、東側にガイダンス施設ができていた。心礎が割れており、穴が開いている。そ の理解が疑問に思った。が、ちゃんと報告書を見ないといけない。ネットでひとまず見解はわかるかな。
◆平野塚穴山。きれいに整備されている。そうか、それで石槨もスキャンしたんやな。さて、これはいつ。説明看板の写真を撮るのを忘れたが、ざっと読んだ記憶では、7世紀としか書いていなかった。現在の日本考古学では、特定しがたいということなんだろう。墳丘規模は大きい、石槨は凝灰岩切石になっているが、まだ羨道部がある。さてこれはいつなんでしょうか。遺物も少しあったな。7世紀第2四半期とみるか、第3四半期とみるか。
◆今井町に行くことにする。中和幹線を通るが、途中それて柿の葉寿司を買う。午後、しばらくい て歓談。妹のところは、ダンナのギター教室も個人レッスンも、演奏会などもすべてストップし、たいへんそうである。渡しそびれていたという日本酒を2本もらう。ひとつは馬籠だったか木曽の酒、もうひとつは伊根のお酒でした。
◆15:30に離れ、まっすぐに帰らず、香芝を少しウロウロする。
◆まず尼寺廃寺。前に見学会で来た時、ほぼ現場の整備事業ができあがったところだったが、東側にガイダンス施設ができていた。心礎が割れており、穴が開いている。そ の理解が疑問に思った。が、ちゃんと報告書を見ないといけない。ネットでひとまず見解はわかるかな。
◆平野塚穴山。きれいに整備されている。そうか、それで石槨もスキャンしたんやな。さて、これはいつ。説明看板の写真を撮るのを忘れたが、ざっと読んだ記憶では、7世紀としか書いていなかった。現在の日本考古学では、特定しがたいということなんだろう。墳丘規模は大きい、石槨は凝灰岩切石になっているが、まだ羨道部がある。さてこれはいつなんでしょうか。遺物も少しあったな。7世紀第2四半期とみるか、第3四半期とみるか。
橋本陀羅尼寺
◆和泉市観音寺町のことを調べていて、隣の寺門村の地名辞典で。和歌山建橋本市の観音寺に、廃寺になった近くの陀羅尼寺にあった大般若経がある(市指定)。ネット情報だと江戸初期に入手したよう。そこに12世紀だったか、中原なんとかが書写した「寺門村大般若経」と奥書にある。で、150年後に修理し、20巻だかに「寺門村大般若経」が追記された(そう読める)。で、それをやったのが「観音寺」なんたらだと書いてある。
◆これが「観音寺」の初出。「寺門村」の初出でもある。これ、見落とされていたので、合同調査の原稿に追記した。大歴の6月大会中止をめぐるメール14:02。
◆これが「観音寺」の初出。「寺門村」の初出でもある。これ、見落とされていたので、合同調査の原稿に追記した。大歴の6月大会中止をめぐるメール14:02。
ETC
◆1月半ばに父が倒れて以来、新型コロナで自粛をはじめるまで、頻繁に宝殿に帰っていた。和歌山の方も、カミサンが車を使い、わたしも一緒に見舞いに行くことも少なくなく、そして亡くなった3月末までは、和歌山方面にも何度も出かけた。
◆そんなんで、ETCの請求が月6万越え。これが3月分くらい続く。この自粛で次の請求は急落するだろう。
◆そんなんで、ETCの請求が月6万越え。これが3月分くらい続く。この自粛で次の請求は急落するだろう。
階段の昇り降り
◆いまエレベーターが根本的な修理をしていて、10日ほどだったか稼働しない予定。なので、買い物や銀行や、コンビニに行くのにも、毎回、5階を降りて、また昇らなければなりません。それなりに運動になる。コンパクトプリンタはノズルをきれいにして使えるようになっているが、カラーインクが切れていて、こっちはカラーの打ち出しがほしいので、コンビニにコピーを取りに行く。その際もエッコラエッコラ、階段を上がっています。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。