人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
2020年3月27日、山口・広島に向かう
◆この日、結局は博物館のことはできず、メール対応で、いろんなことをして終わっていく。科研の残額処理も、今年度はまだ引っ張っており、この日、なんとか対応を図るが、これで使い切ったことになるのだろうか。週明け、30・31日までいきそうである。
◆山口県に向かう。
◆山口県に向かう。
2020年3月21日、子供ら帰る
◆この日、朝から宝殿へ。長男は15時に姫路駅というので迎えに行く。それから土山の病院へ。もう少し反応がよかった時に、一度、帰ってくるよう言っておけばよかった。10分。夕方、娘が函館から帰ってきて宝殿で合流。母と家で食事をして、この日は泊まり。
◆翌日、今度は娘を病院に連れていく。そして、そのまま紀美野町へ向かいました。既に書きましたが、彼岸の墓参りです。
◆この日、わたしは56歳になる。
◆翌日、今度は娘を病院に連れていく。そして、そのまま紀美野町へ向かいました。既に書きましたが、彼岸の墓参りです。
◆この日、わたしは56歳になる。
そして3月14日
◆宝殿に行き、母を連れて土山の病院に行く。その前に加古川駅前の「空箱」というところで昼ご 飯。これ、昭和30年代くらいの旅館?(そのあとの改修もあるのかな)で、それをカフェにして、昼はランチを出すというところ。こっちもネットで探しているが、まあ評判がいいところに行こうとする。まあ、ほかの人も同じように探しているわけで、既に予約客でいっぱい。なんとか飛び込みで入れたが。こういう飲食店のはやりというのは、おいしいものを適度な価格で提供することを基本にしつつも、こういうレトロさというのもウリになるし、口コミも大き いし、いろいろ考えさせられますね。なんでこんなに人が来てくれるのか、と。
◆で、この日は面会も1人にしてくれと。ええ!。今度、うちの子らが見舞いに帰ってくるが、2回に分けていかないといけないかも。
◆帰り、雨が降り、加古川を渡って宝殿に戻る時、北側に虹が出ていました。
◆で、この日は面会も1人にしてくれと。ええ!。今度、うちの子らが見舞いに帰ってくるが、2回に分けていかないといけないかも。
◆帰り、雨が降り、加古川を渡って宝殿に戻る時、北側に虹が出ていました。
最終講義も延期となり
◆どこともそうでしょうが、行事が次々になくなるか延期されている。うちの日本史教員の最終講 義が21日に組まれていたが、3月5日に延期と決め、案内を送ったところにその旨のハガキを出す。
◆うちのD院生が4月から韓国に留学するはずだったが、延期せざるをえない。
◆入試は予定通り行われる。採点も終わった。
◆『市大日本史』の編集はそれとは関係なく始まる(17日には第1弾を入稿する)。
◆3月12日にはカミサンに誘われ、梅田に映画を見に行く。日本語タイトルは「彼らは生きていた」。第1次世界大戦のイギリス軍のフィルムです。
◆この日、大学図書館10階から撮った写真。むこうに見えるのはハルカスです。
◆次が翌13日の図書館前のモクレンです。
◆うちのD院生が4月から韓国に留学するはずだったが、延期せざるをえない。
◆入試は予定通り行われる。採点も終わった。
◆『市大日本史』の編集はそれとは関係なく始まる(17日には第1弾を入稿する)。
◆3月12日にはカミサンに誘われ、梅田に映画を見に行く。日本語タイトルは「彼らは生きていた」。第1次世界大戦のイギリス軍のフィルムです。
◆この日、大学図書館10階から撮った写真。むこうに見えるのはハルカスです。
◆次が翌13日の図書館前のモクレンです。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。