人を幸せにする人になろう

岩屋山玄室、ほぼ完璧

◆こないだ、玄室と羨道に分けてフォトスキャ。玄室はほぼ完璧です。

2018年12月6日(木)三重県

◆朝、ミュージアムの定例打合せ。~10:50.
◆11:00に三重県にむかう。13:00着。そこから作業16:20。無事、ミッションを終了。雨が降ってくる。上も下も泥だらけ。味噌煮込みうどんを食べ、出たのが17:50。我孫子到着は19:50頃。家には8:10頃には着いたか。フォトスキャンをやって、飲みに行く。

明日の久津川の準備

◆だいぶ前に、12月8日は久津川街路測量を入れていた。その後、日曜日に野本将軍塚のシンポがあると知り、 せっかくやし土曜日は川越、日曜日はシンポ、という埼玉行きを考えた。1週間前までどうするか決めかねていたが、結局はやめた。
◆で、明日の測量の準備をしています。紙割はできたが、次は基準点をみながら作戦を考える必要があるが、アバウト考えて、あとは現場力か。できるだけ要領よくやって、終わりたいのだが、ぜんぶは無理かな。
◆久津川の測量の最初は2013年4月27日です。やっと終われるか。
◆その次は、過去の調査区を、ようやっとできあがる正確な図をもとに、落とし込む作業である。まあ、しかし、これは

コウノトリ

◆前に玄武洞には行ったが、コウノトリのところには足を運びませんでし た。カミさんが豊岡で開 かれた研究会に行き、資料を持って帰ってきました。
◆すばらしいですね。さまざまな取り組みが裾広がりで展開されています。平日でも、多くの人が見に来ているという。埋文業界はどうでしょうか。むろん、生き物というのは、動物園と同じで、博物館と違って子供を連れた家族など、引き付けやすいということはある。同じようにはいかないが、史跡ひとつひとつに、これと同じような地元の取り組みの展開があれば、と思います。地域の人たちを主体とするコミュニティを作っていけるか、というところ。この点、長岡京市さんは、整備計画の時点から、そこで何をやっていくかということを地元の人たちに考えてもらい支援していました。行政は作る、地元住民はトイレをつけておけ、道路の整備も、といった要望をするという構図になりがち(それはそれで大事なわけだが)だが、地元でどう維持し、使っていくか、自分たちの住む地域の自治の問題として、あとは任せられるような意識を作り上げていってほしいですね。
◆ちなみに、豊岡は、城崎や出石と合併し、温泉・ソバという魅力が加わり、効果が大きかったとのこと。山陰海岸、陣屋町、ヤナギゴオリ、カバン、といった自然・歴史や地場産業を活かしていくというのも一面、+新しいものを生み出していく、という両面が必要ですね。コウノトリの郷の成功は、細々とした飼育から、これだけの魅力を創出したのは平成以後のことで、豊岡とコウノトリの関係は近世にさかのぼるとはいえ、新規に近いものがある。そういう地域ならではのものも、新たに生み出すことはできるわけである。

早稲田J君飛ばしてます

◆測量の案内をもらいました。今年度、これから3基やるのだそうです。それもでかいもの。最先端ですね。
◆うちはなんとか西陵を完了させるべく・・・

あああああああ

◆博物館実習Ⅰの実習展のデータがぜんぶ消えてしまった。なんでや~!。PCを入れ替えようとしていて、SDからHDに移して作業してたのに、なんで?。地質図も阪和貨物線も三木茂もぜんぶ作り直しか。これは相当ショックです。
◆発掘のデータとか、計測のデータとか、ある時点まではバックアップをちゃんとやるようにしていたが、いまはルーズになっている。怖いですね・・・。なんとかしなければ。
【追記】データ、出てきました。やれやれ。

段ノ塚を加えました。

◆それだけです。
◆段ノ塚も小山田を凌駕したとはいえないが、土壇部を含めると、いい勝負かもしれま せん。むろん八角であるという独自性を有する。なぜ改葬したか、ひとまず蝦夷の大陵への対抗と理解するのが妥当だろう。新たに独自に八角にするためといえるかどうかは、岩屋山上半部の墳形が決着しないとこれはわからない。

ホケノ山の小枝のC14年代

◆阿武山の棺内を見ると、枝状のもの、根っこ状のものが無数にはびこっている。こういうのはどうやって入り込むんでしょうね。鎌足の亡骸を栄養分とするにしても。でふと、ホケノ山の小枝のC14を思い浮かべてしまう。かみついている人はいるが(要するに3世紀じゃねえと)、棺材はともかく、小枝、これが築造年代の参考にはならんのとちゃう、と。

今城塚の墳丘復元

◆いつぞや、どうしても前方部が3段にならない、という話をうかがった。がやはり、岩戸山、七輿 山、断夫山、西乗鞍をみていると、そそり立つ前方後円形3段でないといかんだろう。西乗鞍とかすごいですよ。後円部上段ももっと高いのではないか。
◆とはいえ、発掘遺構がなにより最優先。そして比較していくしかないですね。同時期の墳丘と。たぶんくびれ部の解釈で、上段が載る余地がないということだったように思う。しかしそのへんは、いちばん急傾斜なんじゃないでしょうか。正式報告のないなかで、概報だけで検討できるかどうかわからんが、一度、やってみる必要がある。

2018年12月2日KR研の前に

◆11月のKR研は、はい、さぼりました。すいません。
◆12月は行かねばならぬ。寝屋川まで車で行き、本日最終日の阿武山の展示を見に、今城塚へ。9:30着。まだあいていないので、古墳現地。じろじろ、あることを考えていました。やっぱり、墳丘が扁平なんだわ。後円部の上段がふっとんでいるとしても。前方部のトップで埴輪列が出た時は、見せてもらっていない。あれをどう考えるかです(後述)。
◆10:00。入る。200円ですよ。面白かった。土器も面白い、センも面白い。岩内1(御坊市)も面白い。企画展示室、あれくらいがいいですね。とはいえ、今回は、発見時の写真展をホールでやっており、ブツからなる企画展と、表のパネル展示とがセット。あわせて鐘ヶ江さん作の木棺複製品も ある。牽牛子塚古墳のキョウチョ棺はやはりすごいもんですね。ちなみに、こないだ医学部で、牽牛子塚古墳出土の骨片を見せてもらったところです。下顎骨の一部があり、歯が1個、さて斉明なのか間人なのか。
◆常設展にまわり、今城塚の墳丘の模型を眺めていました。そして最後のとことで、今城塚の復元整備の作業原図が貼ってあり、その標高値などをメモしたり、写真を撮ったり。そんなことする人はほぼいないでしょう。
◆手前は土保山のものとかしげしげ見ましたけど。近藤先生の蔵書のなかに、土保山のペラの概要報告があったんですけど、出てきません。墳丘の図があればGさんに示したいのですが。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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